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―2―

 ***



 今日も間違いなくマシロさんは研究室に来ているだろう。

 このところ室長であるラウ博士は居ないことが多いから、言及されることも、からかわれることもなく最小限で済んでいて胸を撫で下ろしている。


 それにこんなことでもないと、マシロさんがあんな場所に通い詰めることはないから……なんて言葉が浮かぶと自虐的な気もする。

 研究室は僕の一番好きな空間だけど、万人受けする場所ではないことも知っている。


「シゼっ! おかえり。遅かったね?」


 がらがらと引き違い戸を開けて入室すれば、中からは場にそぐわない晴れやかな声。


 ―― ……やっぱり居た。


 その声にほわりと胸のうちが温かくなる気がして面映ゆい。それなのに「僕は暇人ではないので」と口からは悪態が出てしまっていた。でもマシロさんは微塵も気にすることなく「お疲れ様」と続けてにこり。


「見て見て、もう直ぐ蕾がつきそうなの。この雰囲気からして、絶対、赤かオレンジだよね!」

「さあ、その花は蕾から開花したときの色を予測することの出来ない種類ですからね……その花は……あの、聞いていますか?」

「ん? お茶でも淹れてあげようか」


 何度となくマシロさんが育てている花について説明しようとするのに、マシロさんに全く聞く気がない。

 僕は今日も駄目だったと嘆息して「お願いします」と頷き机上の整理を始めた。


 ちらと窓辺を確認すると置いていある鉢植えの花は、マシロさんがいう通りぐんっと天を目指して蕾が膨らみそろそろ花開きそうだ。「間に合うかな……」とひとりごち溜息を重ねる。


「溜息は幸せを落とすって私の世界ではいうよ?」

「貴方がここに通ってくるから、もう癖になってしまっているんです」


 ぶすっとそう告げてマシロさんからマグカップを受け取る。

 ふぅと静かに息を吹きかけて、ほわりと上がった湯気を霧散させた。


「今ね。アリシアに料理も教わってるんだけど、上手に出来たらシゼにもお裾分けしてあげるね? お邪魔させてもらっているお礼」

「……どうしてアリシアさんなんですか? 料理であれ、なんであれ、種屋店主殿にでもご教授願えば良いでしょう?」


 こくんっとミルクティーを一口のどの奥へと流し込んで一息吐く。

 カップの隙間から盗み見たマシロさんはふわりと頬を染めて「駄目だよ、プレゼントなんだから」とごにょごにょ。


「そうですか」


 頷いてまた溜息。

 どうして胸の奥がもやもやとするんだろう。


 マシロさんが店主殿の話をするのが面白くない。

 それを聞いているのは、とても嫌な気分になる。早く別の話題を持ち出そう。そう思ってしまうことが何を意味しているのかなんて、考えるのも面倒だ。



 ***



「シルゼハイトさん」


 今日辺り花が咲きそうな気配があった。

 今朝方はまだ色が定まっていなくて、開花時どんな色になるのか分からない。


 僕が育てているものもまだ一輪も咲いていなかった。

 ほんの少しだけ成長を早めたつもりだけれど、たった数日を埋めることの方が難しい。マシロさんが研究室に来るより早くいって、花の色を確かめないといけないのに、授業が終わったと同時に教諭に声を掛けられてしまった。


 先日研究結果を纏めたレポートを提出していたものへの質疑、ということだったから足を止めないわけにもいかなくて…… ――


「ですから、その部分の定義は……っ、分かりました。また数日うちに補足説明を加えて提出します。そちらを確認してください」

「え、ええ、宜しくお願いしますね」


 もさもさと説明している時間が勿体ない。

 僕の剣幕に僅かに押された教諭は頷いて道をあけてくれた。


「マシロさんっ!」


 慌てて研究室に戻ったときには遅かった。注意はしていたのに、間に合わなかった。

 僕の声にも気が付かない。

 マシロさんはぼんやりと窓辺に立ち尽くしている。僕は、ゆっくりと歩み寄った。


「……マシロさん?」


 今度は静かに呼びかける。

 その声でようやっと気が付いたのか、マシロさんはぴくりと身体を強ばらせた。


「―― ……あ、ごめん。気がつかなかった……えー、と、その。花、咲いたんだけど……」


 そして、顔を伏せたままゆっくりと身体の位置をずらす。

 窓辺に置かれていた鉢植えでは、八重の花びらをぐんっと空に向けて月の下が咲いていた。


 色は……


 まるで空色をそのまま移したような鮮やかな青。


「……青、だったんですね」

「赤にも、オレンジにも見えないよね……」


 花が咲くまでに嫌というほど聞かされた。

 確か、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫……の順番で相手への愛情度合いが分かる。綺麗に花開いたそれをメッセージ代わりに相手に贈れば……とか、なんとかが謳い文句になっていたはずだ。


 どうして良いか分からなくて、僕の指先まで小刻みに震える。

 それを堪えるようにぎゅっと拳を握って言葉を絞り出す。


「えーと、ですね。何度もいったように」


 実際はいいかけた、だ。

 一度も最後まで語ることは出来なかった。今はそんな自分が不甲斐ない。


「……何が足りなかったんだろう? おかしいな、絶対暖色系いくと思ったのに……」


 聞く耳持たないというよりは、他の音が一切耳に入っていないようだ。

 呼吸することすら苦しそうなマシロさんに、胸がキリキリと痛んだ。


 どうして、こんなに痛いのか分からないし、どうして、あっさり告げてしまうことが出来ないのか分からない。いつもの自分なら、あっさり「フォーチュンシードなど存在しない」といってしまっていたはずなのに……。


 それが出来ていれば、目の前のマシロさんのこんなに傷付いた顔を見なくて済んだのに。


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