前編
「誕生日、ですか?」
「そう。誕生日」
珍しく、ギルドの依頼を終えたあと、合流してカフェでお茶。なんてカップルらしいことをしてみる。
そして、話題も恋人同士っぽい? こともないけど、そんな話題で……。
「いつかなーと思って」
フルーツタルトの上に乗っかっていた、チェリーを口に運びながら問い掛けた私にブラックはティーカップを傾けていた手を止めて、ソーサーに戻した。
「十三月ですよ」
「は?」
「ですから、十三月です」
ああ、そうだった……シル・メシア歴は十三月あるのだ。
私は一瞬冗談をいわれているのかと思って眉を寄せそうになったところで気がついた。
「ふーん……で、何日」
「年も押し迫った頃です」
「……いいたくないの?」
「え? そういうわけではなくて、正確にいうなら、二十八日ですが、毎年あるわけではないので、適当ですよ」
ぐっ。思わずさくらんぼの種を飲み込みそうになって、そっと出す。
「誕生日適当って……」
「酷いときは三年か四年くらいはありませんからね。誕生日なんて、大した意味はないんですよ?」
動揺する私とは正反対で、ブラックはこともなくそういって優雅に紅茶を啜る。
「別に私が特別というわけでもないと思いますよ? 大抵、生まれを聞けば帰ってくるのは、寒い頃だった、とか、暑い頃だった……もしくは、何月。くらいだと思います」
「て、適当過ぎる」
「そうですか? それに、名前と同じ考えであまり他人に明かすようなものでもないのですよ」
がっくりと項垂れる私に、ブラックはとても不思議そうな声を上げ、補足説明もしてくれる。
でも、確かにシル・メシア歴は十三月で回っていて、日数に関しては毎年王宮の星詠みさんたちが決定している(らしい)ので、二十三日くらいから三十日くらいの間だったりして、歴表を作る人たち泣かせだ。それに、名前と一緒ということは、生きるか死ぬかって話になるんだろうなぁ。
本当、物騒でいい加減で有り得ない世界。
「重要ですか?」
私があまりにもがっかりしていたので気になったのだろう、心配そうに聞いてくるブラックに私は唸った。
「重要度としてどうか分からないけどさー……誕生日は祝うものっていうのが当たり前だから」
それに恋人がいるとすれば、それなりに重要な記念日になると思う。思うけど、この世界ではそうじゃないんだよね。
「どうして、祝うんですか?」
「そりゃもちろん“生まれてきてくれてありがとう”と“無事に年齢を重ねることが出来ておめでとう”でしょう?」
世界的にどうかは知らないけれど、少なくともうちの家はそうだった。ありがとうとおめでとうを同時に聞くことの出来るとても貴重な日になる。
だから、やっぱりお祝いだとも思う。
私にとって理解出来ない質問は、ブラックにとって理解出来ない答えになったようだ。続けて、カナイだって、といいかけてやめた。何があったとしてもブラックと他のみんなとでは生活してきた環境、境遇が違いすぎる。
それに…… ――
「桃、いる?」
いってフォークを置くと指先でタルトに載っていた桃を摘み上げて「はい、どうぞ」とブラックに差し出した。ブラックは、迷わず私の手を取って引き寄せると、ぱくりと頬張って、指についたクリームも丁寧に舐め取る。
くすぐったくて気持ち良い。
軽く瞼を伏せているブラックは綺麗だと思う。思うけど、個人的には、つい、ちらりと頭頂部へと視線を走らせる。
ぺしゃんっと頭に張り付いてしまっている耳が可愛い。
ちょっと酸っぱかったのかな? 空いたほうの腕で頬杖をついて、眺めてしまう。
ふふ。本当、可愛い。
そして、最後に指先に強く唇を押し当てられて離れた。
ほんの少し寂しい。
このまま、絡め取ってしまいたいけれど。大丈夫、私は理性的だからそんなことはしない。
「今年の十三月はお祝いしようね。二十八日も多分あったと思うから」
差し出していた手を引っ込めて変わりにティーカップを持ち上げる。ブラックは一瞬、どうして? と口にしそうになって飲み込んだ。
だから私は静かに続ける。
「ブラックが生まれてくれたことに感謝しているからだよ。貴方が居てくれて良かった」
「―― ……」
