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「雨、止まないと良いのに……」
優しい手つきで腰から背を撫でられ、変な声が出そうになるのを、ぐっと堪えて息を詰める。
止んでもらわないと困るっ!
止んでもらわないと、私は色々限界です。
というか、なぜ私が限界?
……普通逆のような……と、そんな虚しい思案をしていれば、少しは気がそれる。
まあ、アルファは役得というか、なんというか、とても不思議なところがあって、なんとなくその全てを許容してしまう。
だから、とても優しい気持ちになれる。
少しずつ触れ合った肌の温度が同じになってくる。
確かに人肌は温かいし、落ち着くと思う。
まだまだ、手のかかる幼い子どもに戻ったように、甘えることを許されるような気もする。
ふんわりと弧を描くアルファの金糸を、静かに撫で、梳いていく。キラキラと光が瞬いてとても綺麗だ。
「……雨、止まなくても平気?」
「マシロちゃんが居れば平気です。凄く落ち着いてる……今、僕は美しいときを刻んでいるんだろうなと、そう思っちゃうくらい満たされる」
いって顔を上げたアルファは「これって変? もしかして、僕気持ち悪い?」と私の顔を真剣に覗き込んでくる。
「え、いや……どうだろう……別に迷惑では、ない、けど……」
「本当? 良かったっ!」
……なんでアルファには、犬耳とふさふさ尻尾がついてないんだろう。滅茶苦茶分かりやすく振ってくれると思うのに。
でも、実は少し疑問だったこともある。
今なら聞いても平気だろうか?
「ねえ、アルファ」
「うん」
「アルファは、私がブラックの恋人だから、そうやって好意を寄せてくれるの?」
「―― ……え?」
大きな瞳が、意味が分からないと見開かれ瞬きする。私は、しまった! と後悔したけど、きっともう遅い。
「どういう、意味ですか?」
アルファの声色が変わってしまった。
「い、いや、別にそんな深い意味じゃ」
「僕、マシロちゃん好きですよ。エミルさん以外に、仕事関係なく守ってあげようなんて思うのマシロちゃんだけだし、こうやって少しでも近いところに居たいと思うのだって、マシロちゃんだけです」
それなのに……と勢いよく口にされ、私はとても酷いことを口走ってしまったのだと痛感する。
アルファの瞳が濡れている。
泣いてしまうんじゃないかと、恐くなるくらいに。
「もしかして、マシロちゃん……僕が、ブラックを憎んでるから、だから、あの猫の大切なものに手を出していると思ってたんですか?」
「あ、いや、その、ごめん」
「酷いです。僕は、まだマシロちゃんが猫に唆される前から好きなのに、それに、僕の怨みとマシロちゃんのことは全然関係ないのに……ずっと、そんな風に思ってたんですか?」
「あの、えっと、ずっと、って、わけじゃないんだけど、その、ごめん……」
真っ直ぐに見つめてくる碧い瞳から逃げ出したくて逡巡するのに、腕に込められた力と視線に身体中が硬く強張る。
「……さっきから、謝るってことは、僕に許して欲しい?」
いつもの無邪気さからは程遠い、艶っぽい瞳で問い掛けられ、私は無心でこくこくと頷いた。
「うん……分かった」
力の篭っていた腕が緩められると、ふわりと私の頬を撫でる。アルファの手は、剣を握るだけあって、硬くて、そして、長くそうしてきたためか人差し指の付け根が少し張り出している。
その指先が、私の唇の上を、つっとなぞる。
「火傷、もう、痛みませんか?」
「―― ……っ」
唇が触れそうな距離で、囁かれ、私はその問いに答えるより先に、きゅっ! と目を閉じて身構えてしまった。
突っぱねることが出来ない、自分が情けない。
情けなくて、目の奥が熱く痛い。
心臓が口から出そうなほど――いや、もういっそ出してしまったほうが楽かもしれない――バクバクと高鳴ってうるさい上に苦しく締め付けられる。
ふ……と、唇に掛かる吐息が熱い。
―― ……ごめんねっ! ブラックっ
と、思った瞬間、びよーん……
「ふぇっ!!」
口の両端に指を引っ掛けられ左右に引き伸ばされた。
「ぷっ! くく……。可愛いマシロちゃん。キス、されると思いました?」
「ひょふ、な、ひょと、ないお!」(訳:そんなことないよ!)
「何いってるのか分からないですよっ。あはは……」
そこでやっと手を離してもらった。
痛い……。
私は赤くなってしまっているだろう、口元を両手で揉み解しながら眉を寄せた。
酷い。
そりゃ、されても困るけど、でも、でもでもでもっ! 乙女の純情返せっ!
思わず片方の手を、ぐうに握った私にアルファは、ごめんごめん。ごめんなさーいっ! と慌てて飛びのいた。
そして、当然私は慌てて毛布を手繰り寄せることになるわけで、殴るタイミングを失くす。
「あ、雨、上がりましたね」
ひょいと、少しだけ明るさを取り戻した外を覗いてアルファが空模様と同じように明るく声を上げる。
もさもさしてたから、気がつかなかったけど、焚き火ももう消えてしまっていた。
服、は、まだ少し濡れてるけど、これで帰るわけにはいかないし、そのままだったのに比べれば随分ましだろう。
***
「さ! 王都までもうひと息! 頑張って歩きましょう」
私が奥で着替えて出てくる間に、アルファは荷物も残り火も始末してしまっていた。本当、仕事が速い。
「何、その手」
「あ、あれ? もしかして、まだ怒ってるんですか? キス、したほうが良かった? じゃあ、今からでも」
じりっと近づいたアルファと同じだけ、じりっと後退した。暫らく睨み合ったあと、折れるのはやっぱり私。
「手、繋いで帰れば良いんだよね」
いってアルファの手を取って、洞穴から外へ出た。足元はまだまだぬかるんでいるところもあるけど、このくらいなら問題ない。
ぎゅっと私の手を取り直したアルファは、足取り軽く、でも私に合わせて歩いてくれる。
「また、雨降らないかなー……?」
不吉なことをいいながら。