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―3―

「マシロさん……」


 自分でも意図しないところで手が伸びて、ふわりとマシロさんの髪を撫でた。

 柔らかくて、指先が滑り降りるのにあわせて光の波が泳いでいく。その感触はとても気持ち良く、どうして良いのか分からなくて困惑していた僕の気持ちのほうが凪ぎいてくる。


 僕が落ち着いている場合じゃ……いや、落ち着いていないと駄目なのか……。

 本当に、仕方ないな。この人は……。

 苦い思いが込み上げてくると同時に、不思議なほど優しい気持ちが沸いてくる。


「泣かないでください」


 顔を上げられなくて、小さく震えているマシロさんにかける声が自分でも驚くぐらい穏やかになった。


「こんなの、ただの偶然ですから……偶然貴方が手にした種がこの色をしていただけで、ほら、貴方が丁寧に世話を続けたから、とても強く鮮やかに育っているじゃないですか……この花を鉢植えで育てるなんて本当はとても難しいことなんですよ……」


 ―― ……ふ、ふぇぇぇぇ……


 言葉を切ると、マシロさんの瞳から堰を切ったように涙が溢れて止まらなくなってしまった。


「―― ……マシロさん……」


 堪えようとするのに我慢出来なくて、溢れてしまった涙は止まらない。


 こういうとき、エミル様ならどうるすだろう?

 店主殿ならどうするだろう?


 どうすれば僅かでもマシロさんを救って上げられるのだろう。


 心の痛みは目に見えない。

 どうして人は目に見えない傷を負うのだろう。


 そして、側にいることしか出来ない自分は、どうしてこんなに無力なんだろう。

 釣られて涙腺が緩みそうなのを、唇を噛み締めて何とか堪えた。



 ―― …… ――



 屋上庭園の一角には、僕が個人的に植物を栽培している場所がある。

 そこはいつでもいろんなものが芽吹いていた。大抵は貴重性の高い薬草を育てている。けれど今はそれを休んで他の花を育てた。


 日が翳っていつもなら月が支配する時間なのに、辺りは暗くどんよりとしている。雨、というよりは雪でも舞いそうだ。


「はぁ」


 もう少し、あと少しだけ早ければ良かったのに。

 教諭に呼び止められなければ間に合ったかもしれない。いや、指摘されるような箇所のあるものを提出しておいた方が悪い。分かっているのに、吐きたくもない溜息が漏れる。


 マシロさんは一頻り泣いたあと「ごめんね」と謝罪と青い花を残して研究室を出て行った「次のプレゼントを考えなくちゃ」と笑っていたけれど、明らかにただの強がりだ。


 そして、それになんとも返せない自分が更にとてもちっぽけで嫌だった。


「―― ……月の下なんてこんなに大量に植えてどうするのですか?」

「…… ――」


 さわさわと吹きぬける風にあわせて聞き知った声が掛かる。


 心がざわりとざわつき、ひんやりと冷える。

 僕は手元でさわさわと花びらを揺らす七色の花を見詰めたまま、その声には応えない。応えられない。


「マシロの様子がおかしいのですけど、心当たりありますか?」

「どうして、僕が」

「貴方のところに入り浸っていたようですから」


 なるほどと苦い笑いが浮かぶ。

 店主殿はいつもここにいるわけじゃなくてもなんでもご存じなんだな。


 つい皮肉めいた考えが浮かぶ。

 そんな気持ちとは裏腹に、手元の花は一輪一輪丁寧に摘み取っていく。せっかく綺麗に咲いたのだから。この花の価値なんて、観賞以外にない。


 ―― ……はぁ


 本当にあと少し、あと少し早ければ、あんな顔をさせずに済んだのに……後悔の念ばかりが黒く心を塗りつぶしていく。苦しくて、痛くて、こっちが泣きたいくらいだと自嘲的な笑みを浮かべて、


「何か特別な日でもあるんですか?」


 植えていた同じ種類の花を全て摘み終わると、腰を挙げようやく振り返る。

 店主殿は僕の問いに「特別?」と首を傾げた。その後ろでゆらりと真っ黒な尻尾が揺れる。


「……全く思いつかないのですが……何か関係ありますか?」

「知りません。あるんじゃないんですか?」

「どうして怒っているのですか?」

「怒っていません」


 あんなにマシロさんが必死になっているんだから、何もないということは無いはずなのに、思い当たらないだなんて……マシロさんが可哀想だ。

 ぐっと眉間に不機嫌な皺が寄った。


 それなのに店主殿はまだ不可解だというように首を捻る。

 そして、僕に問いを重ねる。


「それで、どうして月の下なのですか?」


 月の下と呼ばれる花は見た目綺麗なものの、香りもなく色を抽出しようにも、根本的なものは透明で、抜き出しても染料にはならない。

 だから大して利用価値のある花じゃない。

 それゆえ図書館では特に扱わない。マシロさんが知らなくても当然だ。


「ただ観賞するだけのものをわざわざ?」

「ええ、本当に。本当に、どうしてこんなことをしなくちゃいけないんでしょうね。しかも結局無意味だった……」


 口から出る言葉は全て棘を含み苦々しい。

 こんな風にいう必要は無い。それなのに、無性に苛々して我慢出来ない。


 それなのに対峙している店主殿は、全く気にしている素振りを見せないのに余計に腹が立つ。


 こんな大人気ない自分は好きじゃない。

 僕はもっと……そう、もっと違うはずだ。


 ふぅ……長く息を吐ききり、気持ちを切り替える。そして「どうぞ」と手に持っていた月の下の花束を押し付けた。は? と戸惑う姿に「マシロさんに上げてください」と尚押し付ければ、店主殿は意味も分からず受け取った。


「それを、マシロさんに渡して、月の下について説明してあげてください。決して占い花なんかではないと、ちゃんと伝えてください」


 どうせ僕がいったんじゃ聞いてもらえないので……ぼそりと付いて出てしまった台詞は負け犬みたいだった。


「これのせいでマシロは落ち込んでいるのですか?」

「貴方のせいで落ち込んでるんだと思います」

「え」

「兎に角、あのままでは”らしく”ないので……お願いします」


 ふぃっと顔を逸らしてそういった僕に、店主殿は何かに行き着いたのか、ふと笑みを零して「分かりました」と頷く。


「……では、私もらしくないことを……」


 と、続けられ今度は僕が「は?」と顔を上げると


「ありがとうございます」


 一言残して、その姿は掻き消されてしまった。

 はらりはらりと、幾枚か散った月の下の花びらが、ふわりと地面に落ちる瞬間風に巻き上げられ攫われてしまう様を、僕はただぼんやりと見詰めていた。


 マシロさんのためなら、闇猫も闇を捨てるんだな……ぼんやりとそんな考えが浮かんで、すぅっと吹く風が身体中にあった棘を攫っていった。

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