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* * *
王都と同じく辺境でも本日は晴天。明け方は僅かばかりの霧が支配するが、それが晴れれば雲一つない良い天気が訪れることだろう。
生い茂る木々の間から聞こえてくる小鳥たちの歌う声に混じって、控えめな足音が廊下を進む。
目的の部屋に来て、一つ深呼吸。よしっと一人で意気込んで、ドアを叩いた。
「おはよう……アリシア……っひ! どうしたの? 凄いクマだけど」
「ひっ! は、酷いわ……」
「で、でも、心なしかツインテールもしょんもりだよ? 私の所為かな? 所為だよね。えっと、ごめんね。ああ、でも、ご飯食べたら少し元気になれるかもだよ。ダイニン……グ、じゃなくて、えっと、ここに運んだ方が良いよね……紅茶、ミルクティーが良いかな。ストレートにする?」
飲みそびれたままでしょう? と笑ったが、とても上手くいったとはいえない。上がりきらなかった頬が微妙に緊張から引き攣っている。結局、昨夜は殆ど眠れなかった。
マシロはアリシアのことをいったけれど、マシロ自身も顔色はあまり良くない。状況は同じだろう。
「ねぇ、マシロ……」
「ん?」
「あたし……この間、貴方の話を聞いた時……エミル様じゃないのかって何度も聞いたわよね?」
質問に、マシロは遅疑逡巡し左手の指輪を右手でそっと撫でながら「うん……」と頷いた。
「今似ているかどうかなんてあたしには分からないけれど、少なくともあの時は似てると思ったわ。思ったのよ……、なのに……、なら、……どうして、彼なの?」
「それ、は……」
瞳を彷徨わせた後、マシロの瞳はアリシアを捉え静かに細められた。
「きっと……私と、彼は似てるからだと思う」
「に、似てなんかいないわよ……! 全然、まったく……! 違うと思うわっ!!」
「……似てるの」
重ねたあとの言葉が続かない。
続かなくて互いに黙した。
「辛いわよ」
「……一緒に居られないほうが辛かった……」
「そうじゃない……そうじゃなくて……」
俯いたままのマシロは、アリシアの否定に顔を上げ問い掛ける様にその瞳を見つめた。綺麗に澄んでいる空と同じ色の瞳が切なげに細められる。
「大切な人が……業を犯すのを見ていないといけないのよ。本人がどう思うかではなくて……貴方がどう受け止めるか……の、話。貴方はずっと仕方がないと割り切ったふりをして受け止め続けないといけない……それは、きっと辛いわ」
「―― ……」
マシロを思って雄弁に語る瞳に、もうマシロの姿は映らない。マシロは視線を彷徨わせ、答えあぐねいた結果……何も言えなくて唇を噛んだ。アリシアの呆れにも諦めにも似た長嘆息に、鼻の奥がツンと痛む。何とか、辛いことばかりではないこと、悪いことばかりではないことを伝えたくて間誤付いても……結局は、何も言えない。今ここで何と説いても『種屋』についての認識を改める事など出来るわけがないと飲み込む。
「馬鹿な子ね」
「え……」
一歩……二歩……アリシアとの距離が詰まる。ゼロになると同時に、ぎゅうと強く抱きしめられた。
顔を上げたマシロの視界は赤い髪で覆われ、その隙間から今日も変わらず上天気の空が覗く。アリシアの表情は分からない。分からないけれど、仕方がないなという体で笑っているような気がした。暖かくて、優しくて、花の香りがする。恐る恐るマシロが抱き返せば、ぽんぽんっと背を叩かれ撫でられた。
「アリシア」
「……何?」
「お母さんみたい」
やや思案の沈黙が落ち――
「こんな大きな娘いらないわよっ!」
せっかく心地良かった体温は離れていった。
「全く! 貴方だって聞いていたでしょ? 大体あたしは、これからせっせと勉強とギルド依頼に明け暮れて稼がないといけないのよ? 子育てまで手が回らないわ」
いって片手を腰に当て、空いた手で前に流れてきた髪を後ろへと払う姿はいつものアリシアだ。そして、視線が絡むとどちらからともなく笑いが零れた。
「お食事いただくわ」
一緒に。と付け加えたアリシアにマシロは笑みを深めた。
* * *
一安心したのか、帰りの馬車の中で先に眠ってしまったのはマシロだった。それにつられるように、一緒に肩を寄せ合い二人仲良くうとうととした。
がたんっと馬車の車輪が石を踏む揺れに、がくり☆
「ん……何?」
