―6―
***(マシロ視点)
翌朝早く、私はシゼを探して屋上庭園へと登った。
研究室に先に行けば、ラウ先生が「この時間なら、屋上へいったあと食事だと思いますよ」と教えてくれた。
きぃっと重たい扉を開けば、眩しい朝日が目に飛び込んでくる。
一瞬驚いてきゅっと目を閉じたあとゆっくりと開いて、その先へと歩みを進めた。
朝の空気はとても冷たくて、うぶぶっと身体を震わせ両腕で身体を抱き上腕を擦る。こんなところで、朝から手入れしているなんて頭が下がる。
「―― ……シゼ」
ラウ先生の話通り、シゼは屋上庭園の一角で土いじりをしていた。
花の済んだ根を掘り起こしているんだろう。きっと昨夜の月の下が生えていたところだ。そう気が付くと胸が疼く。
「どうしたんですか? 朝から珍しいですね?」
ちらとだけ私の姿を確認したシゼは顔を上げることもなく声を掛ける。
「うん……私これから、数日ここ空けるから、月の下の面倒お願いしようと思って」
「名前分かったんですね。……折角なんですから、持っていけば良いのに」
「ううん、持ってかない。シゼにあげる」
「はぁ? いらないですよ、って、ちょ、頭撫でないでくださいよ!」
しゃがんでいたシゼは、もちろん私より低い位置だ。
私はおもむろにシゼの頭に手を伸ばし、ふわふわくしゃりとその髪を掻き混ぜていく。指の間からあふれ出たスミレ色の髪が朝日にきらきらと煌めく。
そして、そのまま肩口に腕を降ろすと、ぎゅっとシゼを背後から抱き締めた。
シゼはびくりと肩を強張らせたものの、私を振り解いたりはしなかった。多分、土で手が汚れていたせいだろう。前に回している手をちらと見ただけで、溜息を落とし「なんですか?」と不機嫌そうに抗議するだけだ。
「女の子ってやっぱり占いとか好きなんだと思うんだよね。鵜呑みにするわけじゃないんだけど、ほら、やっぱり結果が良いと嬉しいじゃない?」
「ほぼ確実に当たる未来詠みのある世界でですか?」
ふっと笑いをこぼしたシゼに「う」と私は息を詰めた。
確かに、未来詠みは抽象的な部分も残すけれど解釈として間違っていなければ、外れることはない。星詠みをする人の力量に寄るけど、ブラックやメネルが詠み解くものなら、その的中率は絶対だ。
でも私はそんなものが普通に存在する世界には居なかった。
占いとか不確かでもそれを好むのは当然の心理だと思う。
「私の元の世界ではそういうのなかったの! でも、迷惑と心配を掛けたと反省しています。行き届かない姉ですみません」
「……誰が姉ですか。そんな愚姉必要ないです」
「このまま首を絞めても良いですか?」
「っ、ちょっ! 問うより先に絞めるの止めてください! それ、より、体重を乗っけるのやめて、くだ、さいっ! 重い!」
「いやいや女の子を相手に重いとかないよね。愚弟め!」
最終的にはほぼ乗っかっていた。
痺れを切らせたシゼはそのまま、すっくと立ち上がる。
ひぁっ! と短く悲鳴を上げて地面に足をつけた私を乱暴に振り返り、結局なんなんですか? と不機嫌極まりない視線を投げた。
「だから、さっきからいってるじゃん。ごめんね。と、ありがとう。を伝えたかったの」
「そんなのいわれる筋合いないです。研究室は、ラウ博士のもので僕のものではありませんし、貴方に本当のことを伝えることが出来たのだって僕じゃない。僕は何もしていません」
何も出来なかった。
苦々しく口にしてぷいっと顔を背けてしまうシゼに、私は自然と出てきてしまう笑いを堪えることが出来ずにこにこと答える。
「一緒に育ててくれたじゃない」
「べ、別に、僕は!」
「凄いよねぇ。種で何か分かったの?」
「……違います。芽が出てから分かりました……数日の差がどうしても埋まらなかった。即成長薬をほんの少し使ったものもありましたがそれは逆に早すぎた。丁度良いが得られませんでした」
しょんぼりと口にされると堪らなく愛しくなる。
なんかもうシゼが可愛くて可愛くて可愛くてむずむずする。
「お礼にはならないと思うんだけど、今、無性にシゼにキスしたいんだけど、良いよね?」
にこり。
「い! いぃぃっ! いいわけないじゃないですかっ!」
「良いじゃない。減るもんじゃなし、ケチ」
ぶすっと頬を膨らませて抗議しつつ、私は一歩踏み出すとぐいとシゼの腕を引いて、
―― ……ちゅっ
「っっ!!!」
瞬間湯沸かし器になるシゼがやっぱり楽しい。
そして相当怒られた。
私は病原菌ではないんだから、そんなに怒らなくても良いのに、ちょっと失礼だ。
でも全く反省の色のない私に諦めた頃「ありがとう」と重ねれば――仕方ないなという色を含んでいたものの――レアな笑顔が拝めたので私は満足した。
***(シゼ視点)
「マシロには無事に会えましたか?」
「―― ……えっ?!」
研究室に戻るとラウ博士に開口一番そう問い掛けられて、反射的に過剰に反応してしまった。
そんな僕の様子に「会えたんですね」とラウ博士は意味ありげに微笑む。
うう。
どうしてこの人は人心を見透かしたような雰囲気を漂わせるんだろう。
「一応、会いました」
「良かったですね?」
「どうして、僕が良かったという話になるんですか。別にマシロさんに会ったからといってどうということはありません」
しらっと落ち着いて口にしたつもりだけれど、どういうわけかラウ博士の含み笑いが濃くなったような気がする。
「花も咲いたんですね? 野生以外で花をつけるなんて、私は初めて見ましたよ? 余程大切に育てたんですね」
「―― ……そうですね」
窓辺に置かれた空色の月の下の鉢には、昨日までなかった同じ色のリボンが結ばれていた。
「屋上にも沢山咲いていましたね?」
「っ」
「余程、大切に育てたんですね」
「―― ……っ」
意図的に同じ台詞を繰り返し、にこりと微笑んだラウ博士に、僕は慌てて左頬を押さえて一歩下がった。頭の天辺から湯気が出そうなほど真っ赤になってしまったのは鏡を見なくても分かる。
―― ……そんな研究室の喧騒を、月の下だけが見詰めて微笑むようにその花びらを揺らしていた…… ――