第十六話:最大限の譲歩
翌朝、ブラックとひと悶着あったあと、寮の前まで送ってもらった。
直ぐ傍だから面倒ないのだけど、どうせなら部屋に直接送ってくれれば良いのにと思った私にブラックは短く謝罪した。
「図書館自体、魔力的な干渉を受けないように囲ってあるのですが、マシロの部屋は特に強く囲われてるんですよね。壊すとカナイが五月蝿いので……」
どうやら私の知らないところでセ○ム張りの警備がなされているようだ。
一度だけ部屋に戻って制服に着替えると、隣の部屋の扉を叩いた。
「おはよう、エミル。起きてる?」
私から部屋を訪ねることは珍しいのだけど、エミルは特に驚いた風もなく「おはよう」と出てきてくれた。
「朝ごはんまだだったら、一緒に食べよう? 私、食べてくる時間がなくて」
夕食も一人だったから実はあまり食べていなかった。
一人の食事に私は慣れてない。
私の誘いに、朝早くても、夜遅くても、変わることのない春風のように暖かく柔らかな笑顔で了承してもらう。
カナイとアルファも、誘うともちろん了承を貰った。
アルファは自室から出てくると、真っ先に私に部屋を遠慮なく開く。私の隣に居たエミルが「鍵また忘れてるよ」と苦笑する。
ごめんね。
自分の個室に鍵をかける習慣なんて付いてなくて。
「ハクア、居ないですね?」
やっぱりその確認だったのか。
苦笑した私の頭をがしりと掴んだのはカナイだ。ぐきっと首を折られて首筋を露わにされる。痛い。痛い、痛いからっ! 暴れると「ああ、悪い」と手を離してくれるが、お願いだから前置きくらいして。
「いや、昨日血の契約がどうのっていってただろ? ……もしかして、消した?」
「消してないよっ! 消さないよっ!」
さらりとカナイが物騒なことを口にするので、全力否定する。
争っても気にしない、という雰囲気であったのは否定しないけれど、ブラックだって私の連れをむやみやたらに消したりしない。
「あのねぇ、そんな物騒なことブラックがするわけないでしょ」
多分。と、心の中だけで付け足した。
えーっと不満そうな顔を全員がするので「私の前で」とも付け足した。あー、と納得の声が聞こえそうだ。悔しいけど仕方ない。日頃のブラックの行いの所為だ。
「ブラックの話では、授業が終わる頃には追いつくと思うっていってたから」
「置いて来たんですか?」
「う……そういわれると、イタイんだけど。どこかに行っちゃって、見付からなかったから」
あんまり心配もしていないから探しもしなかったんだけど。
「それで、結局どうなったんですか?」
廊下を歩きながらそう訪ねてきたアルファに、私はえへへと笑いを零す。
「ブラックもね、話せば分かるんだよ。うん。飼うっていうか、ハクアの事情が解決するまで傍に居させても構わないって」
嬉しいので隠すこともなく、そういった私に三人とも揃って驚いていた。
絶対に駄目だ! というに決まっていると思っていたのだろう。私もそうだったから。でも、今朝になってブラックは本当に「構わない」といってくれたのだ。
***
図書館へ戻る準備を整えた私のところへ来たブラックは、私に箱を渡してくれた。
中身の確認をすれば、昨日せっせと作っていたものだ。
何コレ? という視線を投げた私に、徹夜明けだというのにブラックは、欠伸一つ零すことなく説明してくれる。
「これを、ハクアの前か後ろの足に付けてください。本当は首輪にしようかと思ったんですけど、マシロが付けて良いのは私だけですから」
―― ……Mに鞍替え?
