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「―― ……ごめんなさい」
「へ?」
いっぱい歩いたし、お腹も空いてたので真剣に食べていたら、ふとアルファに謝られた。
不思議に思って顔を上げると、小さなナイフで器用にぺろんぺろんっとココスの実を剥いでいる。
外でのアルファって、かなり優秀というか身ひとつで山篭りが出来そうな勢いで器用だと思う。
カナイは何でも魔術でやろうとするから、大抵大雑把だし、エミルはなんでも煮込もうとするので、なんか毒々しくなるし……。
「準備が悪かったのは僕のせい。それに、血なまぐさいところを見せてしまったのも僕のせいだ」
「え、いゃ、でも」
「僕のせいだ。マシロに血が飛び散らないように、十分に自分に引き付けてから切ったけど……もっと早く、殺しておくべきだった。諦めれば良いのに、なんて思ったから……ごめん……こういうとき、種屋だったら良かったのにな」
「え?」
「種屋はその身に血を浴びることはない。まあ、趣味で血なまぐさいことが好きというなら別だろうけど……闇猫はそういうのも面倒臭がりそうだ」
表情を変えることなく告げられる。それはとても酷薄に感じる。怒りが滲んでいる。
やっぱり、アルファはまだブラックを怨んでる。
私は、ぎゅっと胸が苦しくなるのを堪えて、先っぽのなくなった棒を火に焼べた。
ぱちっと僅かに勢いを増し、また、静かに燃え続ける。
「ごめん」
「良いよ……」
謝罪を重ねるアルファにも、なんだか申し訳ない。
「僕、まだやっぱり雨が苦手で、好きになれない。ブラックの、ことも、やっぱり、まだ……。いつもは、折り合いをつけられるのに、雨が降ると昨日のことのように思い出して、ごめん……やっぱり、
闇猫が大嫌いだ……殺したいくらい憎い」
瞬きもせず、苦々しく……憎々しく告げるアルファに「仕方ない、よ」としか答えられない。
それも、まだ止みそうにない雨音に掻き消されてしまうくらい小さな声で。
―― ……怨まないで、許してあげて、なんて、私の勝手だ。
「……あ」
暫らく自然の音以外は無音が続いたのに、私は、はたと遅すぎることに気がついた。
「もしかして、毛布も一枚だった? 私、占領してて、ごめん」
「いーよ、別に。それに、それ、外すわけにいかないでしょ。僕は別に気にしないけど」
ちらりと、岩に掛けられた服に視線が走る。
確かに取るわけには行かない、行かないけど、空もちっとも明るくならないし……雨のせいで外気温は下がっている。
アルファだって寒いと思う……思うけど……。
「は、半分だけ、どうぞ」
じりじりと少し離れていたアルファとの距離を縮めて、ギリギリの幅で身体を包んで巻き込んでいた分をふわりとアルファの方に掛けた。
ひんやりと冷たい空気が、伝わってくる。
「あったかい」
我慢していただけで、相当、冷たくなっていたみたいだ。そうほろりと溢して、小さく縮こまるアルファに、申し訳ない気持ちになる。
「ご、ごめんね。気がつくの遅くて、そのっ、えっと、」
とりあえず、肩が触れるくらいまではくっついた。少しでも早く暖を取り戻して欲しかったから。
「守られるべき人は、守る人間のことなんて考えなくて良いんです、よ……」
「私はお姫様じゃないから」
騎士様に守られるのはお姫様の特権だと思う。
私は一般市民だから、そんなに有り難がられるようなものじゃない。分かってるくせにと、笑えば「そうですね」と笑ってくれる。こてんっと膝に乗せた頭をこちらに向けて、マジマジと見られると、
ちょっと、いや、かなり恥ずかしい。
「そっちの端も貸してください。僕寒くて死にそう」
う。さっきまで大丈夫、気にしなくて良いといってたくせに。
調子に乗ったアルファに、眉を寄せれば「極力見ないから」と微笑まれる。
極力ってことは見られる可能性大だ。
いくらなんでもこれ以上近いのは、と思ったけれど、アルファの身体が冷え切ってしまっているのは本当で、焚き火のオレンジ色の明かりが当たっても唇が少し青い。
その原因が気がつかなかった私にあるのも事実だ。
「き、緊急避難的な、もの、だから」
ぶわあぁっと顔と身体中が熱く熱を持つのを隠すように、そういってアルファに回していた毛布の端っこを、アルファごと引き寄せた。
大判なものではないから、端を合わせると自然と抱き合う形になってしまう。
「マシロちゃん、あったかい。それに柔らかいし……」
「ちょ、どこ触ってるのっ!」
「見ないって、約束しただけで触らないとはいってないです」
アルファの屁理屈は健在だ。でも、少し調子は戻ってきたみたいで、ほっとした。
首筋に遠慮なく擦り寄ってくるアルファの頬はとても冷たい。
「痩せ我慢しちゃって」
思わず溢した。余りに冷え切ってしまっているアルファの肩を抱いた。ひやりとして、私の体温を全て奪ってしまいそうなくらい冷たい。
「我慢で済むなら頑張ります……でも、本当に、マシロちゃんあったかい……」
ごろごろとすり寄り、時折、首筋に冷たい唇が触れる。
「ちょっ!」
「駄目ですよ。毛布ちゃんと握っておいてください。寒いです」
確かに隙間が出来ると冷たい空気が割って入ってくる。入ってくるけど。
ねぇ……、アルファ、ワザとなの? 天然なの?
凄い、恥ずかしいんだけど……。
ぎゅっとアルファの背中で毛布を引き合わせて握り、恥ずかしさに顔を背ける。
それなのに、アルファは尚擦り寄ってきて、暖かいと私の背を撫で陶酔しているような息を吐く。
それが耳を掠めて凄くくすぐったい。
やめて、と声を上げようとしたら、それより先にアルファが「マシロちゃん、凄くどきどきしてる」と口を開いた。
確実に人の身体を満員電車の中の痴漢みたいに、ぺたぺた触っている貴方のせいなんですけどっ! といいたかったのに飲み込んだ。
「甘い匂いもする。ここには、雨の音も匂いも割り込んでこない……忘れていられる……凄く幸せです」
「―― ……」
そんな風に、そんな風にいわれたら、嫌だとかやめろとかいえなくなる。
じわりと目の奥が熱くなるのを堪えるように、目を閉じて大きく深呼吸。
「今、だけだからね」
「……はい、残念。僕のじゃないんですよ、ね。分かってます。我慢します」
誰のものでもないといいたいところだけど、誰かのものだというのならやはり私はブラックのものだといいたい。そんな気持ちも察してくれたのだろうアルファに、やっぱり私は強く出れなくてそっと腕に力を込める。
「今は、良いんですよね」
あっさり切り替えて、にこりと調子の良いアルファに、もうっ! と返そうと思ったけれど、ごくんと飲み込んだ。
気鬱に蹲っているアルファを見るよりはずっと良いから。