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お互いに負った精神的ダメージには蓋をして、研究室に戻ったら早速作業に取り掛かる。
「なんとかなりそう?」
「ええ、思ったより簡単に出来そうです。元々、身体のサイズが変わるくらいなら魔術系以外でも色々とあるんですよ。でも、マシロさんはそれを使った訳ではないようだったので……取り敢えず原因が分かれば……代用出来るものがあります」
子どもが悪戯で使う魔法食の類から、本格的な魔術。
もちろん、調剤もある。
今回は植物系の毒物の作用であることが分かっているし、それも特定が出来た。二種類の毒が混ざっているから面倒ではあるけれど、作るのに日数を要するものではない。
薬品棚から必要な薬品、薬草を取り出し、トレイに並べていると、じぃ……と、先に書き上げた処方箋を覗き込んでいるマシロさんに気が付く。
今のサイズでなければ手伝ってもらうところだけど……無理だろう。精々、邪魔をしないで居て貰うのが今一番の手伝いだ。
十中八九、今それをいうと怒られると思うので飲み込んだ。
「……暇ですか? 焼き菓子くらいは常備があると思うので」
寝食を忘れがちになる人が多いから、簡単に口に出来るものが用意してある。とはいえ、忘れるような人は、あっても忘れるけど――うっかり寝るのを忘れていた自分と同じように。
背にした棚から菓子籠を取り出して窓辺にある長机の上に置き、マシロさんもそこへ移動させる。
側には呪いの人形メアリーちゃんがいる。
僕の視線を追うようにマシロさんもメアリーちゃんを見て、びくりと肩を跳ね上げた。そそそっと距離を取って僕を見上げる。周りの気配に合わせてメアリーちゃんのガラス玉の瞳がぎょろりと動く。
「人形なのですから……眼球くらい動くでしょう? 呪われているからといって別に光線とか、魔弾的なのは出ないので害はありません」
「……フツーは動かないと思う」
それはマシロさんの世界の話だろうか? 動かないと子どもが遊びにくいような気がするけど? 僕には人形遊びをしたような記憶はないから、不具合は分からない。でも確かに表情筋も動くべきだとは、思う。
僕に話が通じないと理解したのか、マシロさんはメアリーちゃんから十分に離れ籠の中のクッキーに腕を伸ばした。
小さな平皿を引き寄せて、マシロさんがくっついたクッキーを載せる。平皿の隅っこに、ぺたんと座ったマシロさんに割ったクッキーの欠片を渡した。
「ペットになった気分なんだけど……」
「そうですね。明確に意志疎通出来るなら飼っても良いですよ」
受け取りながら、むぅ……と眉を寄せてぼやくマシロさんに口角が上がる。
「シゼはもうちょっと言葉にしなくても伝わることを学んだ方が良いよ」
「得業の後なら考えても良いです。けれど、僕に魔術素養はありませんから心までは読めません」
言葉以外でも伝わるモノ。病状というのであれば僕にも目で見て触れて……で、多少分かるんだけど。きっとマシロさんがいうのはそういうことではないのだろう。
難しい表情のまま、ネズミのようにカリカリとクッキーを齧ったマシロさんの頭をそっと指の腹で撫でる。大人しくしていてくださいね? と口にして作業に戻った。
アセラスの葉を細かく刻むと清涼とした香りが広がる。鎮静剤に用いられることが多いけど、毒消しにも効く。
数種類の材料を刻み入れ、小さな鍋でことことと煮込む。
ココスの果汁も入れてみようかな? マシロさんは甘いものが好きみたいだし、美味しく飲める方がきっと良いと思う。
一人頷いて、粉末状にされたココス果汁を加えた。
「―― ……と、寝てて良いですよ?」
退屈を体現していたマシロさんに気が付いて声を掛ける。
マシロさんは噛み殺した欠伸の所為で浮かんだのだろう涙を拭って頷いた。
***
くつくつと煮えていた薬液の上に、薄桃色と金銀に煌めく粉を一振りすると、ぽんっと白煙が上がる。望んだ反応を得られその手ごたえに頷くとマシロさんの方へと顔を上げた。
「―― ……マシロ、さん?」
吹き込んでくる微風が白いカーテンをはためかす。
壁際の机には食べきれなかったクッキー皿とメアリーちゃんがこてんっと転がっている。