というか、私にはそんな趣味はない。
さらっと寒いことを口にしたブラックを睨みつけると、ブラックは前言はなかったことにして、話を続ける。
「迷子札みたいで良いでしょ?」
「……これ、つけて貰ったら傍に置いても良いの? 痛くなったり、苦しくなったりしない?」
細かく傷つけられた細工を指でなぞるが、細かすぎて何と彫られているか私には分からない。
「心配しなくても大丈夫ですよ。私だって、マシロのお願い事は叶えて差し上げたいんです。最大限譲歩してこれだけは譲れません」
認めてもらうことは半分以上諦めていたから、どうやって隠していこうかと思っていたところだったのでブラックの申し出は凄く嬉しい。
「それに、そうでもしないと、マシロは隠れて飼いそうです」
―― ……バレてた。
私の表情で確信を得たのかブラックはワザとらしく嘆息して首を振った。
「ご、ごめんね? でも、その、有難う! 何をあんなに頑張ってるのかと思ってたんだけど、ハクアの為だったんだね」
「マシロの為です」
どうして私が白銀狼の為に労を尽くさないといけないんですか、とかぶつぶつ零しているが、何の為だろうと嬉しいことには変わりない。
誰の為のものなのか? とか、勝手に考えてもやもやしていたのも馬鹿みたいだ。
―― ……とんっ
ほっとしたし、嬉しいし……私は僅かに開いていたブラックとの距離を縮めて、ブラックの胸の中に納まる。
「マシロ?」
不思議そうに名前を呼ぶブラックは可愛い。
顔を挙げ、ぐんっと背伸びをして「有難う」と、頬にキスをすればもっと目を丸くして、もっともっと不思議そうな顔をして、あろうことか頬を染める。
ブラックは、誰かに感謝されることに慣れていない。
職業柄仕方ないとはいえ、とても寂しいことだ。だから出来る限り、出来る限り、だけど、気持ちは素直に伝えてあげようと思う。
***
そんなことを思い出して、ふふっと笑ってしまった私に、アルファは素直に「気持ち悪いです」と口にした。失礼だ。
カナイは嘆息し、エミルは「彼が物凄くマシロに甘いことを忘れてたよ」と残念そうに零した。
兎に角、今回の件は私の勝ちだ。
いや、勝ち負けの話じゃないけど……ハクアが戻ったら伝えてあげよう。と、とても嬉しかったし、ハクアの帰りが待ち遠しかった。
ブラックがいっていた通り、ハクアは午後には戻っていた。
何事もなかったようにしなっと私の部屋に居た。別に入っていても構わないのだけど、鍵掛けたのにどこから入ったのかと思ったら窓が開いていた。
私って……何か抜けてる。
そういえば授業中突然カナイが「あ」と零した。聞いたけど別に大したことじゃないといわれ忘れてたけど、多分、私の部屋への侵入者を感じたのだろう。
「お帰り、ごめんね、先に帰っちゃって」
「問題ない。大した距離ではない」
大した距離だよ。王都から辺境までは片道最低四時間は掛かるんだよ。
「そうそう、それからね。ハクアに朗報があるの」
机の上に教科書などの荷物を載せ、代わりにブラックから受け取った箱を開けて中身を取り出す。窓から差し込んでくる陽光に反射して、とても綺麗だ。
真っ白なハクアの毛並みにもきっと似合う。
「これを付けて欲しいの」
『それを付ければ、マシロは私の主になるのか?』
振り返ると真後ろにハクアが立っていた。心臓に悪いから、気配もなく背後に立たないで。人型で……。
「き、期間限定、だけど、ね?」
嬉しそうに瞳を細めて、大きな手が私の頬を撫でる。だから、近いんだってば!
「ほ、ほら、付けてあげるから手を貸して」
犬だ。犬だ。犬だ。
目の前のは犬だから、違っ! 狼だから!
