第6話:汚染の爪痕
「なんだ、貴様は……。その汚らしい塊を下げて、聖なる洗浄の邪魔をするか」
巡回隊のリーダー格である魔導騎士が、眉をひそめて俺を睨みつけた。
彼の周囲には、不自然なほど澄んだ水の塊が浮遊している。
村人たちを打ち据え、家々を削り取っているその「水」は、今の俺の目には灰色の粘質な液体にしか見えない。
「……どけ。道が汚れる」
俺は何も言わず、ただ一歩、踏み出した。
指先の感覚はない。
だが、肩に担いだ『スクラップ・スラブ』の重量が、俺の平衡感覚を鋭く研ぎ澄ませている。
脳の『一番目』を微かに回す。加速した思考の中で、騎士が放つ「殺意の予兆」が灰色のノイズとなって浮かび上がった。
「不浄者が! 洗い流してやるわ!」
騎士が手を振る。
奔流のような高圧の水弾が、俺の頭部を目掛けて放たれた。
並の人間なら肉を削がれ、骨を砕かれるであろう一撃。
俺は避けない。
ただ、手元にある錆びた鉄塊を、正面からぶつけた。
――ガギィィィィン!
水と鉄が衝突する音ではない。
何かが「腐食」するような、耳障りな破壊音が響く。
『スクラップ・スラブ』に触れた瞬間、清浄だったはずの水弾が、見る間にどす黒く変色し、泥となって地面にぶちまけられた。
「なっ……!? 私の魔導が、腐っただと!?」
驚愕に目を見開く騎士。
彼ら魔法使いにとって、術式は完璧な「秩序」だ。
そこに錆びた不純物を叩き込まれることは、精緻な時計細工の中に泥を流し込まれるに等しい。
俺は止まらない。
泥を撥ね退け、一気に騎士の懐へ潜り込む。
色彩を失った視界の中で、騎士の喉元に流れる魔力の「急所」だけが、灰色の闇に光る標的となって見えていた。
全力の、横なぎ。
グシャリ。
ひしゃげたのは、騎士の胸当だけではない。
彼の背後にあった村の広場の石柱ごと、俺は『スクラップ・スラブ』で叩き折った。
砕け散った石の破片と、騎士の鮮血が、真っ白に洗浄されていた地面を「汚して」いく。
それは魔法では二度と落とせない、生存の執念が混じった汚れだった。
「ひ、ひぃぃっ! 化け物だ! 浄化しろ! 早くこいつを消せ!」
残りの魔導騎士たちが、怯えながら一斉に呪文を唱える。
四方から降り注ぐ光の矢。
俺は深呼吸を一つ。
過熱する脳が吐き出す熱気が、喉の奥を焼く。
再び鉄塊を振り回し、飛来する術式を「汚染」しては叩き落とす。
俺が動くたび、周囲に錆びた鉄粉が舞い散り、清浄な空気は不快な鉄の匂いに塗りつぶされていった。
数分後。
村に立っていた騎士たちは、すべて動かぬ肉塊へと変わっていた。
俺は『スクラップ・スラブ』に付着した不浄な脂を、ボロ布で拭う。
村人たちは、救われた喜びよりも先に、圧倒的な「恐怖」に震えていた。
俺が通った後の地面には、ひび割れ、錆びついた鉄の色が深く染み付いている。
どれほど強力な洗浄魔法を使っても、この「錆の記憶」だけは、この土地から消えることはないだろう。
「……あんた、これじゃあ……」
先ほどの老人が、震える声で呟いた。
「あんたが行った後、ここはもっと酷い『洗浄』に晒される……」
「……だろうな」
俺は冷たく突き放した。
正義のために戦ったのではない。邪魔だったから排除した。
この村がどうなろうと、俺の知ったことではない。
俺はただ、西へと向かう。
俺は村を後にした。
背後に残ったのは、錆の匂いと、静寂だけだった。
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数刻後。
白銀の馬に乗り、風のように現れた影があった。
聖教騎士団副団長――あの「百合の香り」の女騎士である。
彼女は、惨状と化した村の入り口で、馬を止めた。
「……これは」
彼女の声が、微かに震える。
それは怒りではなく、根源的な「嫌悪」だった。
彼女の美しい瞳が捉えたのは、ひしゃげた騎士の死体ではない。
地面に深く、執念深く刻み込まれた「錆」の跡。
彼女がそっと手を掲げ、最高位の浄化魔法を放つ。
白光が村全体を包み込み、あらゆる汚れを消し去ろうとする。
だが。
光が収まった後も、その場所の「錆」だけは、黒々とそこに残り続けていた。
「私の魔法が……効かない? 汚れが、消えないというの?」
彼女は馬を降り、その錆びた地面を指先でなぞった。
瞬間、彼女の全身に戦慄が走る。
冷たい。
そして、酷く「重い」。
これは単なる汚れではない。
世界の法則そのものを歪め、魔法という秩序を拒絶する、呪われた「否定」の力。
「……アイツだわ」
彼女の脳裏に、あの泥にまみれた、色のない瞳をした男の姿が浮かぶ。
「あんなゴミのような存在が、これほどまでに世界を汚し、冒涜している……。許せない。絶対に、この手で根こそぎ洗浄してあげる」
彼女の周囲に漂う百合の香りが、狂気を帯びた激しさで膨れ上がった。
彼女は確信した。
あの男を放置すれば、世界はすべて、あの忌まわしい「錆」に飲み込まれてしまう。
女騎士は再び馬に跨ると、迷うことなく「西」へとその蹄を向けた。
その顔には、もはやエリートの余裕はなく、ただ一人の執念深い「狩人」の相貌が刻まれていた。




