第十八話:今更ながらのお勉強
週末の夜は大抵、ブラックと一緒に外食をして、種屋に戻り週明けまで過ごすことになっていた。
「凄く美味しい!」
今夜は、もちろんいつもとは違っていて、私の前には明らかに不貞腐れているブラック、隣には、不器用そうにスプーンでスープを掬っているハクアが居る。
「ブラックって、料理も上手だよね」
「口に合ったようで良かったです……良かったですけど……どうして私がハクアの分まで用意しないといけないんですか」
「だから、それは私が用意するっていったのに、させてくれなかったから」
「ハクアがマシロの手料理を食べるのは、面白くなかったんです」
「だから、私たちのも作るっていったのに」
むすっと、そういった私の台詞を流すように、ブラックは、グラスが空いてますね。と、赤ワインを注いでくれる。因みに、ブラックは見た目に反して下戸だ。(花見をしよう!参照)自分のグラスにも注いでいるけど、きっとアルコールが抜けている。
私は、これからそういう機会もないとはいえないから、ブラックのような芸当が出来ない以上、慣れておくに越したことはないと少量ずつだけど練習中。
それにしても、こいつ、私の料理に不満があるのか? むっとした私の気を削ぐように、かしゃんっ! と、皿を弾いてハクアがスプーンを取り落とす。
難しい顔をしながら取ろうとしたハクアを止めると、すっと新しいものがハクアの前に現われる。有難う、とブラックに告げると、ブラックは短く嘆息して首を振る。
既に三本目だ。
ハクアは、身体の大きさが急に変わってしまったのと、慣れない人型での食事のため、四苦八苦している。でも、それを望んだのは本人だ。ペット同伴でお店に入るわけにも行かない、だから家まで戻ったのにハクアは人型で私の傍から離れなかった。
「そうだ! 私、少し聞きたいことが」
黙っていると息が詰まりそうだったので、私は切り出した。ブラックは、にこりと私に続きを促してくれる。ハクアはナイフと格闘中だ。こう、軽く引くときだけ力をいれるんだよ、と、手を重ねて助言したあと、座りなおして話を続ける。
「素養ってさ、素養ってどういうものなの?」
私の問い掛けに、ブラックは「今更ですねぇ」と苦笑したものの、それほど驚いた様子はない。でもハクアは驚いたのか、格闘していた手を止めて私をまじまじと見る。
「どう、とはどういうことだ? 素養とは生まれ出でたときに持ち備える魂の一部だ」
ハクアの真面目な台詞に「あー、それは何となく分かる」と頷く。それ以上のなんだ? という風にハクアは首を傾げたが、ブラックは穏やかに話を始めた。
「素養というのはですね。器のようなものです。種類はそれこそ星の数ほどありますし、種に込められた素養は掛け合わせにより無限の可能性があります」
例えば、このワイングラス。そういってブラックは、目の前にあったグラスの中身を飲み干してから、ことんっと置いた。
「これをマシロの薬師の素養だとしましょう。貴方は、種によりこれだけの素養を得ました。そして今現在進行形で、その器に、薬師の知識を注いでいる……」
いいながら、とくとくと注がれている紅い液体を眺める。
ブラックは、そのままワインを注ぎ続ける。
もちろん、いっぱいになったグラスからは、ワインが溢れ出てきて真っ白なクロスを紅く染める。
「これが限界です。私は、あの時手元にあった一番良いものをマシロに売りましたから、この限界は最上級階位を得、無事卒業することくらいまではあるでしょう」
ことんっとテーブルの上に瓶を戻すと、テーブルの上の染みは最初から何もなかったように白く戻った。
「マシロの周りには、正直、各分野に特化したものしか居ないので、とても説明し難いのですが……」
うーん、と少し唸ったあとブラックはテーブルの上に食前酒を飲むときに使った小さなグラスを並べた。
「マシロやシゼ、カナイにアルファの話で進めると、少々分かりづらいかもしれませんが、大抵の人は先ほどのグラスのようにただ一つ大きな、というか他のものよりは優れている素養を持っています。例えば魔術、カナイの話になりますが、火・土・水・風……などのエレメントも通常そのうちの一つないし二つ程度のものです。しかし、カナイは……」
カチャカチャと小さなグラスを寄せ合わせ
「こんな感じで、一つの器になっているんです。彼は生来より特出すべき魔術系の素養を持たず。魔術系の全ての素養を備えています。“稀代の天才魔術師”と、彼が称されるのはそのためです。同じように、アルファも、シゼも……そしてマシロも……」
そこまで話し終わるとブラックは、余分なグラスを消し去って「なんとなく、分かってもらえましたか?」と問い掛け「マシロの、知りたい答えに近かったでしょうか?」と振る。私は「うーん、なんとなく」としか答えようがなかった。
「主は何故そのようなことに興味を持つ?」
「え。変かな?」
「変だ。この世界のものが、素養に疑問を持つなど有り得ない……」
