―3―
「兄は罪人であり、裏切り者です。大嫌いです、軽蔑します」
「リルムちゃん……」
さわさわと私たちの間を柔らい風が吹き抜けていく。それなのに……と顔を上げたリルムちゃんは続ける。
「わたしは態度で表しているのに、あの兄の不屈の精神はなんですかっ。恐いですよね。恐いですよ」
なんだかリルムちゃん必死だ。可愛い。
マシロちゃんが腕の中からするりと逃げ出すのを見送って私は苦笑した。
「えーっと、大好きなんだよ。うん。なんというか、可愛いんだと思うよ? 私も弟が居るし、正直好かれているか疑問だけど、かなり構いたくなるし。それでいつも怒られるけど……うちの兄だって私には激甘だし。年上って下を甘やかせたいんじゃないかな?」
「マシロさんのお兄さん?」
可愛らしく小首を傾げたところで「楽しそうだな」と声が掛かった。今日はぎくりと肩を強張らせたのはリルムちゃんのほうだ。
私がカナイを振り返るよりも早く、リルムちゃんの表情は凍った。
「王都の外まで使いに出るのか? 大変だな」
「ええ、あの家にはわたししか居ませんから」
キツイ。
なかなかリルムちゃんがカナイに向ける台詞は辛辣だ。
それでもカナイは顔色一つ変えずに「頑張れよ」と微笑む。
臣兄もこんな感じだっただろうか?
「ではわたしは忙しいので、」
つんっとカナイから顔を反らしたあと、私にはさっきまでとはまた違ったしゃっきりとした笑みで「ごきげんよう」と膝を折った。私も、またね。と手を振ればくるりと踵を返したリルムちゃんは一度も振り返ることもなく馬車に乗り込んだ。
その馬車が見えなくなるまで見送ってから、意外にもカナイが先に口を開く。それも予想外の内容だった。
「リルムにはお前のことを漏らすな」
「え?」
聞き間違いかと、カナイを見上げると馬車の去っていったほうを見て目を細めたカナイは真剣にいっているようだ。
「特に珍しい話をしていたわけじゃ」
「それでもだ。お前自身の話はするな」
益々良く分からない。
それに私はべらべらと話をしたわけじゃない、ただちょっと自分の兄弟の話をしただけで……それ以上は
「お前は聞かれたら答えるだろ」
う。
確かに聞かれたら答えたかもしれない。だって、カナイの妹さんだし、特に感じの悪い子じゃない。お兄ちゃんに素直になれない可愛い子だと思う。
「あいつは商人だ。もっと幼いときに俺の個人情報を事細かに調べ上げ、両親にばれないところで俺に顔を見せに来ることが出来るような子どもだ」
「……何がいいたいの?」
「信用するなといっている」
酷い。
くっと私が不機嫌に息を呑んだのが分かったのだろう。カナイは、少しだけ拙かったというような咳払いをしてから私の頭をぽんっと叩いた。
「兎に角、だ、商いをする上で、情報はかなり重要だ。あいつは持ち前の素養からその術を知っている。そして、利用するものは何でも利用できるようになる」
「そんなこと」
「あるよ。ある。それが素養だ。俺たちは逆らえない……俺が秘術への誘惑に逆らえなかったように……」
カナイが余りにも寂しそうにそう締め括るから、私はそれ以上そのことに食い下がれなかった。
「なぁ~ぅ」
二人の間に気まずい沈黙が落ちたのを感じ取ったように足元でマシロちゃんが甘えるようにひと声鳴いた。
私はそれに、はっと気がついてマシロちゃんを抱き上げる。お疲れなのか一人で歩くのも嫌だという雰囲気で、私の腕の中で丸くなる。
私の胸元のリボンが耳を掠めたのが擽ったのかったのか、ぴるぴると耳を振るう仕草に、なんとなく二人して笑った。
* * *
「でも、カナイってヘタレだから」
「ヘタレっていうなよ」
「ヘタレだから」
―― ……とりあえず重ねた。
「リルムちゃんに拒否られたら、直ぐに諦めそうなのに。やっぱり妹は可愛い?」
王都までの道すがらやっぱり私はリルムちゃんの話題を出してしまった。だって、気になったから。
カナイは、少しだけ唸って迷ったようだけど、やっぱり答えてくれる。
「母さんに頼まれたからだよ」
「え?」
「母親っていうのは妙に察しが良い。リルムが俺と会っていることを察した彼女が俺に手紙を寄越してきた。そういえば、俺が家を出てから、初めてだったかもしれない」
ふと今更思い出したという風に口にしたカナイにはちょっと呆れる。
「あいつを一人にしないでやって欲しいって、商売一筋の旦那の後姿を見て思ったんだろ。金で繋がっている縁っていうのは、強いようで脆い。深いようで浅い。これから、その世界に足を突っ込む娘を憂いだことだろうな」
ゆっくりと歩きながら、私の腕の中に居る猫を撫で、ぽつぽつと告げる。
「まあ、俺は暇だからさ。用事は多いほうが良いし……」
「そうだね。カナイはあんま要領も良くないのに、何でも背負い込むのが得意だよね」
ふとそんなことを思った。
「あのなぁ……お前可愛くないよな……本当」
「カナイは失礼だよね。私が可愛くないのくらい分かってるよ。ただ、珍しいっていう希少価値があるだけでしょ?」
冗談のような本気だ。
希少価値。
そんなことをブラックやエミルの前で口にすれば、彼らはとても傷付いたような顔をすると容易に想像がつく。
でもカナイは、そうだな。とあっさり肯定する。
「天然記念物の指定でも受けたほうが良いかもしれないな」
「あんたね……」
恨みがましい目を向ければ、にやにやと笑って人の頭を小突く。
失礼極まりない。
でも、カナイの気兼ねなさは家族のそれに似ている気がする。思わずそこに行き着いて、ふふっと笑いを溢してしまうと、カナイが気味悪そうに私を見て、腕の中からマシロちゃんを奪ってしまった。
文句をいう隙もない。
「マシロはやっぱり可愛いよな」
「なっ?!」
いって、ちらりと私を見て、ふんっと鼻で笑ったあと抱き上げたマシロちゃんの鼻先に、ちゅっと口づける。
―― ……やっぱりその名前は嫌がらせでしかない。
そう私が赤くなる顔を隠して嘆息したのも束の間、カナイの悲鳴が響いた。
寮に戻れば、頬に出来た三本傷をアルファに相当笑われていた。