足りてない。
もう一つあるべき姿が……ない。
風に頬を撫でられ、さぁっと血の気が引いた。
「ちょ、冗談やめてください。どこに隠れたんですか?」
ばたばたと机の上、下、棚の中、隙間……思いつくところは探した、が……見つからない。落ちたのかと窓の外に顔を出しても……綺麗に刈揃えられた芝がそよぐだけだ。
緊張に胸がどきどきと強く打ち痛みを覚える。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
ちゃんと見ていないと、保護していないといけなかったのに、それなのに僕は目を離した。室内の探せそうな場所はもうない。
ないとすれば――
「……僕じゃ、無理だ」
口にした唇が震える。
―― ……コンコン
「っ! はい!」
重い空気を察することなく突然のノック音に、びくりと身体を強ばらせ慌てて返事すると事務員が顔を出してきた。
「このまま、ラボをご使用でしたら使用内容の明記とサインが欲しいのですけど……」
「ぁ、……あぁ、そうですね。すみません。もう、用事は終わったので片づけます」
「そうですか? 分かりました」
ちゃんと休んで下さいね? と労いながら閉まった扉を見詰め、再び静寂が戻ってきた部屋の中で、溜息一つ。
こうしては居られない。急ごう……! ――
俯いてしまった顔を上げると、きゅっと唇を引き結び、ぱんと叩く。机上を片づけ荷物を纏めて研究室を後にした。
***
館内でも人気のないところは特に静かだ。
昼間でも薄暗がりで視界は悪く、多少駆けても四方の書棚に音が吸収され靴音すら響かないことに、慣れない者は背筋が寒くなるだろう。
「カナイさん!」
小さくなったマシロさんを宛もなく探すより、館内でじっとしているカナイさんを探す方が容易い。カナイさんは予想通りの場所で、のんびりと読書中だったようでホッとした。
「どうした? 何か面白い反応が出たのか?」
僅かばかりの喜色を含んだ声でそう問い掛けながらカナイさんは掛けていた眼鏡を本の上に置いて僕の方へと振り返る。僕は「違います」と急ぎ首を振り「マシロさんを知りませんか?」用件を告げた。
「マシロ? あいつなら今日は図書館からの依頼で温室の手入れしてると思うけど」
「居ないんですけど、探して貰えませんか?」
「ん? 良いけど何かあったのか? お前顔色悪いぞ」
いいつつ椅子に深く腰掛け直したカナイさんは、んー……と唸り瞑目し天井を仰いだ。
「数日寝てないのでその所為だと思います」
「あー……ラウさん人使い荒いからなぁ。今、ラボの引継で忙しいんだろ? マシロに振り回されるなよ?」
今現在振り回されている最中だともいえず、分かっていますと首肯するに留める。僕の返答を聞きながら
「……んー……ない。……ない……本館内には居ない感じだな」
「え」
「ちょっと待てな。……えぇと……、屋上にも、温室も……研究棟……寮棟……」
眉間に皺を寄せて探っている風なカナイさんを、見つめ握った手には汗をかく。正直普段だったら、プライバシー侵害的な観点からどうなのかと思うのだけど……こういう時は本当に助かる。だから、早く――
「あぁ、居た。中庭だな……何かやけに気配が薄いな……正確な位置が探れない」
傀儡でも飛ばすか? と続けたカナイさんに「不要です」と断る。
「直接行ってみます! ありがとうございました」
「おい、何かあったなら……!」
「あぁ、猫! 隠れて飼わないでくださいね!」
「……ぅ」
カナイさんの台詞に被り気味に僕は念推して、そそくさと踵を返し逃げるようにその場を後にした。
本棚の角を曲がる際、ちらりとカナイさんを見ると、ふ、と伏し目がちに笑みを浮かべて声を掛けた時と同じ作業に戻った。
余裕を感じるその姿をほんの少し妬ましく感じる。
彼の確固たる自信がそうさせるのだという事も分かる。
僕は一つ一つのことをこなすことすら手一杯だ。現に、持て余してい……ぃや、いないっ。
そんなことない。既に手は借りてしまったけど、でもここからはまた、僕だけで何とか出来る。
だから、無事で居てください――
今日ほど図書館の広さを恨めしく思ったことはなかった。