―1―
今日も今日とて良い天気。
シル・メシアの雨季はもう少し先だ。暖かい日の光を受けつつ、私は通いなれたレンガ道を歩いた。
―― ……カランコロン
「いらっしゃーい」
いつものアーチ型の扉を潜ると、可愛いらしいウェルカムベルと微塵もずれることのない声に迎え入れられる。
私はその声ににこやかに微笑んで「今日は何かない?」といつもと変わらない問い掛けをする。
ギルド事務所の管理人の二人は可愛らしい長い耳を、ひょこんひょこんっとさせて顔を見合わせると「あったかな?」「あったっけ?」と左右対称に首を傾げあう。
可愛い。
そして微笑ましすぎる。
「大通りでのビラ配りくらいならあるけど」
「あるけどダメダメ」
「そう、ダメダメ」
私は足元にすり寄ってきた白猫に腰を屈めて「別に私、仕事選ばないよ?」と答えたが問題はそこではないらしい。
ふわりと猫を抱き上げれば大人しく抱かれてくれる。
耳と尻尾に少し灰色毛が混じっている真っ黒な瞳がキュートなこの仔はマシロちゃんだ。私がいうと物凄い違和感があるが、仕方ない。
もうその名前に慣れてしまってマシロちゃんと呼ばないと返事をしないらしい。
多分、私は周りから全員にいじめられているのだと思う。
最初は、カナイがこそりと研究棟の裏で飼っていたらしいが、アルファに懐きまくって研究棟に戻らなくなり、アルファがあっさり里親と称してここにあげてしまった。
あのときのカナイの落ち込み具合は半端なくて面白かった。いや、気の毒だった。
未だに、兎が猫を飼うなんて間違ってるとぶつぶついっている。往生際が悪いというか、意外にしつこい。
「目立っちゃ駄目」
「そう、ダメダメ」
「僕ら王子様に目をつけられるのこわーい」
「こわーい」
……ああ、そう。
私はまた、ランク以外に仕事の制限を受けているらしい。私のことを思ってだろうから、別に異議申し立てはしない。そうエミルたちが判断するなら、きっとそれが良いのだろう。
「……にしても、マシロちゃん、ちょっと太ったんじゃない?」
私は前足の脇に手を添えて、だらーんっと抱くとお腹が、若干……思わず自分のお腹と比べてしまう。
「マシロちゃんは断ること知らないから」
「仕方ないよね」
「ないない」
猫の話だと分かってる。
分かっているのに、遠回しに自分のことをいわれているような気になるのは自意識過剰だろうか? 私が眉をひそめたところで、からんからんっと事務所のドアが開いた。
「マーシロー」
「何?」
「……」
にこやかーに開いた扉から顔を覗かせた男の声に私はそっけなく答える。
彼は私をまじまじと見たあと、こともあろうかそのまま扉を閉めようとしたので、カウンターに乗っかっていたペーパーウェイトを投げつけた。
「殺す気かっ?!」
なかなか狙いが良い。
けれど、本人には当たらずにそれは宙に止まったあと、怒鳴った男の手の中に納まった。
「なんで逃げるのよ、カナイ」
苦々しく睨みつければ、一応事務所内に戻ってきて、バツが悪そうに首の後ろを掻く。視線は私を見ないが腕の中のマシロちゃんは、ちらちら見ている。
「いや、まー、その、なんだ。マシロ二人の相手はちょっと手に余るかと……」
「……さては、あんたね。可愛いマシロちゃんに餌付けして肥え太らせようとしているのは」
「け、健康的で良いだろ」
「いや、不健康だよっ!」
怒鳴った私に驚いたのか、白猫は私の腕から、とっと逃げ出して、カナイの足元にすり寄っていった。
……やっと懐いてもらったのか。
餌付けで……。
人事ながら切ない。
「懐かれるの見て、切なくなるのはカナイくらいだよねー」
「切ないよねー」
テラとテトも同じことを思ったらしい。私の隣で声を揃える。
「うるせーよ」
ぶっすーっとした顔をこちらに向けるが、猫を抱き上げたときには、口元が緩んでいる。
かなり締りがない。というか……やれやれという感じになってしまうのは何故だろう。もうなんか、気の毒すぎて、良かったねと頭を撫でてあげたい性分になる。
「あ、そうだ」
「そうそう」
どうしようもないなーとカナイを眺めているとテラとテトが、良いことを思いついたとばかりに切り出した。
「マシロちゃんを散歩してあげてきてよ」
「きてよー。僕らが依頼書書くからさー」
「……猫って散歩いらないでしょ?」
呆れ気味にそういった私にテラとテトは「でもねー」と声を揃える。
「そのマシロちゃん、かなり箱入りなんだよ」
「箱入りー。引き篭もりなのー」
―― ……猫が、引き篭もりって。
* * *
で、結局。
「それ、やめなよ、カナイ……」
「良いだろ。美味そうに食ってるし」
私とマシロちゃんが散歩に出るとカナイがおまけでついてきた。ついてこなくて良いといったのに「俺もパーティだろ?」とあっさり口にした。Eランク満たないくらいの雑用に手を貸すことなんてまずないくせに良くいうよ。
まあ、カナイが一緒ということもあり、私は気兼ねなく王都の門を潜って外に出た。そんなに遠出するつもりはなかったけれど、遊ばせるには広い場所の方が良いと思った。
だから、近くの原っぱまで出て、私は木陰に座りマシロちゃんを放したというのに、その隣でカナイがあっさり餌付けする。
意味がない。
意味がなさ過ぎる……。
「ほらっ! 駄目だっていってるでしょっ!」
殆ど強引にカナイの手の中から――多分猫用クッキー――を奪い取る。カナイは「あ」と声を漏らし、同じようにマシロちゃんも「にゃぅ」と切ない声を上げる。……お前ら。
マシロちゃんは私に怒ってくるかと思ったけど、カナイの手の甲に額をぐいぐいと押し付けて、もっとー、とおねだり中だ。
……可愛い。
カナイじゃなくてもそう思う。
甘やかせたくなるのも分かる。
でも、テラとテトは私たちが来る前にお昼ご飯を上げたばかりだといっていた。猫に一日三食は多い。多いと思う。十分に、ギルド事務所でも甘やかされているのだ。その上に、こんな日々を送っていたのでは太って当然だ。
……というか、自分のことのようで痛々しい。
「ったく、お前も何か欲しいのか?」
カナイは猫を膝に抱き、ポケットを探ると「ほら」と私に小さな包みを渡す。飴玉くらいのものだけど……。
「何、これ」
「何って、多分チョコレートだろう? マシロのおやつ買ったときに、俺にもってもらったんだよ」
じぃっと手の中を見ている間にカナイは立てた膝に猫を転がして、お腹を見せているマシロちゃんの腹を撫でている。
この上なく、お互い幸せそうだ。