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白蒼月銀狼譚~二つ月の集った世界(種シリーズ②)  作者: 汐井サラサ
番外編:たこ焼きパーティーをしよう
134/141

―3―


***


「そんな必死にしがみつかなくても大丈夫だよ。ほら、もう着いたから目開けろ」


 くすくすと愉快そうに笑いながら、カナイは地上と変わりないように腕の中からマシロを解放した。


「あ、あのねぇ。人は水中で呼吸できない生き物なのっ! それを急に……」


 一言、二言文句をと、腰に手を当て口を開いたマシロは最後まで口にすることなく閉口した。

 二人の周りはドーム型の透明な壁で海水と区切られていた。水圧も息苦しさも感じない。地上と大差なかったが、かろうじてお互いの姿が確認できる程度……月明りも届かない。もう、上も下も分からない。深淵の恐怖が背筋を寒くさせる。マシロはきょろきょろと周りを見ながらカナイとの距離を詰め、カナイの胸元をきゅっと掴んだ。


「少し早かったかな……と、お前、怖いのか?」

「怖くないよ! ただ……暗すぎて……静かすぎる、から……」


 無意識に握る手に力を込める。そこで直ぐその原因と結果に結びついたカナイは、眉を寄せ「そうか、悪い」と僅かに申し訳なさそうな色を写し肩を抱いた。耳に痛いくらいの静寂と闇は、マシロに降りしきる雪に膝を折ったこと、痛みと闇を彷徨ったことを思い出させたのだろう。平気そうに過ごしても、まだ最近のことだ。


「直ぐに、明るくなるから……ほら、上を見ろ」


 そっと腰を折ったカナイが耳元で囁き、促す。その動きに合わせるように、マシロは視線を海中へと向けた。


 ―― ……ぽっ……ぽつ……ぽつぽつ。


 蛍のような小さな光が一つ、二つ、三つ……四つ五つあとは光が囁き合うように煌めき増えていく。


「わぁ……! 凄い綺麗! カナイがやってるの? 蛍みたいね!」

「俺じゃないよ。光魚の産卵だ。年に一度、一晩だけ見ることが出来るんだ。昼間のタコの影響で心配されてたんだけど……」


 破顔したマシロに胸を撫でおろし、良かったな。と、締めくくってマシロの頭をくしゃりと撫でた。


『ツアーも組まれるくらい人気なんだよー』

『女の子は、きっとこーいうのに目がないと思うー』

『『カナイが魔物退治してくれたら、きっと見られるよー』』


 にこにこというよりは、にやにやした二匹の顔を思い出し、肩を落として小嘆息。

 あんな言葉に騙されて、のこのここんなところまで来てしまった自分にも呆れる。その上、配慮に欠けるとか……また、間違えるところだった……。胃の裏側上りがぎりぎりと締め付ける様に痛み、無意識に寄せてしまった眉間の皺を押さえてぐりぐりと揉む。


「じゃあ、上の船はこれを見に来てたの?」


 魔法壁の際まで歩み出たマシロは壁に手を添えつつ首が痛くなりそうなほど仰ぎ見る。


「ん、ああ、もう大丈夫だと町長に進言しておいたからな」


 光のうねりが流線を描き揺蕩う。その雄大な様を二人で見上げながら、マシロは、ふふっと笑いを零した。何だ? と問うように片方の眉を上げたカナイに背中を預け、届かない光に手を伸ばし、ひらひらと手を泳がせて……


「きっとこうして見上げているのは私たちだけだね?」


 やっぱりカナイは凄いんだね。と笑って見上げてきたマシロに、古傷の痛みが不思議と引いた気がしてカナイは緩く口の端を持ち上げた。


「―― ……」


 カナイの笑顔に、僅かな違和感を感じマシロは吐き出すはずの呼気を飲み込んで刹那視線を泳がせた。

 また、だ。

 マシロはザワツく胸をそっと押さえ無言で今しか見ることの出来ない景色へと再び戻した。

 しばし互いに何か語ることもなく、静かに彼らの旅を見送る。美しく幻想的な自然の姿は、己の在り方を問い掛けているようで『聞きたいことがあれば、聞いた方が良いよ』そういってくれたエミルの言葉を思い出させた。そして――


