第10話:名前のない欠片
鉄屑が風に鳴る音を背景に、俺たちは西へ歩を進めていた。
ニカの義足が地面を叩く、不規則な金属音が耳につく。
「……さっきから、右手を何度も見てるね。気になる?」
「……動く。だが、俺が動かしている気がしない」
「当たり前だよ。そこはもう、あんたの身体じゃないもん。私がバイパスした『反射』の塊さ。……ま、慣れなよ。アイアン・グレイヴじゃ、身体の半分をそうやって動かしてる連中ばっかりだから」
ニカは、道端に落ちていた歪な歯車を拾い上げ、愛おしそうに汚れを拭った。
「あんた、ニカって名前に驚いた顔してたね。……この世界じゃ、名前は一番最初に『錆びる』ものなのに」
「……お前は、何を焼いた?」
「私はね――『満たされる感覚』を売ったんだ。食べてもお腹が膨れないし、誰かに優しくされても胸が温かくならない。……私は、一生満足することはない。名前だけは、自分が『誰か』だったっていう接着剤として残してるけどね」
「……そういえば、あんた。その銀のメダル……騎士団の証にしては、変な汚れがついてる」
俺は黙ってメダルをニカに放り投げた。あの男が残した煤の紋章。ニカはそれを凝視し、今日初めて激しく動揺した。
「……っ! これ、『蒐集家』のマークだよ。あいつと知り合いなの?」
「護送車から共に逃げた男だ。焦げた紙の匂いがする、盲目の男」
「焦げた紙……? ねえ、あんた。その男と一緒にいた時、変な感じはしなかった? 覚えが悪いとか、ふとした瞬間に何かを忘れてるとか」
「……記憶が薄れている。代償のせいだと思っていたが」
「違うよ!」
ニカが叫ぶ。
「『焦げた紙の匂い』は、代償の匂いじゃない。あいつが他人の記憶を『焼いて』、燃料にしてる時の匂いだよ! 蒐集家は、隣にいる奴の過去を喰って暖を取る寄生虫なんだ!」
心臓が、不快な音を立てて跳ねた。
あの護送車の暗闇。あいつが俺の肩に手を置き、「君ならやれる」と囁いた瞬間。
俺の脳内に、見たこともない「知らない誰かの絶望」が火種として流れ込んできた感覚。
あの日、俺が無理やりこじ開けた『回路』の熱。あれは俺自身の意志だけではなかった。あいつが俺の脳に火を投げ込み、俺の記憶を効率よく燃やすための「炉」として、俺を調教したのだ。
「……あいつは、俺を逃がしたんじゃない。俺を、『歩く焚き火』にしたんだ」
俺の声が、地を這うような怒りで震える。俺が必死に戦い、苦しみ、回路を焼くたびに、その熱と灰を、あいつは吸い取って己を温めていた。
「……あいつを殺して、俺の『中身』を奪い返す。俺の人生を汚したその代価を、あいつ自身の存在で支払わせてやる」
生きるために逃げるのではない。
俺が俺であるために、あの寄生虫を屠らなければならない。
明確な「敵意」が、灰色の世界に初めて熱を灯した。
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【欠損記録】
■永続欠損:温感(左足)、色彩(視覚)、触覚(右手)
■記憶:【警告】過去の6割以上が消失。自傷ではなく「外部からの強奪(寄食)」と判明。
■自己認識:危機的状況(「自分」を繋ぎ止める記憶の欠乏)




