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カナイ視点

 ―― ……いつもと変わらない昼下がり。今日も俺は、館内の一角で身にならない読書をしていた。


「カナイっ!」

「んー、何?」


 足音を消すこともなく駆け寄ってきたマシロに名前を呼ばれて顔を上げる。

 少し息が上がって頬が上気している。

 マシロがバタバタしているのはさして珍しい話でもないが……そう思いつつ、俺は本を閉じると眼鏡を外し、目頭を二本の指でぐっと押さえた。


 続きを促した俺に、マシロはまどろっこしそうにして答える。


「助けて欲しいの!」

「ちょ! は?」


 いって俺の手首を掴まえて引っ張る。いつも思うが結構な馬鹿力だ。空いた手は胸元を押さえている。どこか調子でも崩したのか? 疑問に思いつつもぐいぐい引っ張るマシロについて、館内をあとにした。


 寮棟を抜けて、中庭に出る。

 ひんやりとした風が吹いているこの時期に、俺も含めインドア派の多いここの連中が外に出ているわけもなく、人っ子一人いない。


 マシロはその一角にあるベンチに、俺を座らせておもむろにボタンに手を掛ける。

 反射的にその手を掴んで「ちょっと待て」と突っ込んでしまった。

 マシロに恥じらいとかそういう類がかけているのは分かる。分からないでもない。だがしかし、外で何をするつもりだ。


「待てないよっ!」


 気を使ってやったのに怒鳴られた。

 仕方ないからその手を解放してやると、上着の中から猫を出してきた。


 仔猫だ。

 生まれてそんなに経ってない。


 でも一見して分かる。死に掛けている。

 明らかに命を繋ぐのは無理だ。


 マシロの必死な様子に、仔猫を受け取れば、それはより確実になる。


 この仔猫は生きられない。


 何度か撫でて中の様子を探れば、少し中がおかしい。足りない臓器がありそうだ……他の部分と癒着してしまっているのかもしれない……。今呼吸しているのが奇跡だ。

 それを正直に伝えようとしたら、必死に遮られた。真っ直ぐに見つめて、事実を否定している。


 マシロも薬師の端くれだ。

 全く分からないわけじゃない。それでも何とかして欲しいと、俺に頼んできた。必死で食い下がるその姿に、何とか手を尽くしてやりたいとは思う。俺だって無駄に命を搾取するようなことはしたくないし、助けられる範囲のことなら助けてもやりたい……だから何とか出来ないかと思案しても答えは変わらない。