眠りを妨げられ不満げに目を擦る。ちらと隣を盗み見ればマシロはまだ夢の中だ。
アリシアはその肩にかかる重さを心地よく感じながら、小窓から覗く景色をのんびりと眺める。
マシロが傍に居るときの店主さんは、それほど怖いとは思わなかった。思わなかったけれど……再び種屋へ足を運びたいかと問われれば否だ。もう、二度とご縁は欲しくない。
「縁……か」
数奇なものだ。結局のところ
マシロがいなければ、王子とも縁はなかった。
縁がなければ、種を買うことは出来なかった。
種を買えなければ……あたしは――
「この子……一体何者なのよ……」
ふぅ……と嘆息して、ちらりとマシロの寝顔を盗み見る。よくよく考えれば、この髪色だって瞳の色だって珍しい……今まで何故注視することがなかったのか分からない。これが似てるといいたいのかしら? けれど、それを除けば……。
ただのお人好しで甘ちゃんで……世間知らず。馬鹿な子だと思う。
ぽとりと体の横に落とされた手には指輪が光る。『愛を叶える石』女の子がみんな憧れるそれを種屋が贈る。滑稽ではあるが笑い話にしては笑えない。
そういえば、この間していたネックレス。クリソベリルだった……ちょっと待って……店主さんの……カフスも確か……。
「……何なの……バカップルじゃない……」
「ん……何? 何かいった?」
「もうすぐ王都に入るわよっていったの」
笑ったアリシアの振動で目を覚ましたマシロは、馬車の中で、んーっと背伸びをする。それを合図にしたように馬車の速度は遅くなり停留所に止まった。
「アリシアさーんっ! どこ行ってたの? 昨日から姿が見えなくて心配したよ」
「あら、ごめんなさい。少し用があって王都を離れていたの。会えなくて寂しかったわ」
降りると同時に掛かる声。
マシロはどこで待ち伏せしていたのかちょっと怖い。と、思ったのに、掛かった声に振り返ったアリシアはいつも通りキラキラの笑顔で花を咲かせた。
「荷物持つよ♪」
「本当? 嬉しい! 助かるわ、ありがとう。そうだ、あたし戻っても少し用事があるの。今日の授業内容纏めておいて貰えると凄く助かるのだけど……」
駄目かしら? と、右手の人差し指を口元に添え愛らしく首を傾けたアリシアに千切れんばかりに「とんでもない!」と首を振り。「喜んでっ!」と胸を叩く。
「じゃあ、マシロ。貴方にもお迎えの様だわ。また図書館で……」
ひらひらっと手を振ったアリシアは、ウインク一つ残して名前も分からない(恐らく図書館生)と帰路に着いた。マシロは『お迎え』にひやりと背中に冷たいものを感じつつ――
「……おい」
「私も荷物が……♪」
ごんっ☆
声の掛かった方に振り返りながらアリシアと同じにしたはずなのに、マシロの頭には手刀が落ちる。痛いとわざとらしく頭を押さえてむくれる。
「俺、手伝いに行くっていっといたよな? なーにーをっ! 勝手に、出かけてるんだ、よっ!」
「いぃぃっ痛い! 痛いよ! バカナイっ!」
続けて、頬を左右に引っ張って憎々し気に告げたカナイにマシロはその手を弾いて抗議する。若干赤くなった頬をさすりつつ、ぶつぶつ。
「別に、ちょっと忘れてただけじゃない」
「……ほぅ」
「……う、うぅー……ごめんって」
「まぁ……探してたら、ブラックから連絡きたからいーけど……」
歩き去っていくアリシアを見詰め、カナイは首の後ろを掻きながら短く嘆息し肩を竦めた。
「大丈夫か……?」
ちらりとマシロを見て口にしたカナイに、マシロはやんわりと微笑んで「うん」と頷く。その顔に「そうか」とそっけなく口にし、手刀を浴びせた頭を今度は気遣わし気に撫でたあと、ぽんっと背中を叩いた。
「俺らも行くぞ」
「だね!」
* * *
後ろの賑やかな様子を一度振り返り、アリシアはどうしようもない笑いが浮かぶ。
マシロの背後に鬼の形相で立ってるものだから、逃げてきたけど……よく考えたら、彼だって安全株だと思う。王子様ほどではないけれど、彼にしても、もう一人の犬みたいな子にしても、将来路頭に迷うようなこともないだろうし、それなりに安定した生活を保障してくれるだけの人のはずだ。
はずなのに、あの子ときたら……――
「恋は盲目」
「……アリシアさん?」
「ふふっ、何でもないの……♪」
本当に、どうしようもない。
でも、恋するあの子はどうしようもなく可愛かったから、有事の際の逃げ場所になってあげられるくらいには……あたしも建て直さないとね!
