第5話:不浄の吹き溜まり
西へ向かう山道は、単調な灰色の連続だった。
かつてなら「燃えるような紅葉」と形容されたであろう景色も、今の俺の目には、濃度の違う墨をぶちまけただけのキャンバスにしか見えない。
色彩の剥離は、単に色の判別を奪うだけではない。
果実の熟れ具合も、地面にこびりついた乾いた血も、すべてが「同じ質感の汚れ」として処理される。
世界から情緒が消え、ただの記号へと成り下がっていく。
「……はぁ、はぁ……」
肩に担いだ『スクラップ・スラブ』が、一歩ごとに背骨を軋ませる。
指先の感覚は戻りきっておらず、時折、自分が獲物を握っているのか、それとも鉄塊に腕が癒着しているのかさえ分からなくなる。
やがて、谷間にへばりつくような小さな集落が見えてきた。
そこには、魔法騎士団が好む「純白の石造り」など一つもない。
継ぎ接ぎの板切れと、泥を固めただけの壁。
そして、何より異質だったのは「匂い」だ。
百合の香水ではない。
家畜の糞尿、腐りかけの残飯、そして――拭いきれない鉄の錆。
潔癖な連中が見れば、一分と持たずに「洗浄」を開始するであろう、不浄の吹き溜まり。
「……何だ、あんた。旅人か? それとも……」
村の入り口で、一人の老人が声をかけてきた。
老人の目は、白濁している。
代償を払いすぎたのか、あるいは魔法社会の「光」に焼かれたのか。
「通りすがりだ。西へ向かう。……ここは?」
「名もなき『染み』の場所さ。清浄な街を追い出された不浄者が、死ぬまで錆びるのを待つだけのな」
老人は力なく笑った。
彼の腕を見れば、俺と同じような「焼き切れた回路」の痕跡が、醜い火傷の跡となって浮き出ている。
かつて、この老人も自分を切り売りして生き抜いた『欠落者』のなれの果てなのだろう。
村の中には、数人の若者や子供もいたが、その誰もが「生気」を欠いていた。
魔法を使えない彼らにとって、この世界は生きるだけで罪とされる場所だ。
彼らは、騎士団が通り過ぎるたびに「洗浄」の余波で呼吸を奪われ、生活の糧を奪われる。
「……あんたの背負ってるそれ、いい『錆』だ」
老人が俺の鉄塊を見て、目を細めた。
「魔法騎士様たちは、汚れを嫌う。だが、俺たちは汚れがあるからこそ、自分が人間だって分かるんだ。……西へ行くなら気をつけな。最近、あの『百合の香り』が、より頻繁に風に乗ってくる」
俺は答えず、背嚢から干し肉を一切れ取り出し、老人の膝に置いた。
施しではない。情報を買った対価だ。
俺がこの村で見たのは、かつての自分、あるいは未来の自分かもしれない姿だった。
だが、そのことに恐怖も悲しみも感じない。
今の俺の脳は、そうした「不要な感情」を処理するための回路から優先的に焼き捨てられている。
その時。
村の入り口から、不自然なほどの「白」が侵食してきた。
風が変わる。
百合の香りが、腐臭を押し流し、村の空気を強制的に「洗浄」し始める。
「……浄化の時間だ。ネズミども、這いつくばれ!」
現れたのは、下級の魔法使いを数人連れた、小規模な巡回隊だった。
彼らは村に入るなり、魔法で作り出した「水の壁」を散布し始めた。
一見すれば洗浄だが、その実態は「魔法による剥離」だ。
泥壁は崩れ、ボロ布のような衣服は霧散する。
村人たちは悲鳴を上げながら、水に打たれ、皮膚を赤く腫らせて転げ回る。
「不潔なものはすべて洗い流せ! 聖都への風に、塵を混ぜるな!」
彼らにとって、この行為は「慈悲」ですらある。
不浄な民を、死なない程度に洗い清めてやっているという、独善的な満足。
俺は、灰色の視界でその光景を眺めていた。
助ける理由はない。
だが、俺が背負う『スクラップ・スラブ』が、騎士たちが撒き散らす「清浄な魔力」に反応し、不快な唸りを上げている。
錆びた鉄が、不純物を求めるように、俺の手の中で熱を帯びた。
「……あァ、耳障りだ」
俺は一歩、前へ出た。
老人が驚いたように俺の背中を見上げる。
灰色の世界の中で、俺の進むべき道に「邪魔な白」が立ちはだかっている。
それを消す。
それだけが、今の俺を動かす唯一の合理性だった。




