第3話:錆の感触
山道は、灰色の濃淡だけで構成されていた。
かつては鮮やかだったはずの深緑も、毒々しい赤い実も、今の俺の目には古い記録映画のような、褪せた色彩にしか映らない。
代償として支払った『二番目』の回路。その残響は、世界から「色」という情報を奪い去っていた。
ただ、それが不便だとは思わない。
色がない世界は、本質だけを浮き彫りにする。
風の通り道、魔力の澱み、そして――獲物の「重さ」。
ようやく辿り着いた山小屋は、俺の記憶にあるものとは、似ても似つかぬ姿に変貌していた。
「……やりすぎだな」
思わず独り言が漏れる。
小屋は、白かった。
汚れ一つなく、埃の一粒さえも許さないほどに「洗浄」されている。
あの魔法騎士たちがここを通り、自分たちの不快感を拭い去るために、俺の生活の痕跡を丸ごと浄化したのだ。
かつて手入れしていた皮の道具は消え、積み上げていた薪も白い灰の塊になっている。
思い出などという感傷的なものは、あの潔癖な連中にとっては「掃き捨てるべき不浄」に過ぎないらしい。
俺は色のない部屋を通り、奥の寝床だった場所へ向かった。
そこもまた、真っ白に洗われていた。
だが。
俺は床板に手をかけ、指先の僅かな「引っかかり」を頼りに、隠し場所を抉じ開けた。
魔法騎士たちは、目に付く表面を綺麗にすることには長けているが、地面の下に埋まった「汚れ」までは興味がなかったようだ。
指先の感覚は、まだ磨りガラス越しに物を触っているように遠い。
それでも、俺の腕の骨が、その「重さ」を捉えた。
布に包まれた、歪な塊。
それを引きずり出した瞬間、ズシリ、という確かな振動が、麻痺した俺の肘から肩へと突き抜けた。
包みを開く。
現れたのは、美しさとは無縁の「鉄の塊」だ。
何枚もの分厚い鉄板を重ね合わせ、強引に叩き鍛えただけの得物。
刃はない。いや、刃を付ける意味がないほどに厚く、無骨だ。
積層された鉄の隙間には、真っ赤な錆が浮いている。
騎士たちが忌み嫌う、不純物の極み。
だが、この錆こそが、魔力の循環を物理的に引き裂き、術式を汚染して粉砕する「毒」となる。
『積層された錆の塊』
俺はそれを、両手で握り直した。
指に触れる鉄の冷たさは、もうほとんど感じない。
だが、この質量。
この「重さ」だけは、俺に嘘をつかない。
五感が消え失せ、世界が灰色に染まり、俺が俺でなくなっていくカウントダウンの中でも――この重みだけが、俺がまだここに存在していることを証明している。
「……久しぶりだな」
俺は錆びた塊を、傍らにあった粗い石へ押し当てた。
ギィ、と。
夜の静寂を切り裂く、耳障りな金属音が響く。
火花が散った。
今の俺の目には、その火花さえも灰色に輝く光の粒にしか見えない。
それでも俺は、石を動かし続ける。
磨くのではない。
積層された錆の奥に眠る、鉄の芯を呼び覚ますために。
魔法で洗われ、無機質になったこの小屋の中で。
俺が立てる「錆を削る音」だけが、唯一、生きている泥臭いリズムを刻んでいた。
どれほど時間が経っただろうか。
指先が、過熱し始めた脳の熱を拾い始めた頃。
不自然なほど甘い、あの「百合の香り」が、再び風に乗って漂ってきた。
俺は手を止める。
研ぎ澄まされた重みを肩に担ぎ、白い闇の向こうを見据えた。
代償は支払った。
牙は取り戻した。
次の一歩が、俺をどこへ連れて行くのかは分からない。
だが、この錆びた鉄の重みが、俺の進むべき「灰色の道」を照らしている。