 俺に何とか出来るとしたら……マシロに嘘をついてやることくらいだ。

 だから、分かったと、面倒を診ると、いったのにマシロは俺の手に完全に委ねることをしなかった。


 どうして……。


 ぎゅっと胸が苦しくなったが、いいだしたら聞かないだろう。仕方なく俺は了承した。

 部屋に戻る早々。

 猫にはみゃあというありふれすぎた名前が付いた。今日明日尽きるだろうものに、名前なんて必要ないといえない自分も弱い。


 それからエミルにミルクに混ぜる薬の調剤を頼んだ。

 エミルはいった通りのものを直ぐに用意したが、マシロの部屋へ届ける準備をしていた俺に「良いの?」と問い掛けてくる。


「あの仔、みゃあちゃん? マシロの傍に置かないほうが良いんじゃない?」

「―― ……」


 俺もそう思う、という台詞を飲み込んだ。

 それを察したのかエミルは困ったような笑いを溢して「早く飲ませてあげて」と俺の背を押した。俺はこれからを想定すると、深い溜息を吐き頷くのがやっとだった。


 数日、持つだろうか……。

 薬を運びつつ、気分は物凄く重かった。


 そして、やはりそのときは直ぐにやってきた。マシロは、それでも諦めきれない様子で、何度も何度も薬を混ぜたミルクをみゃあの口に運ぶ。

 あまり小動物の相手には慣れていないのか、とても不器用そうだ。


 もうやっても無駄だと分かってる。

 どうしようもない。


 それなのに、やめないマシロに我慢出来なくなって、変わってやった。

 何とか一口は流せたものの、次は無理だろう。変なところに入って溺死になっては洒落にならない。それが理解出来ないという風なマシロに「これ以上は無理だ」と告げる。


 酷なのは分かってる。

 分かっているけど、どうしようもない。


 魔術も、薬も、その尽きかけた生命量をどうにか出来るような方法はない。

 マシロはギリギリまで、尽きるそのときまで何とかしてやりたいと思っているのだと思う「でも、」と縋るように溢した言葉に、俺は辛辣とも取れる台詞を続けた。


「駄目だ。無理にやれば苦しむだけだ……もう、分かってるんだろう?」


 俯き、きゅっと唇を噛み締めるマシロに心が痛む。だから


「だから、お前が面倒みなくても良いっていっただろ……」


 いったのに。俺が一人で見届けて、一人で送り出すつもりだったのに。鉛のように重い心が少しでも軽くなるように、長く深く深呼吸を一つした。

 それと被ったから一瞬マシロが何をいったのか分からなかった。


「―― ……けて」

「は?」

「助けて、あげてよ……助けてあげて……。天才魔術師なんでしょう? 猫好きでしょう? 見捨てないで、助けてあげて、駄目だなんていわないでっ、いわないでよ……」


 真っ直ぐに見上げてくるマシロの言葉を受け止め切れなくて、俺は目を逸らした。きりきりと胸のうちが痛む。


「可哀想だよ……まだ、こんなに小さくて、何も楽しい思いをしてないよ。もっともっと生きなくちゃ。ねぇ、カナイもそう思うでしょう」


 小さな手が俺の腕を掴み懇願してくる。マシロが思うことも、いいたいことも、分かる。分からないわけじゃない。分からないわけじゃ、ない。


 だけど、俺には……天才だなんて名ばかりの俺にはどうしようもない。


 マシロの大きくて丸い瞳が、昔の記憶と被る。

 いつも俺を見上げていた。

 俺だけを見て崇拝しているようでもあった。


 何でも出来る。

 不可能なことはない。

 凄い凄いともてやはした。


 でも、結局俺はそいつすら守ってやれなかった。

 俺は……。


「……お願い、だよ……」


 目を真っ赤にして、涙をたくさん浮かべた瞳がキラキラと光る。なみなみと瞳の淵に溜まった涙は、マシロの瞬きを待たずして、はらりと頬を伝った。


 ずきんっと胸が痛み、息苦しくなる。苦しくて、堪らなくて、俺は闇雲にマシロの腕を引いて抱き締めた。

 マシロからふわりと香る甘い香りに、胸の苦しみが僅かに解け、涙腺が緩む。


「―― ……っ、すまない」


 謝ることしかできない。

 一度溢れ始めた涙は簡単には止まらないのか、マシロは時折しゃくりあげながら、俺に話を続けた。


 異世界の魔法使いはとても万能らしい。

 もし、俺がそうだったなら、みゃあを失わなくても済むだろう。


 この涙もこの痛みも必要ない。


 そう、俺は万能じゃない。

 寧ろ無能だと罵ってもらったほうが良い。


 どんなに優れた素養を持っていても仔猫一匹救えない。女一人泣き止ませることが出来ない。本当に、無能だ。

 許しを請うことしか出来ない。


「ごめん、なさい……」


 繰り返す俺の謝罪に心苦しくなったのか、マシロはぽつりと謝罪した。


「にぃ……」


 それに答えたのは奇しくもみゃあだった。そんな力残っていないはずなのに、耳元に届いた声に腕の力が緩んだ。


 誰かの手がなくては、生きられない小動物が好きだ。

 異世界から落ちてきて、迷走するマシロが好きだ。

 無能なはずの自分でも何か出来ている気になる。


 小さな生き物は寿命も儚い。


 だから、これまでだって、何度もこんな思いはしてきた。だから俺は慣れている。慣れている俺とは違って、マシロはきっと慣れていない。

 殺しても死ななさそうな猫くらいしか傍にいないのだから……。


 それなのに、わんわんと声を上げて泣きそうなのを、堪えてしっかりと見届けようとしているマシロに胸が苦しくなる。

 俺は、迷わずマシロの手を取った。取っただけの手にマシロが、きゅっと力を込める。少しだけ震えている。同じだけの力で握り返せば、ふと、一瞬だけ、目が合った。


 胸の奥が、ことんと音を立てた気がする。


 そのあと十も待たずに、みゅあは息を引き取った。とても静かに……穏やかな声を上げて。


 小動物の乖離はとても早く、短い。

 感傷に浸る間もないだろう。


 それでも、マシロはそれを感慨深そうに眺めていた。


 その姿を眺めていると、また、泣きそうになった。

 ぐっと目頭を押さえつけて堪えると、隣りに突然現われたブラックに、肩を強張らせる。

 ちらとだけ俺のほうを見たブラックは、少し慌てた様子でマシロの様子を見に隣りに膝を折った。


「マシロ? どうしました? どうしたんですか?」


 矢継ぎ早に問い掛けられる台詞にマシロは、ふっと口元を緩めた。そして、一言だけ「大丈夫だよ」と答える。


 それを待っていたかのように、エミルとアルファが、そーっと部屋の扉を開けて顔を覗かせてきた。



 ***



「あれ? カナイさん泣いてたんですか? 目があかーい」


 マシロの意味の分からない儀式を眺めていたら、案の定アルファに突っ込まれた。


「マシロ、大丈夫? 泣いてなかった?」

「お前逃げてたろ?」

「別に逃げてないよ、ただ、ちょっと、慰める言葉が思い浮かばなくて……だからその」


 ごめんね? と苦笑して締め括ったエミルに呆れたような笑いが零れた。マシロの悲しみの基準はきっと俺たちのそれとは違うから、理解し難い。

 でも、作ったばかりの墓の前から膝を上げたマシロは、どこか吹っ切れた顔をしていたから「大丈夫だろ」とそうはっきりと思えた。


 腕の中の黒猫に刹那睨まれた気がするが、きっと気のせいだ。

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