んん……まずは……王子にご相談よね……。ダシに使った分くらいの恩はちゃんと返すわ。
この時のアリシアの決意が実を結ぶ日がくるのはまだもう少し先のお話……――
** 後日 **
「本当の本当にこんなつもりでは……しかも事後報告で……」
「良いよ。良いんだ。僕も何かお返しが出来て良かった。借りっぱなしは性に合わないし、次に頼み辛くなっちゃうからね」
大通り沿いのオープンカフェに二人の姿はあった。マシロは忙しくしている時間帯。まず鉢合わせることはないだろう。
恐縮しきりのアリシアに、エミルは困ったように笑って顔の前で手を振った。
「本来なら、プレゼントしたいくらいなんだけど……」
「それでは、今度はあたしが困ります」
「みたいだね」
お互いに笑いあったところで、アリシアは気持ちだけ、ずぃと前のめりになる。
「お世話になったからというわけではないですが……あたしは、エミル様の方が良いと思います! 応援していますから!」
「え、えぇと? うん。ありがとう。でも、王宮に戻るからといって……」
「違います。もちろん、行く行くは王陛下になられたら素晴らしいとは思いますが、そうではなくて……」
運ばれてきたココスのパイを食べるかどうか迷いつつ「マシロのことです」とくすくす。
意図を解して、エミルはふわりと頬を染めると視線を逃がし軽い咳ばらいを一つ。
「鋭意努力します」
いって赤い顔のまま笑うエミルはやはり人好きのする方だとアリシアは思う。
「さっさと諦めれば良いのに」
アリシアではない。ではなくて……
「……ブラック」
「もう直ぐマシロが来ます。マシロはあれでいて聡いですから、早急に散会してください」
出てきたと思ったらこちらの様子はお構いなく用件を告げる。アリシアはかなり驚いたのに、エミルは慣れているのか「分かった」と首肯し腰を上げる。それに続こうとしたアリシアを手で制すると
「折角だし食べた方が良いよ。ここのデザートはどれもお勧めだと聞いたから外れなしみたいだし」
一緒できなくてごめんね。とにこり。アリシアが左右に首を振ると、暇を告げる。
「気になるなら足止めしてくれれば良いのに」
「嫌です。私はマシロの動きを制限するのが嫌いなんです」
「やって嫌われるのが怖いだけでしょ」
「好きに解釈してください」
店を出ていく二人の背中を見送るアリシアからは、マシロは大変だなと苦い笑いが零れた。自分は普通で良かった。そう得心して、デザートへと戻る。ぱくりと一口頬張ったところで
「モダンブリティッシュです。ミルクティーがお勧めですが……今回はパイに合わせて淹れました。ストレートでどうぞ」
「……ぇ」
「ご一緒のお客様が、追加注文していかれました」
「え、え……」
慌てて逡巡すれば伝票も見当たらない。
「お代は頂戴しています。ゆっくり寛いで貰うよう申し受けました」
優雅に腰を折った店員はにっこりそう締めくくって離れた。アリシアはあわあわと口をパクつかせていたが、もう礼を伝える相手もいない。「王子様には敵わないわ」と独りごち仕方がないので、面映ゆい気持ちのまま穏やかな午後のひと時を味わう様に楽しんだ。
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懐かしくも感じる種シリーズ♪
突然の番外編にお付き合いいただきありがとうございます。
本編には色々織り交ぜたいことが実は色々あって、この部分もその一つでした。
今回やっと形になって嬉しいです。
これからもぼちぼち更新していくものがあるかと思いますが、一緒に楽しんでいただければと思います。
サラサ拝