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***(ブラック視点)
―― ……特別な日。記念日……?
寮棟の廊下を歩きつつ考えを巡らせた。
本当にさっぱり思いつかない。クリスマスとやらは確か終わってしまったと思うし……他に何があるというのだろう。
手中にある月の下が何かを示すのだろうか?
月の下といえば、高地に咲く花で……観賞用以外に特に好まれることのない花だ。特定の強い香りも有していないから、自分の好みの香水などで香りをつけることが出来るという点では女性が好んで飾るものだけれど……。
それが何と関係しているのだろう?
答えを得られないまま、部屋へと到着してしまった。
仕方ない、と諦めてドアノブを握る。まだ寝ているだろうと、ノックを控えれば予想通り可愛らしい顔をしてマシロは眠っていた。
起こしてしまうのは勿体無い。
けれど、このまま意味も分からずに花束を抱えておくのも良策とは思えない。
ぎしりっとベッドの端に腰を降ろし、そっとマシロの頬を撫でて名前を呼ぶ。少し寝ぼけているのか、添えていた手のひらに頬を寄せて、僅かに口元が緩んだ。
やはり起こすのはもったいない気がする。
そう思ったのと同時に「ん」と小さく声が漏れた。どうやらお姫様のお目覚めのようだ。
「―― ……わ」
マシロの視界を遮るように、花束を差し出せば当然のように驚きの声が出る。
ちょっぴり悲鳴染みていて可哀想なことをしてしまったかもしれない。困惑しながら身体を起こしたマシロの膝に「どうぞ」と載せる。
「これ、どうしたの?」
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫……一つ一つの色を確認し全てが揃っているのが分かると、マシロは益々怪訝な表情をした。
他人からの預かり物とはいえ、嬉しそうな顔をしてもらえない贈り物はなんとも残念だ。
「この花のこと、マシロは知っていますか?」
シゼはマシロにこの花のことを説明しろといった。
素直に従うのはどうかと脳裏を過ぎったけれど、今のマシロの様子を見れば、それは必ず必要なことなのだろうと理解した。
明らかに戸惑っている風なマシロの腕の中から、一輪抜き出し立ち上がって窓辺によると、薄いカーテンが降ろされていたのを開いて、かたんと窓も開ける。
冷たい風が、すぅっと部屋に入り込んでマシロは、寒いよ、と身体を縮めた。
「知ってるよ、この花……」
あまりに苦々しい顔をするので、マシロの台詞を皆まで聞かずに口を挟んだ。
「月の下といいます」
「え?」
「月の下という花です。高地に咲く花で、七色を持つという特色があります。しかし、その実は無色透明。不思議なことに何色も抽出できないという変わり種でもあるのですよ」
こちらへと手招きすれば、マシロは膝の上の月の下を抱えその傍になんの憂いもなく歩み寄ってくれた。
「マシロは、なんだと思ったんですか?」
「え」
「マシロはこの花を何かと勘違いしていたのですか?」
にっこりと問い掛ければ、ふわふわとマシロの頬が朱色に染まる。
「その月の下はシゼに貰いました。貴方に渡して欲しいと、」
シゼの名前が出たことに、マシロはぎくりと肩を強張らせた。
そして、恐々こちらを見上げて暫らくじっと見つめる。愛らしく丸い瞳がぱちぱちとゆっくり瞬いたあと、観念したというようにゆっくりと息を吐ききった。
「市でね、種を買ったの。誰かのことを思って育てるとその想いが、花の色に出るんだと聞いて……」
ごにょごにょと告げるマシロに「私にですか?」と当然の問いを掛ける。
こくんっと小さく頷いたマシロはそのまま俯いてしまった。髪の間から覗く耳の先っぽまで真っ赤だ。
なるほど、だから種屋で育てることも、この部屋で育てることもしなかったということか……サプライズであるべき品だったのだろう。
「ああ、なんとなく話が見えてきました」
くすくすと溢れてくる笑いを我慢出来なかった。
こんなにも喜びで溢れているというのに、マシロは益々身体を小さくする。
「そう、それでシゼはこんなに沢山の月の下を育てていたんですね」
「―― ……それは知らなかったんだけど」
ぼそっと零したマシロの肩を引き寄せて、胸に受け止めるとそっと柔らかく髪を撫でる。
「月の下は、本当に観賞以外使い道のない花なんです。それがここで咲いているなんておかしいと思いました。随分懐かれていますね」
楽しげにそういえば、マシロは短く嘆息する。シゼの意図に気が付いたのだろう。
きっと自分の望まない色の花が咲いたら、マシロが気が付く前に摩り替えるそういう意図があったはずだ。だからこそ今、手の中には全色揃っている。
そして、それが偶然、間に合わなかった…… ――。
「心配掛けちゃったな……」
マシロがしょんぼりと呟いた台詞に、優しい気分になる。優しい? そんな言葉が思い浮かぶこと自体あり得ないことだけれど。
柔らかなマシロの髪を梳き整えながら、そっと頭頂部に頬を寄せる。
マシロの温もりはとても心地良い。
「シゼは好きで心配していたのだろうと思うので、マシロが気に病む必要はないと思いますよ?」
「そう、かなぁ」
「そうですよ」
きっぱりといいきればマシロは曖昧に微笑んで「ありがとう」と口にする。
それが自分に向けられているのか、今ここにいないシゼに向けられているのか分からない。分からなくて黙ってしまえば、マシロはふふっと笑いをこぼして「ブラックにいったんだよ」と続ける。
「慰めてくれてるんでしょう? だから、ありがとう」
見上げてくる瞳に映る自分は不思議だ。
でも、嫌な気分ではない。どちらかといえば心地良く穏やかだ。