―1―
言い知れない不安を孕んで、どんよりとした空を仰ぐ。木々の間から見える空は暗い。
今にも泣き出してしまいそうだ。
さわさわと葉を揺らしていく風は、少し肌寒く気温が僅かに下がってきた気がする。
「雨、降りそうですね」
同じことを思ったのだろうアルファに「そうだね」と頷く。
アルファはまだまだ雨が好きじゃない、と、思う。にわか雨とかさらりと降り、そしてあっさり上がってしまう雨であっても、そのときにアルファに出会うことがないから、分からないけれど、それが良い証拠でもあるように思う。
「少し、急ぐ?」
走っても良いよ! という勢いで問い掛ければ、アルファはにこりと微笑んで
「ちょっとくらい急いでも間に合いませんよ」
とあっさり毒を吐く。
でも間違いではない指摘に「確かに」と同意するしかない。
基本インドア派――というより運動全般得意とはいえない――の私が走ったところで王都が簡単に近づいてくるとは思えない。
本日のギルド依頼は、採取系。
ココスという果物――木々の茂る奥地。腰くらいの常緑樹に生る、小桃くらいの大きさでルビーのように赤く、食すと甘味が強い。果実酒に適している――の実を取ってくるものだったのだけど、時期がギリギリだったから、なかなか良い状態のものが見付からなくて、予定よりもずっと遅くなってしまった。
そして、ふらふらと陽気に話しながら散策していたら、王都から結構離れてしまっていた。
―― ……ぐいっ!
「え?」
ふとそんなことを考えているとアルファに腕を引かれた。その動きでアルファが持ってくれていた籠から、ココスの実が数個転がってしまう。
「あ」
と地面を目で追えば「そんなの良いです」と尚強く引かれて、どんっと背中を大木の幹に押し付けられた。
叩きつけられたわけじゃないから平気だけど、鼻が触れそうな……というか、既に前髪が触れてるんですけどっ! 普段ならなんてことないんだけど、時と場所だけに、髪の先まで神経が通っているようで過敏に反応してしまう。
「これ、持って置いてください」
すりっと頬を寄せて耳元で囁き、目で確認は出来ないけれど、そっと私の腕に籠をかける。
どうしたの? と問いかけようとしたら、続けて、しーっと人差し指を唇に押し付けられた。
「このまま、マシロちゃんは目を閉じてください」
「え、ええっ?」
互いの体温がじわりと伝わってくるところで、そんなことを急にいわれて驚かないわけないのに、アルファは場違いに「かーわいぃ」と微笑んだ。
「マシロちゃん、真っ赤。大丈夫、恐くないですから、マシロちゃんは目を閉じて、ゆっくり十数えてください」
「え」
「ほら早く、平気だから、恐くない」
真っ直ぐに碧い目に見つめられて、意図しなくても心臓は五月蝿くなってしまうのに、平然とそういったアルファに悔しくて、私はぎゅっと目を閉じた。
それと同時に「数えて」と声が掛かる。私は一度大きく息を吸って、
「いーち……、にぃー……、さぁーん……しぃ…… ――」
「そのまま、続けて、何か聞こえても目を開けちゃ駄目ですよ」
どうして? と質問を重ねる前に、ふと被さっていた影が晴れ、瞼越しに緩い陽光で視界が明るくなる。
「ごー……ぉ、ろーぉく……」
直ぐに、私には何も察する力はないけれど、それでも気がつくことが出来るくらいの騒ぎが起こった。
幾つもの殺気だった気配が一息に距離を縮めてくる。
頬を掠めた風に――らしくなく――短い悲鳴を上げて膝を折る。それと同時、約束を忘れて目を開けてしまった。
アルファも、それに追随した気配も、私からは少し離れてしまっていた。
オーガ、よりは小さい。
野犬くらいの大きさだけれど、瞳が赤く鈍く光っている。
血に飢えた色という感じだ。
ああいう類は纏めて“魔物”と呼ばれると前に教えてもらった。
声を掛けるか迷って、私は「なぁな……、はぁち……」と超小さな声で数えることを続けた。目を閉じることは出来なかったけど、私はアルファを信じている。
勝負は一瞬でついた。
アルファの周りを囲んでいた魔物は、ざっと数えて七、八体。飛び掛ってくる順に、地面に叩き落された。
鮮血が飛沫のように上がり、雨みたいに降る。
魔物は、どさりと鈍い音を立てて地面に伏し、どろりとした赤い海に身を沈める。
私は環境上、血は見慣れている。見慣れているけれど、それでもやっぱり……。
きゅっと瞳を閉じて顔を伏せた。
「―― ……じゅ……ぅう」
「間に合いました? 目を開けても良いですよ」
おっかな吃驚顔を上げようとしたら「僕のほうは見ないほうが良いです」と遮られ、頭の天辺を掴れて、ぐいっとそっぽを向かされた。
「ちょ、アルファ」
「汚れてしまったから、見ないほうが良いです」
私の抗議を聞くこともなく、アルファは「一雨来るまでに、もう少し進みましょう」と私の背を押した。
籠の中のココスの実がまた一つ転げ落ちる。
―― ……あ
「もしかして、この実のせい」
「あいつらの好物で、縄張りだったみたいですね。ずっとつけられてた……逃げ切れないくらい間合いを詰められてしまったので、仕方なく、だったんですけど」
ぽつりと口にすれば、さらりと説明してくれる。けれど、その説明はちょっと遅いと思う。早く教えてくれていればもっと万全の準備を整えた、と、思う。
うん。多分……。
「獣は嫌だな……血と悪臭を振りまくから……」
木々がざわめくのと同じくらいの、小さな声。冷たく暗い声。そんな声で単調にそう紡ぐアルファを「え」と見上げる。
聞き間違いかと思った。
一歩半くらい後ろのアルファは、わしっと前髪を掻きあげて苦々しく曇天を睨みつけている。アルファの抜けるように白い頬の上に散った拭いきれていなかった血が、赤い涙のように見えた。
「アル、ファ……」
声に仕掛けて、ぽつっと私の鼻先に水滴が落ちた。
それに気がついたらあとは、ぼたぼたぼたっと大粒の雨が落ちてくる。
「急ごうっ!」
ぎゅっと強く私の手首を掴んだアルファは、前に出て駆け出した。直ぐに水は足先を弾くほど地面を潤してしまう。