第十五話:黒猫様のいう通り(2)
追い掛けようとした私の手を、ブラックは離さない。
苦々しくブラックを睨みつけると、困ったように微笑んで「そんなに怖い顔しないで下さい」と引き寄せて頬を撫でる。そして、大きく嘆息したあと「……マシロ、何でも拾わないで下さい」と付け足した。
「ご、ごめんなさい」
その表情があまりにも重たくて、反射的に謝った。悪いことはしてないのに。
「でも、ブラック酷いよ! 気に入らないのは分かるけど、あんな風にハクアを傷つけて追い出しちゃうなんて!」
「大丈夫ですよ」
「どうして!」
食い下がった私に、ブラックは困ったように微笑み。
何とか私に分かるように、とでも思案してくれているのだろう。やや黙した後、改めて口を開く。
「大丈夫です。彼は貴方を諦めたわけじゃない。もう既に、彼はマシロを”主”と呼んでいました。白銀狼は主と定めたものには忠実ですし、離れたりはしない。近くに居ると思いますよ……」
そこまで、白銀狼のことをわかっているのなら、ハクアにあんな酷いことをいってまで追い出す必要はなかったと思う。そう思った私の気持ちを察したのか、それに……と付け足してブラックは遠くを見た。
「白銀狼と種屋は少々因縁があります。私は個人的に彼らがどうとは思いませんが、彼らは違うでしょう」
ブラックの言葉に、私はきゅっと唇を噛み締め押し黙った。
因縁があるということは、寝首を掻こうとする相手ということだろうし、それを私が引き入れてしまったということは……確かに良い話ではない。
ハクアを見た瞬間、ブラックの表情が曇ったのはきっとその所為だ。
でもハクアはそんなことしないと思うし、そんなことさせない。そう伝えようとしたら先にブラックが口を開いた。
「さて、その話はもうやめましょう。今夜は泊まりますね? 私は用事が出来ましたから、マシロはゆっくり過ごしていてください」
にっこりとそういって頬に唇を寄せる。ちゅっと可愛らしく触れて離れると、くるりと私を扉へと向けた。出て行けということか。私は、それ以上話をすることが叶わなくなったことを悟って、渋々書斎をあとにした。
日が暮れて、二つの月が真上に昇ってもブラックは寝室には戻ってこない。辺境だということもあって、ここの夜は物凄く静かで今は虫の声もしない。
最初は、ハクアを探そうかとも思ったのだけれど、ブラックがいうようにハクアは傍に居るのならそれで良いかと思い直した。
わざわざブラックが私に因縁があるといったのだから、その対象を招き入れるのは間違ってる。双方を傷つけないためにも、傍寄らないことも大事だと自分を納得させた。
暇を持て余した私は思いついて薬の調剤でもしようと部屋を出た。
こっちで生活するようになって、私は暇なときはブラックの薬を作り置きしたり、薬草棚の在庫のチェックをしたりして過ごすことが多くなっていた。
ブラックのことだから、特に抜けがあることはないのだけど、今は少しは任せてくれているのか作り置きがなくなっていることもある。
多く作ったものは、町の人にも買い取ってもらったりすることもある。まあ、儲けることが目的ではなくて、ここは辺境だし手に入らない薬草も多くあるから、破格値なんだけどブラックがそれに文句をいうことはない。
その為か、町の中でも一線を画していたこの屋敷も今は『月の館』なんて呼ばれ方をするようになっていることをこの間、近所のお爺ちゃんに聞いた。
この町に人が増えない原因は種屋だ。
残念だけど、これは事実で変わりようがない。私が知っているということを、ブラック自身が知っているかどうかは知らないけれど、ブラックは昔、ここに屋敷を構えたときにブラックにとっての面倒毎を持ち込んだ人を、片っ端から手に掛けたらしい。
だから、行く先のある人は都や他の町や村に非難した。その結果、残っているのは頼る当てのない人や、金銭的に貧しい人たちだけになってしまった。
私は、はあと嘆息して到着した半地下になっている一室の扉に手を掛けた。
―― ……あれ?
