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前編

 寮の自室にて、明日提出予定のレポートを書いていた。

 資料はカナイが集めてくれたし、必要項目も抜粋してくれているから、私はそれを纏めるだけという簡単な作業だ。


 至れり尽くせりだよね。


 感謝しながらも苦笑する。

 カナイ、そっけなく見せてなかなかに私を甘やかせていると思う。


『どうせ、腰掛け程度なんだからこなすだけこなせば良いだろ?』


 最初はそんな感じだったけど、こちらに戻ってからもその調子だからいい訳にすらなってない――これだけ簡潔、的確に纏め上げることが出来るのに、身につかない。自分の中には決して蓄積されないのだそうだ……素養とはかなり厄介だなと常に思う――とはいえ、素養ありの私でもあと一息掛かりそう。

 私は椅子を傾けて、ぐーんっと背伸びをする。


 開け放った窓からは柔らかい夜の風が吹き込んでくる。

 心地良いなと瞳を細めた。


 その風に乗って、かちゃっとドアが開いて閉じる音がした。


「あれ?」


 こんな時間からお出かけかなぁ? 右隣は非常口だ。音がしたのは反対のエミルの部屋から……。音だけで声はしなかったから、誰かが来たというわけでもないだろう。

 夜は基本的に寮棟の玄関が閉まってしまうまでに戻っていれば、そのあとは自由だ。

 寝ていようと起きていようと、館内を出歩こうと咎められたりはしない。


 まあ、廊下で寮監さんに出会えばそれなりに注意はされるけど。


 私は少しだけ迷って、かたんっと椅子を元の位置に戻すと立ち上がった。あとをつけるわけじゃないけど、少し気になる。


 ちょっと確認するくらい良いよね。


『主?』


 ベッドの上で丸くなっていたハクアが、私の動きに頭を上げた。私はその姿にもう一度休むようにジェスチャーしながら微笑む。


「少しエミルの様子を見に行くだけだから」

『共に……』

「ううん。平気、直ぐに戻るから良い子にしてて」


 私がきっぱりと続ければ、ハクアはそれ以上は食い下がらなかった。そして、さっきと同じように腕の間に頭を埋める。


 ベッドヘッドにかけていたストールを引っ張って肩に羽織ると、私は部屋を出た。


 夜の廊下は、しんっと静まり返り魔法灯も足元を照らすだけの間接照明しかない。無音で無機質な通りは、この扉の全てに人が居るはずなのに、無人のように感じさせてちょっと恐い。