本当にそう思うからこともなげに口にしたのに、ブラックは何かいい掛けて軽く唇を噛むと逡巡した。目にも明らかに戸惑いと動揺が隠せていない―― 一番に、耳がぎっこぎっこ舟をこいでいる ――きっと、そんな風にいってもらったことないんだろうな。
「ですが、私は……」
いいかけたブラックと目が合うとブラックは口を噤んだ。
どこか、しょんぼりとするブラックに微笑ましい気持ちになる。ブラックのいいたいことは何通りか想像がつく。
実母に毒を盛られてしまうくらい軽い命であったとか、もしくは、自分が居たために私が元の世界を捨ててしまったとか、そういうことだろう。
そのどちらもお門違いも良いところだ。
ブラックも、私がそういって一蹴してしまうのが分かったから、口に出すことは控えた。
私たちはそのくらいにはお互いを知っていると思う。
そして、どちらともなく笑みを溢して出ようかと立ち上がった。
ブラックが会計を済ませて出てくるまでの間、私は店の外でぼんやりと夕方の忙しそうな人たちを見送る。
なんとなく、今日はこのまま帰りたくないな。
楽しい時間の終わりが近づくといつも思う。でも、いつも思いたいからちゃんとけじめはつける。
つけてるつもりだ。
今日は平日だし、明日も普通に授業がある。
「マシロ、どうかしましたか?」
そっと隣に立ったブラックに何でもないよと微笑んで、自然に手を取り指を絡める。そして、歩き始めて「ごちそうさま」と告げると、ブラックはそんなこと……といいかけて飲み込むと「どういたしまして」と口元を緩める。
「少し遠回りして帰ろうか?」
「お茶を飲んだあとですけど、夕食に間に合いませんよ?」
くすくすと冗談のようなことをいうけれど、これは本気。
私がみんなと席に着くことを大切にしているから。食事は進まなくても話は出来るし、アルファが横から取っていってくれるから残すこともない。
家族――のような人たち――とはやはり出来る限り食卓は囲んだほうが良いと思う。
私は短く息を詰めてから細く吐く。
「そう、だよね」
でも、恋人とはもっと沢山一緒に居たい。居たいけど、ぐっと堪えて
「じゃあ、帰ろうか?」
なんとか普通に口にしたつもりだけど、そんなこと簡単に見破られてしまう。
「―― ……では出来るだけゆっくり帰りましょう」
だから、ほんの少しの優しさも嬉しい。
私は握る手に力を込めて、空いていたほうで腕も絡め取る。もう夕方でみんな忙しいから、誰も私たちなんて気に留めないだろう。
そこから寮までは本当にどうでも良いような話を沢山した。
毎日会うわけじゃないから、少しでも沢山のことを知って欲しくて、私は出来るだけ多くのことを話すしブラックはそれを時々過剰に反応しながら聞いてくれる。それがとても楽しくて、私は満たされる。
「……あ」
そのせいで、どんなにゆっくり歩いても直ぐに寮棟の裏についてしまって、いつも私はここで、一緒に住むという選択肢について検討してしまう。帰る場所が同じなら、こんな風に切ない気持ちを味あわなくて済む。
数段のステップの先にある扉を見上げて、はあと溜息。出来ればブラックの前で溜息なんて吐きたくないけど、どうしても出てしまう。だって……寂しい。意図せず繋いだ手に抱え込んだ腕に力を込めてしまう。
寄っていく? と聞いても良いけど、それじゃキリがない。
「ねえ、マシロ」
「ん?」
苦々しい気持ちでいると、ブラックに呼びかけられ隣を見上げる。ブラックは私と同じ場所を見ていたけれど、私の視線に視線を私へと戻す。黒い瞳にどこかから反射してきたのだろう、夕焼けの赤が映りこんで妖しい色に光り、すぅっと猫のように細められる。
そして、優しく紡ぎ出す。
「もう少しだけ、少しだけ」
良いですよね。いい終わる前に、ぐいっと強く、けれど柔らかく離れかけた腕を引く。よろりとよろめけば、そのまま抱き締められて壁の凹凸部分に引き込まれる。
ぎゅーっと背に回された腕に力を込められて、心地良い息苦しさに襲われる。すぅっと冷えるような、涼しげな香りがする。残夜の頃に吹く爽涼の風のようで……私の心は凪ぎ居る。
うっとりと瞑目し、頬を摺り寄せた。
ああ……愛しくて堪らない。私を捉えて離さない…… ――