少し開けると明かりが漏れてきた。誰か居るのかな? って、居るのは一人だけど。
「……ブラック?」
居るの? と、続けて扉を開けると地下へ下る階段を、こつこつと下りて行く。地下一階の作業場は奥には温室に抜ける通路もあり、乾燥場もあり、無菌室もあるし、図書館の研究室並みに設備が整っている。
「珍しいね? どうしたの」
「マシロこそこんな時間にどうしたんですか? 眠れない?」
作業台の傍まで歩み寄ると、ブラックは手を止めて不思議そうに私を見た。私が来た目的を話すと、そうですか。と、頷いてくれたもののこんな時間から行うほど急を要するものはないと、当然のことをいってくれた。
「休んで置かないと寝坊しますよ?」
くすくすと笑ったブラックに私は眉を寄せる。否定しきれないから私は話題を変えた。
「ブラックは何をしてるの? それ、何?」
ブラックの手元を覗き込んで訪ねると、ブラックは「ちょっとした細工物です」と説明してくれたけど。用途は不明だ。
「……それって天然の魔法石?」
「ええ、そうですよ」
天然の魔法石は今とても貴重なものだ。
透明度が高くて、紅く部屋の明かりを複雑に反射しキラキラと輝いている。綺麗。
「マシロにも何か贈りましょうか? 大量に大きなものは手に入りませんが、このくらいなものなら時折手に入るんですよ。これも、偶然手に入ったものだったのですが、こうなってくるとここに来るのは決まっていたようですね。こんなにも早く、行き先が決まるなんて思っていませんでしたから……偶然は必然……と、いったところでしょうか?」
ブラックの話は良く分からないけれど、少なくとも私への贈り物ではないということは分かった。なんだかちょっとだけ残念に思うのは私の我侭だ。
でも、そうだとしたら一体誰のものになるんだろう? ブラックの手の中で細かな文字が削られる魔法石は、腕輪のような形状をしている。
種にも、それ以外の仕事にも、きっと関係ないように思う。
「マシロ……?」
「え? あ、ああ。うん。何か手伝えることない?」
ぼんやりとしていた私の顔を覗き込んできたブラックの視線から逃げて、そう訪ねるとブラックはやや不思議そうな顔をしたが、ことんっと手にしていた魔法石を机に置くと私の腰に腕を回し抱き寄せた。
「もしかして、寂しい思いをさせてますか?」
私の鳩尾辺りに顔を寄せてそう呟くブラックに、うっと言葉を詰める。
「直ぐ終わるといえなくてすみません。ですが、明日の朝までにはなんとか仕上げますから……我慢して貰えますか?」
「―― ……っ」
う、うぅーっ。
私、凄い我侭っ子みたいだ。
寂しがり屋で駄々こねて……るわけじゃない! 断じてないけど……なんだか違うよ。と、否定できない自分が居る。私はここでも、学校でも、常に誰かに構われているから、きっとやっぱりブラックが指摘するように寂しいんだ。
「続けてて、良いから……その、ここに居て良い?」
照れくさくて、途切れ途切れに口にした私に、ブラックは迷うことなく返事を返してくれる。
「構いませんよ。眠くなったら寝心地は悪いと思いますが、あちらのカウチソファで休んでください」
顔を上げてあちらと指差した先を見ると、アンティーク調のカウチソファの上に、ぽんぽんっと三つも四つもクッションが現われ、毛布がふわりと掛かった。
私がこくこくと頷いたら、ブラックはそっと腕を解いて作業に戻った。
「話、しながらでも平気?」
「平気ですよ」
私はこうして結局邪魔をする。それを許すブラックも悪い。責任転嫁。
「ブラックはさ、白銀狼の言葉分かるよね?」
「ええ、分かりますよ」
「普通は分からないの? エミルとか、最初私が白銀狼から名前を聞いたっていったら不思議そうな顔をしたの」
ブラックは手を休めずに「ああ」と、頷くとちらりとだけ私を見て笑みを深めると「思い当たりませんか?」と問い掛けて手元に戻る。
「んー……?」
思い切り首を捻った私に、ブラックはくすくすと笑いを零し答えをくれた。
「種です。マシロは言語の種を飲んでいますからね。だから、白銀狼と通じることが出来るんです。あと竜族とかとも通じることが出来ると思いますよ。彼らは文字は使いませんから……」
最初はここで主に使われているシル・メシア語すら分からなくて、意思疎通も間々ならなかったんだよね。だから……
「マシロ。顔が赤いですよ?」
「赤くないっ!」
「もしかして、思い出して赤くなってるんですか? ふふ、マシロって可愛いですね」
楽しそうに笑うブラックの後頭部に拳を構えたけど、作業中だからぐっと堪えた。
「今はもっとマシロが恥ずかしくなるようなことするのに、キスしたことが恥ずかしいんですか?」
―― ……バキっ
そのまま永遠に机に沈んでろっ!
我慢した拳を遠慮なく振り下ろして、ブラックを机に静めると私は乱暴にカウチソファに横になった。ぽすんっとクッションが一つ落ちたので拾い上げ、膝から毛布を広げて引き上げる。柔らかなクッションに頭を沈めて、復活し作業を再開したブラックを眺めていると、なんだか眠くなってきた。
きっと揺れてる尻尾に催眠効果が……ふわぁぁぁ……。
ま、どっちでも良いや、寝よ。