って、狼のほうが余計変なほうになってる気がする。
兎に角、私は赤くなる顔を隠すようにハクアから顔を逸らしてハクアの片手を取る。
私がすることに興味はないのか、ハクアは特にそのことに注意を払うことなく、開いた手で私の髪を撫でつけ耳元に顔を寄せる。
幾ら私でも、この距離は近いと思います! くすぐったくもあって、出そうになる声を無理矢理飲み込んで、私はハクアの指先から魔法石で出来た輪を掛けた。
それと同時に、ぺろりと耳を舐められて、肩を強張らせた勢いで輪が腕に滑り込む。
「―― ……っ!」
弾けるような閃光が腕輪から溢れ、その強い光にハクアは息を呑み私は瞳を閉じた。
何事だと、慌しく皆が駆けつけてくれた気配がする。
驚いてへたり込んでいた私が恐る恐る目を開けると、目の前に居たはずのハクアが居ない。
「ハクア……?」
びくびくと名前を口にすると、直ぐ近くで「なんだ?」と返事が聞こえる。けど、その声も何か変だ。ぱちぱちと瞬きし声の主を見ると……
「それ、誰?」
カナイの声が降ってきた。隣にはエミルが「大丈夫?」と傍に寄ってくれていた。
「誰、といわれても……ボク、どうしたの? どこの子?」
「……皆さん、冷静になってくださいよ。この状況どう見てもその子どもハクアでしょ?」
アルファが一番冷静だった。
目の前の少年――というか五歳くらいの男の子だ――は何を今更というように頷き首を傾げる。自分の姿が分かってないのだろう。私は、よろよろとエミルに支えられ立ち上がると机の上にあった鏡をハクアに向けてあげる。
―― ……ちーん。
ハクアの時間が止まった。
そして慌てたように立ち上がり、ぽむっと白銀狼の姿に戻る。
「可愛い!」
思わず出た声に、なんだか低い声が被さった気がする。
ちらとカナイを見ると、目を逸らされた。
柴犬の仔犬くらいだ。赤い腕輪がキラキラしている。ハクアは、その腕輪に牙を立てたが、傷一つ付く様子はない。
カナイは見せてみろと、ハクアごと抱き上げて腕輪を観察する。
へー、とか凄いな、とか零してるけど、抱えた腕をハクアに、がっつり噛まれているのは気にならないのかな? 痛くないのかな?
ややして黙っていたエミルが、我慢出来ないというように笑いを零した。
「エミル?」
「い、いや、ごめん。うん。妙だと思ったんだよ、あの、ブラックが……。今、マシロの傍に白銀狼を置くことを許すなんて」
「笑い事じゃ有りませんよ。憎まれ役を私のところに回さないで下さい」
ぐぃっと腕を引かれてエミルから離れると、背後にはブラックが立っていた。
「ブラック! これ、どういうこと?」
「時を吸い取らせただけですよ。痛くもなんともなかったと思いますよ。今も苦痛は伴わないと思います。力は体格の差がありますから、低下したかも知れませんが、魔力はそんなに変わってないと思いますし」
問題ありませんよね? とにっこり。私は別に問題ないけど。
「時間があればカナイにでも作ってもらったのですけど、急がないと何しでかすか分かりませんからね。マシロの傍にケダモノを放置しておくわけにはいきません」
唸ってる唸ってる、唸ってる。
物凄い睨んでる。
ブラックを。
ああ……でも可愛い。
大きさが違うだけで、凄みは全くなくなった。威厳とかそういうのもゼロだ。愛くるしい感じが断トツ際立っている! メロメロだ。
特にカナイが。カナイが主になれば良いのに。
「貴方が里に帰るときにでも、外して差し上げますから、用があるならそのままで済ませてください。出来る限り早急に」
カナイの腕の中に耐えかねたハクアは、何とか抜け出すと私の足元に擦り寄ってきた。可愛い。腰辺りまであった身体は今膝下くらいまでしかない。
ブラックに少し止められたけど、しゃがんだ私は小さい子を諭すようにハクアの頭を撫でた。
「ごめんね。私も知らなかったとはいえ、ちゃんと説明も出来なくて。でも、あのままじゃ誰も納得してくれなかったから……許してくれるよね?」
「もちろん、許します!」
……あんたには聞いてないよ。ブラック。
今、エミルもなんかいい掛けたよね? いわないで居てくれて有難う。
はぁ、と喜色満面のブラックの台詞に脱力感を覚え肩を落とすが、ハクアの毛並みって超サイコー。ブラックのは短毛だからね。
ハクアは大きなときと同じように気持ち良さそうに瞳を細めると、ぐぃっと額を手のひらに押し付けてくる。可愛くて思わず抱き締めた。
「マシロちゃんって、小動物にかなり好かれる傾向にあるんですね。猫とか犬とか……」
―― ……二人ともかなり小さくはないんだけどね……。