第9話:錆の残響
西の果て、世界はついに色彩だけでなく、生命の気配すらも失ったようだった。
目の前に広がるのは、見渡す限りの鉄屑の山。
かつて栄華を極めた古代都市の残骸か、あるいは魔法騎士団が「不浄」として切り捨てた文明の墓場か。巨大な歯車や折れた鉄骨が、灰色の空を突き刺している。
俺は、右手の感触を確かめようとして、すぐに止めた。
ないものを探すのは、エネルギーの無駄だ。
ボロ布で固く縛り付けた『スクラップ・スラブ』の重みだけが、肘の関節を通じて「そこにある」ことを教えてくれる。今の俺にとって、この鉄塊はもはや武器ではなく、欠落した身体の一部を埋める補木(添え木)に等しかった。
「……死に損ないが、また一人」
ガサリ、と鉄屑の山が崩れる音がした。
振り返ると、巨大な蒸気釜の陰に、一人の影が座り込んでいた。
年の頃は十代半ばか。汚れを塗りたくったような灰色の髪に、右足は膝から下が、錆びたボルトで繋がれた不格好な「義足」に挿げ替えられている。
「……あんた、右手の神経、完全に焼けてるね。それも、一時的なもんじゃない。根こそぎ持っていかれた顔だ」
少女の瞳は、片方が不自然なほど濁り、もう片方は異様なほど赤く発光していた。
『回路過熱』の代償として、視覚の一部を変質させた者特有の眼だ。
「……何者だ」
「ニカ。この墓場で、あんたみたいな『焼けた連中』の残骸を拾って、継ぎ接ぎして食い繋いでる、ただの調律師だよ」
少女――ニカは、手元にあった小さなスパナを、独楽のように回してみせた。
彼女が動くたび、背負った大きな鞄の中で、金属同士が触れ合う乾いた音が鳴る。
「西へ行くんだろ? アイアン・グレイヴへ。……でも、今のままじゃ街の入り口で野垂れ死にだよ。あんた、回路の熱を逃がす術を知らない」
「……そんなもの、必要ない」
「強がるね。でもね、あんたが担いでるその『錆の塊』。そいつ、不純物を吸いすぎて、あんたの体内の魔力循環を逆に汚染し始めてる。感覚を失うスピードが速すぎるのは、そのせいだよ」
ニカの言葉に、俺は眉をひそめた。
確かに、この鉄塊を手にしてから、五感の剥離が加速している自覚はあった。
だが、それが武器のせいだとは考えもしなかった。
「……直せるのか」
「タダじゃあね。調律師の掟は『対価の等価交換』。……ま、あんたのその面白い武器、近くで見せてくれるなら、街までの案内くらいはしてあげるよ」
ニカは義足をきしませながら立ち上がり、俺の方へと歩み寄ってきた。
彼女からは、魔法騎士団の「百合」とも、焦げた男の「紙」とも違う、古い油と埃の匂いがした。
「ほら、貸しな。その死んだ右手の代わりに、もうちょっとマシな『繋ぎ』を提案してあげる」
彼女が俺の右手に触れる。
本来なら、少女の指先の熱を感じるはずの場所は、依然として絶対的な虚無のままだった。
だが、彼女が何らかの術式――魔法とは対極にある、物理的な回路のバイパス――を俺の腕に走らせた瞬間。
指先ではなく、脳の奥底に直接、キリキリとした「軋む音」が響いた。
「……っ!」
「いい反応。神経が死んでも、脳が『そこにある』と思い込めば、まだ動かせる。……あんた、面白いね。普通ならとっくに発狂してるレベルの代償だよ、これ」
ニカは薄く笑った。その笑顔も、どこか一部が欠け落ちているような、不完全なものだった。
俺は、彼女を連れて行くことに決めた。
右手の感覚がなくても、世界が灰色でも、目的地のアイアン・グレイヴは変わらずそこに在る。
錆びた少女を隣に、俺は再び鉄屑の荒野を歩き出した。
背後では、俺を追う「百合の香り」が、さらに鋭く風を裂き始めていた。
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【欠損記録】
■永続欠損(恒久的な喪失)
・温感(左下肢):完全消失
・色彩(視覚):剥離完了(モノクロとして定着)
・記憶(特定人物の容貌):抹消済み
・触覚(右手指):完全消失
■一時負荷(麻痺・減退中)
・味覚/嗅覚:微弱に回復(油と埃の匂いのみ感知可能)
・精神的負荷:中度(調律師による「脳への直接バイパス」によるノイズ発生)