 少しだけ探して、見付からなかったら直ぐに戻ろう。

 そう決めて頷くと私は歩き始めた。


「あれ?」

「ひっ!」


 廊下の角を曲がると、何かにどんっ! とぶつかった。声が聞こえたから何かというよりは誰かだ。

 私は息を呑み身体を縮めた。

 見上げれば人。当然だけれど、良かった。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。


「こんな時間からどこへ?」

「え、ええと」

「用事ないなら俺の部屋にでも来ない? ルームメイトも寝てないと思うし、一緒に話でもしながら飲まない?」


 寮棟の廊下でナンパされてしまった。

 そういって、じぃっと頭の先から足の先まで眺められ、居心地悪くストールを胸元で引き絞る。こんなことなら、ハクアについてきてもらうんだった。


 断る理由を考え遅疑逡巡している私が、ほんの少し後悔している間に、おいでよ。と手首を掴まえられて、びくりと身体を強張らせた。


「お待たせ」


 ああ、私は運が良い。

 丁度掛かった天の声に、私の手首を掴んでいた手は離れた。というか、静かに、でも、確実に叩き落された。


「なんだ、やっぱりお守り付き?」


 叩かれた手を軽く振って肩を竦める寮生に、私の隣に立っていたエミルはにこりと微笑み「ごめんね」と口にした……けど、声色はそんなに穏やかそうには聞こえない。

 それを直ぐに感じ取った寮生は、良いよ。と苦笑して、私には、また機会があったらと手を振って廊下を歩き去っていった。心持足早に。


 その後姿が見えなくなると、ほぅと一息吐く。


「良かった」

「こら、良かったじゃないよ? どうしたの、こんな時間に」


 当然のような咎める声に私はしゅんっと肩を落とした。

 私は自分の足先を見つめながら「ごめん」と謝って、ごにょごにょと続ける。


「エミルが出て行くのが聞こえたから……こんな時間にどうしたんだろうと思って」

「え?」

「何かあったのかなーと気になって……ごめんね」

「あ、ああ、そうか。そうだよね。お隣さんだもんね」


 そんな答え予想もしていなかったのか、少し驚いた風なエミルを見上げると、ほんの少しだけ頬が赤い。

 きょとんと首を傾げれば目が合って、エミルはどこか恥ずかしそうに微笑んだ。そして、


「ちょっと、飲みたいなーと思って、お酒を拝借しに、ね?」


 と三五十mlくらい入りの小瓶を持った手を振った。こつんかつんっと瓶同士が触れ合う音が、小気味良く響く。

 そっか、と笑った私にエミルは「一緒に飲む?」と続けた。



 * * *



 寮の屋上には初めて上がった。いつもなら、図書館の屋上庭園を利用するからこっちも上がれるとは思ってなかった。


「寮の屋上ってこんな風なんだね? 初めてだよ」

「こっちは用がなければ殆ど人が来ないから、僕は時々来るんだ」


 その言葉通り常連なのだろうエミルが、こっちこっちと手招きするのについていく。


 屋上庭園よりは、点在する小さな温室が目に付く。

 ネームプレートが掛かっているから生徒が個人的に作っているものなんだろうなーと想像がついた。


 どうぞと軽くベンチを叩いて勧めてくれる。何も用意がなくてごめんと謝ってもらった――多分、ベンチにかけるハンカチとか、そういうのがないという意味だろう。そういうところがスマートに、さらっと出るエミルはやはり王子様だ――けど、私はそんなにお嬢様ではないから気にしない。

 気にしないでと、腰を降ろすとその隣にエミルも腰を降ろした。


 木々が近くあまり空は覗かない。

 でも葉の擦れる音が心地良い。

 かなりマイナスイオンを発生している場所だと思う。


 きゅっきゅっとコルクを抜く音がして、どうぞと一本渡してもらう。もちろん、その際にはグラスを持ってこなかったことも詫びてもらった。でもこれは直接口をつけて飲むのを想定して作られている量のお酒だ。

 だから、別に問題ないと思う。


「ありがとう。あ、でも、私にこれ全部は過ぎるかも……」

「良いよ、そのときは僕が貰うから」

「え……」


 思わず間接キスとかそんな可愛らしいことを思い浮かべてしまって、まだ飲んでもいないのに私の頬は熱くなってしまった。

 でも、エミルにそんな考えはなかったのだと思う。そんな私に「うん?」と首を傾げ自分の分を軽く呷った。


 ふぅと吐いた吐息が艶っぽい。


 それを、見届けたあと、私も瓶に口を付ける。

 こくんっと喉の奥へ流し込んでから、ふと気がつく。


「これ……」

「カルヴァドス。リンゴのお酒だよ」


 ふんわりとした甘さが口内に広がって、もうひと口とあとを引く。どちらかといえば、悪酔いするタイプの飲みやすいお酒だ。

 香りも甘さも優しくて美味しい。そういえば、


「エミルは麦酒は飲まないの?」


 別にどちらでも良いんだけど、ふと問い掛ければエミルは短く唸って「笑わないでね?」と前置いた。


「僕、苦手なんだよ」

「苦味が?」

「ううん。そっちじゃなくて、気泡が口の中で弾けると痛い気がする。だから、飲まないわけじゃないけど、発泡酒全般苦手」


 ……ぷ。


 あまりの可愛らしい回答に私は口元を押さえた。「笑わないっていったのに」と困ったように眉を寄せたエミルは「ごめん」と謝りつつも笑ってしまっている私につられて笑みを溢す。


「あれ? でも前にシャンパーニュは美味しいって飲んでたよね」

「え……あ、あー……あれ、ね。花見のときだよね? うん、美味しいのは美味しいと思うよ? それにあのときマシロが美味しそうに飲んでたから……」


 目を泳がせつつ恥ずかしそうに答えるエミルが、ちょっと可愛い。


「何を飲むかじゃなくて、誰と飲むか? ってことかなぁ?」

「―― ……何を飲むか、じゃなくて、誰と飲むか?」


 エミルはご丁寧に私の台詞を繰り返した。

 きっと私も、知らない人たちに囲まれて飲むお酒は苦くて喉を通らないだろう。それだったら、やっぱりエミルやみんなでわいわい騒ぎながら口にするほうが良い。


 そう思って、膝に置いた瓶を両手で包み込んで見つめると、口元が緩む。そんなときに、


「マシロって凄いね」


 急にそんな風に振るから「え?」と間抜けな声をあげ顔をあげてしまった。


「凄いよ……マシロは自然と美しいときの在り処を教えてくれるんだね」

「え? えぇっ?! そ、そんな大それた話じゃないよ」


 どこか尊敬染みた視線を投げられて、綺麗に微笑んでくれる。

 私はそれについ過剰に反応してしまった。エミルは、そんな私を楽しそうに見たあと「ううん、凄いよ」と繰り返した。

 そして、こくんっとまた一口飲んで、ほんの少しだけ頬を染めてふんわりと微笑んだ。


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