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「大体、ちょっとくらい太ったって愛嬌が良いだろー。可愛いじゃないか」
なぁ? と声掛ければ、返事をするようにマシロちゃんが、にゃうと鳴く。
親馬鹿。
猫馬鹿……
こんな飼い主が駄目猫を作る! とかって見本みたいだ。
「マシロはどんな風でも可愛いよ」
不意に注がれた台詞に「え?」と「は?」がハモる。
まじまじとカナイを見ていると、カナイはじわじわっと頬を朱に染めて「っ馬鹿! 猫だよ」と怒鳴る。
その声に驚いてマシロちゃんは、カナイの膝から降りてしまった。そのタイミングを見計らって私は持ってきていた猫用おもちゃを、ぽーんっと原っぱに放ってやる。
網目のボールの中央に鈴が入っているもので、りーんっと愛らしい音を立てて草の上を転がっていった。
本能素晴らしく、箱入りマシロちゃんも機嫌良く追いかけていく。
「……分かってるよ。ちょっとからかっただけでしょ」
それを眺めつつ、ぶすっと溢す。
本当はちょっと吃驚したけど、でもまぁ、カナイはあまりそういうことをいわないもんね。
物言わぬ小動物相手にしか……独居老人みたいだ。
そう思ったことがあまりにも嵌りすぎて、私は一人で、ぷっと吹き出した。
そんな私を面白くなく眺めたあと、カナイはごろりと草の上に寝転がった。
「俺寝てるから、何かあったときか帰るとき起こして」
片方の腕を顔の上に載せ、空いたほうをひらひらと振る。私は「はいはい」と返事をして、さっきもらったチョコを頬張った。
うん。美味しい。
マシロちゃんは今度はちょうちょを追いかけている。外に出れば一応遊びはするみたいだ。
のんびりとした時間が流れていく。
私はカナイみたいにそこらへんにごろりは出来ないから、木の幹に背中を預けてぼんやりとしていた。うつらうつらと船をこぎ始めたところで
「こんにちは」
と声が掛かった。
眠い目を擦りつつ顔を上げれば、見知った美少女だ。さらさらストレートロングの髪が風になびく姿はさながら絵画のようだ。
もっと寝ぼけていたら、天使。とかほざきそうなレベルで可愛い……。
「どうしたんですか、こんなところで」
いわれて私は少し離れたところで飛び跳ねている猫を指差して「依頼中」と笑った。
「それで、えーっと」
「リルムです。お見知りおきを」
ふわりと初夏の清々しい風を思わせる笑みを溢してそう告げられ、私も改まって自己紹介をする。でもリルムちゃんは既に私の名前は知っていたようだ。
「先日、貴方とお会いしたあと兄からの手紙に書いてありました」
「……兄?」
ちらりと私は隣で心地良い寝息を立てている男を見る。リルムちゃんは気がついていなかったのか、はっとした顔をして、ぱぁっと頬を染めた。
「大丈夫よ、寝てるから」
何が拙いのか私には分からないけど、リルムちゃんの表情から焦りを感じて私は笑った。
「それで、リルムちゃんは一人で王都を出てどこへ?」
よいしょと、立ち上がりカナイが起きないように、そーっとその場を離れた。それでも目が覚めたとき私が居なかったら心配するだろうから、目の届く範囲で……。
「え、ああ、わたしはお使いで……港町の傍まで行くつもりでした」
「一人でっ?!」
驚いた私にくすくすと綺麗な笑みを溢す。そして、ちらと後ろを向けば王都から暫らく続いているレンガ道に馬車が待たされていた。
「車窓から、ちらと貴方が見えたので、ご挨拶をと思いました」
その程度のことでわざわざ止めてくれるなんて、なんて良い子で礼儀正しいご令嬢なんだ。
兄とは随分違う。
カナイならそのまま通り過ぎて、あとで何やってたんだ? と気が向いたら聞いてくるくらいだ。
しみじみと兄妹といっても似ているとは限らないんだなぁと思う。
まあ、自分も兄や弟に似ているとはあまり感じない。兄は面倒見が良すぎるし優しすぎる節がある。頭の出来も私とは雲泥の差だ。
弟は可愛くなさ過ぎる。全く持って素直じゃない。
そんなことを思い出して、ほぅと息を吐いたところで、遊びつかれたマシロちゃんが、なーぅと私の足首に擦り寄ってきた。
可哀想に……懐いた懐いたと思っても、来るのはこっちか。
苦笑してちらとカナイの居るほうを見てから、私は猫を抱き上げた。
「貴方はもっと遊んだほうが良いんだよ、マシロ」
いいつつ、喉元を撫でれば心地良さそうに空を仰ぎごろごろと喉を鳴らす。やっぱり本物の猫とブラックは違うなと、ふと思う。それと同時にきょとんとしたリルムちゃんと目があった。
首を傾げれば、リルムちゃんは恐る恐る口を開く。
「その猫、マシロさんと仰るの?」
「いや、うん、まぁ……恥ずかしながら」
ごにょごにょと続ければ、リルムちゃんは凛としていた佇まいを崩し、くすくすと楽しそうに笑った。
「わたし、てっきり貴方のことだと……」
「え?」
「ふふ、いえ、その……ふふ」
リルムちゃんはツボに入ったらしい。桔梗の花が風に揺れるように、優麗な姿で笑い続ける。
「兄の手紙に良く名前が出ていましたし、この間お会いしたときにもお二人だったので、わたしてっきりようやっと懐いた“マシロ”は貴方一人だと」
―― ……懐いてませんから。
私は複雑な気分でカナイを睨む。紛らわしいんだよ。馬鹿。
「で、でも、そうですわよね。ふふ」
「手紙は読んでるんだね?」
この間の様子ではそのままゴミ箱とかもありそうだと思えた。楽しそうにしているリルムちゃんににこりと笑いかければ、リルムちゃんはぎくりと肩を強張らせる。拙いワードだったのだろうか。
「返事は書かないので読んでいないのと同じです」
「どうして書かないの? カナイ、リルムちゃんから手紙来たら有頂天になりそうだけど」
ああ、もう想像がつきすぎてこっちが恥ずかしいよ。
リルムちゃんは少し迷った様子ではあったが、私を信用してくれているのか、話を続けてくれた。
「兄には、わたしから近づいたんです」
これは意外だ。てっきりカナイが目に入れても痛くないっ! って感じでストーキングしているんだと思った。
私がそう思ったことを察したのかリルムちゃんは、にこりと微笑む。そしてそのお人形のような顔から表情を消し去るとぽつぽつと続ける。
「わたしが生まれる前に家を出たので知らなかったんです。偶然母の書棚から姿絵を見つけて……隠すには理由があるだろうと独自に調査しました」
子どもの発想じゃない。普通ならそのまま母親に尋ねるだろう。
「探し出した記事は華々しいものばかりでしたよ? 魔術師系の最年少記録を全て塗り替えていくほどの人が自分の兄だという事実にも驚き、誇りに思いました……それなのに、」
きゅっと下唇を噛み締めて、暫し瞑目する。