この世界のものが……と、繰り返したハクアが言葉を重ねる前に、ブラックは「それでは」と口を挟んだ。
「デザートにしますか?」
***
「―― ……何かおかしくないですか?」
「ブラックは今日、不満ばっかりだね?」
食事も済んだし、ブラックが残った仕事を片付けている間に、私はお風呂に入ったり寝る準備を整えてベッドに入ったのだが……。
「どういう経緯で、三人仲良く並んで寝ないといけないんですか? 私だってマシロに腕枕なんてしてもらうことないのに」
ハクアを真ん中にして、腕枕してあげてたらこれだ。子どもにやきもちを妬くお父さんみたいだ。思ったけどそれはいわない。あとが怖いから。
ハクアは人型に馴染んだのか、そのままで寝ている。
多分、ブラックに気が付いているとも思うけど、面倒がって起き上がることはない。私は、うとうとし始めていたから目を擦りつつ起き上がる。
「ハクアは白銀狼なんですから、外でも廊下でも何処でも良いでしょう? 百歩譲って寝室に居ても良いですけど……せめてベッドサイドとか……」
「仕方ないよ、一緒が良いっていうし。良いじゃない別に子どもなんだし」
「見た目だけです! それに私はいつもマシロと居られるわけじゃないんです。傍に居られる間くらい近くに居たいのに……」
思い切り、しゅんっとするブラックも可愛い。
ブラックのいい分も、分からないわけじゃない。私だって二人きりの時間があっても良いと思う。でも、この状況で無理をいうのは、やはりハクアに可哀想な気がするし、なんだか恥ずかしい。
「私にどれだけ我慢しろっていうんですかっ!」
「発情すんなっ!」
―― ……ぼすっ!
ハクアを無視して抱きついてきそうなブラックに、むんずっと掴んだ枕を投げつけた。顔面にヒットした枕が、ぽふっと膝の上に落ちると、高い鼻の上が赤くなってる。
そして物凄く凹んでる。
凹んでいるという言葉を、体現しているようにはっきりと落ち込んでる。
「……ブラック、その、あの、えーっと、ずっとじゃないわけだし、私も我慢するからさ」
―― ……何を?
私も天パってきた。
自らの発言に突っ込みを入れ、がくりと肩を落とす。これ以上ここに居ると、墓穴を掘りそうなので、私はベッドからにじり出て「私の部屋で寝るよ」と告げた。
それに続く形で、むくりとハクアも起き上がる。
当然だけど寝てなかったんだよね。
「行かないで下さい」
当然のように抱き留められる。
期待を裏切らないというか、こういうところはブラックがいくら年上でも可愛いと思う。行かないで。後ろから抱き締められ、そう重ねて首筋に口付けられる。それと同時に、凄く申し訳ない気持ちになって私の口からは謝罪の言葉が零れた。
ブラックのほうへ首を捻ると、軽く唇が重ねられる。
甘く唇を食まれ、うっとりと瞼を落とすとくぃくぃと袖を引かれた。
あわわわわっ。
私って、なんて流されやすいんだっ! 私は慌てて現実に引き戻され「ごご、ごめんね!」とハクアを見下ろす。
「私は邪魔か?」
寂しげな瞳で見詰めてくるハクアの言葉に「邪魔じゃないよ!」と「邪魔です」が被る。私は、反射的に裏拳でブラックを沈めて、そんなことないからね。と、宥めてハクアをベッドの隅へと座らせた。
「それはそうとマシロ……珍しいものをつけていますね?」
座ったハクアの前に腰を折って頭を撫でていると、背後から私の腰に片腕を回し空いた手で首元にぶら下がっていたペンダントを揺らしたブラックに、私はこれまたしまったと思った。
ここに来る前に外して置こうと思ったのに……疚しいことはないけど、説明するのが面倒だから……。
「ふーん……その反応は、誰かに貰ったんですね?」
私の肩に顎を乗せて面白そうにそう告げるブラックの声がむず痒い。答え損ねて黙っていると「ま、良いですけどね」と、思ったより簡単に私から離れた。
私も背を伸ばすと、やっぱり外しておこうと止め具に手を掛けたが、ブラックにそっとその手を下ろされた。不思議に思った私を他所に、ブラックはそっと腰を折るとペンダントトップを掬い上げ唇を寄せる。
「エミル、ですか? それとも、彼の助言を得た他の誰か、でしょうか?」
そのまま見上げてくるブラックの妖艶な瞳にたじろぎつつ、私は頷いた。ブラックは私の返答になるほどと呟きつつ姿勢を正すと、口元を覆って面白そうにくつくつと笑いを零す。怪訝な面持ちで首を傾げた私にブラックは短く詫びて話を続ける。
「ケレブ=ターリは素養を否定しました。エミル本人も、素養への疑念と戸惑いがある。それなのに、逆らえない……シル・メシアでは当たり前のことなんですけどね。エミルには見極める目があります。役目に適した人材を、人が必要としている物を、的確に見極め配置することが出来る。これもまた王家の素養の一端です。思い出してください、貴方をここへ導いたのは誰だったか」
つんっと胸を衝かれ、はたと気が付く。
あのとき、気持ちの整理の付かない私を、種屋へと促したのはエミルだ。