「―― ……カナイ」

「ん?」


 意を決した。

 呼び掛けに首を傾けるカナイの動きに合わせて黒に近い濃灰色の髪には光魚の放つ光が落ち淡く煌めく。それがどこか儚げな影を見せる。マシロは一度だけ唇を噛んで、視線を落としたあと真っすぐに見上げた。


「今日はなんで、そんな顔で私を見るの? なんていうか……懐かしいものでも見てるみたいに」


 ひどく優しげで悲しげな瞳をして。口に出来なかった言葉を飲み込んで見詰めてくるマシロにカナイは困ったように笑って首の後ろを掻く。


「……そんなつもりは無かったんだけど……。気分を害したなら悪かった。ちょっと昔の知り合いを思い出したんだ……。今日のお前みたいに……キラキラした目で、凄いです! 流石ですね! って、バカの一つ覚えみたいに何度も何度も繰り返してたから……」


 カナイは、ぽつぽつと光が減少していくその奥を見つめるように遠くを見ながら話を続ける。


「そいつはさ、獣族なのに特出した素養は芽を出さなくて……もちろん魔術素養も大してなかった。大聖堂に居続けるのはしんどかったと思う。それなのに頑なに俺の側を離れなかった」

「へぇ……獣族なら、クルニアさんじゃないよね。今は?」


 今は……口内で反芻して暫く瞑目し細く長い息を吐ききり、カナイは瞳に水底の色を湛えて


「俺が殺した」

「……え」

「俺が殺したんだ。あいつは知ってた。俺が馬鹿なことをするのを、そして、死ぬことを……あいつは星が詠めた。未来が見えた。だから、俺が止まらないことも知ってた」


 俺があいつを殺したんだ。重ねて、拳を強く握る。爪が手のひらを傷つけるほど強く――

 マシロは、ピースを埋めるように、カナイの罪の欠片を組み立てる。言葉を探す。その僅かな沈黙に耐えかねたのか


「悪い……今日は、こんな話がしたかったわけじゃないんだ……ただ……」


 狼狽えるように口元を手で覆ったカナイは一歩下がった。合わせて、マシロは同じだけ距離を詰める。


「私が喜ぶと良いなって思ったんだよね? だから、連れてきてくれたんでしょう?」


 委縮するカナイにマシロはにこにこと告げてから――


「許すよ」

「え」

「だから、カナイがもし……誰かに許して欲しいと思うなら、私は許すよ。きっともう本人からの許しは得られないだろうから……きっとだから、カナイはずっと苦しくて、きっと誰も貴方を許すといってくれなかったんでしょう?」


 それをカナイが望んでいると分からなかったから。

 にっこりと微笑んだマシロに、カナイは否定するように首を左右に振る。けれど、マシロは重ねた。


「許すよ。それで、その子の為にカナイがそう在りたいと思っているのなら……いつでも、凄いっていってあげる。何度でもいってあげる」

「―― ……っ」


 息を呑んだカナイに、今度はマシロが困ったように微笑み「馬鹿だね」とぽんぽん胸を拳骨で叩く。カナイも背が高いから頭を撫でてあげたくてもマシロには届かない。カナイは目元を覆って深く長く息を吐きだす。


「いてぇよ……馬鹿」

「ふふ、ごめん。カナイは痛みに弱いんだよね」


 あぁ……本当に……痛すぎる……。


 最後の光が暗闇に解けるように消えた。お互いの姿すら目視出来ない。


「あ……真っ暗になっちゃったよ! カナイの馬鹿。最後みれなかったじゃん! もう、ちゃんと来年も連れてきてよっ……ほら、無精してないで視界確保してよ。暗いよ。カナイ? カナイ、ちゃんと居る?」

「居るよ。……全くお前は理不尽だな。こっち見んな」

「だから、見えないっていってるでしょ。どこ? 暗く、て……カナイ……怖い、よ」


 上も下も右も左も何も見えない。常闇の中へ放り出されたような感覚は怖い。キーンと静寂に耳が痛み涙腺をも刺激するような気がした。

 直ぐ近くに居たはずなのに届かない。宛もなく腕を伸ばし、声はすれど姿は見えず側に居たはずのカナイを探す。


「大丈夫だ。俺が居る。怖いものなんてない」


 どれほどカナイが夜目が効くのか分からないが、的確にマシロの腕を取り引き寄せると胸に抱いた。ほんの少し早い鼓動と体温に、マシロは、ほっと胸を撫で下ろし寄り掛かる。


「地上に戻ろう」

「……うん」



***



「んぁー……! やっぱり地面に足が着いてるのが良い」


 近くの波止場から宿までの帰り道。月明かりと、等間隔に並ぶ魔法灯の明かりで視界が保たれた石造りの道をのんびりと歩く。緊張に凝り固まった筋肉を解すように、空へと腕を突き上げるマシロの少し後ろを歩きつつ、カナイは月明かりが煌めく海を見つめた。


「許す……か」


 刹那瞑目し、ふと口元を緩める。あいつらと居て、責められたことなど一度もなかった。それは俺にとって居心地が良かったけれど……後ろめたくもあった。

 今夜は月が綺麗で……きっと酔っているのかもしれない――だと、したら……。


「―― ……マシロ」

「んー?」


 呼び掛ければ足を止め、顔だけで振り返る。続きを待つその姿に


「……王都に戻るのやめて、どこか遠くに行かないか?」


 もっと、ずっとずっと遠く。誰の手も誰の目も届かないようなところへ――

 出自も過去も、誰も知らないとても遠くに……――どこまで、逃げても良い気がした。一人なら逃げる意味さえない……でも――

 開いた距離を詰めるように近づけば、続きを待つように身体ごと向き合ってきょとんと瞬きする瞳に出会う。手を伸ばせば直ぐに届く。手のひらが触れる頬は暖かい。指先が震えてしまっていることがバレなければ良い。


「俺は、お前が好きだよ。大好きだ」


 震える指先を、いつものように笑い飛ばしてくれても構わない、真っ赤になって馬鹿じゃないのかと怒鳴っても別に構わない……。

 構わないのに……――

 時の間伏せた瞳が、再びカナイの姿を捕らえる。


「―― ……ありがとう」


 そんなのは予想外だ。

 二つ月を背に、マシロは静かに微笑む。白月をそのまま映したようなその立ち姿に胸が高鳴り、切なく疼く。

 俺は、魔術師だから……目に見えないものを見る力に長けていて……だから……知っていたのに……分かっていたはずなのに……。

 俺は……馬鹿だな。

 マリル教会に立つ、こいつを見たとき。俺たちとは違う異質な存在で……青い月だけが隣に立つことを許されている。二人の間には、聖域に踏みいったときと同じ空気が漂っていた。

 自分が情けなくて唇が微かに震える。知られたくなくて、俺はマシロを引き寄せ腕の中に閉じこめた。小さな身体はすっぽりと収まって拒絶するでもなく、だた俺がすることを許してくれている。

 目の奥が、じわじわと熱を持ち……溢れてくるものを堪えるように、容赦なく心臓を締め付けてくる痛みが……堪えるように……回した腕に力を込めた。

 額をマシロの肩口に擦り寄せて、体中の酸素を吐き出すように細く長い息を吐く。


「―― ……」

「……カナイ」


 身体の横に下ろされたままだったマシロの腕は、そっとカナイの背に回った。ぎゅうと強く抱き返して、優しく背を撫でる。


「明日……みんなにお土産買って帰ろう」

「……あぁ……そうだな。帰ろう……」


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