第51話 わたくしの答え〜マリア視点~
開校式の朝。
わたくしは鏡の前で身支度を整えていた。手が震える。
今日は、開校式。あの農村で、正式に学校を開く日。
緊張する。あの日——「うちの子を返せ」と怒鳴られた日のことを、まだ覚えている。
シャルロッテ様の執務室に挨拶に伺った。
「シャルロッテ様。行って参ります」
「ええ」
シャルロッテ様は書類から目を上げた。
「……あの」
「なに?」
「農繁期休校の件。事後報告になってしまい、申し訳ありませんでした」
わたくしは頭を下げた。シャルロッテ様に相談せず、自分の判断で決めてしまった。それが正しかったのかどうか、今でも不安がある。
シャルロッテ様が小さく笑った。
「何を謝っているの」
「え……?」
「承認なんていらないわ。教育のことは、教育大臣の責任の範囲で決めればいい」
シャルロッテ様は言った。
「ただ、報告はしてちょうだい。本当にまずい時は私の方から止められるから」
「……はい」
「結果を出したのなら、なおさらよ。胸を張りなさい」
「……ありがとうございます」
「行ってらっしゃい」
◆
馬車に揺られながら、わたくしは窓の外を見つめていた。
エマさんが隣に座っている。
あの日と同じ道を行く。でも、あの日とは違う。
あの日のわたくしは、理想だけを持っていた。今のわたくしは、現実と向き合った答えを持っている。
農村に到着した。
教会の前に、人々が集まっている。あの日と違い、敵意はない。
村長が歩み寄ってきた。
「マリア様、お待ちしておりました」
「村長様。お招きいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ。おかげで子供たちが字を覚えましてな」
村長が笑った。
子供たちが駆け寄ってきた。
「マリアさま!」
「ぼく、じぶんの名前かけるようになったよ!」
「……まあ」
わたくしは思わず膝をついた。小さな手が差し出す紙には、たどたどしい文字で名前が書かれていた。
農民たちも、態度が変わっていた。
「あんた……マリア様だったか」
「……はい」
「あの時は、怒鳴っちまって悪かったな」
男が頭を掻いた。あの日、一番大きな声で怒鳴っていた人だ。
「いえ、あなたたちの怒りは正当なものでした」
わたくしは言った。
「でも、農閑期だけって聞いて……まあ、それならいいかって」
「冬の間、子供たちが退屈しなくなったしな」
別の農民が言う。
「読み書きなんて、と思ってたが……孫が俺の名前を書いたのを見た時にゃ、涙が出ちまったよ。あのときはきつく言ってすまなかったな」
……報われた。
あの日、打ちのめされて帰った日々。眠れない夜を過ごした日々。それが、今——
「……いえ。皆さんのおかげです」
◆
開校式が始まった。
教会の前に壇が設けられ、わたくしはその上に立った。農民たち、子供たち、村長、聖職者。多くの目がわたくしを見つめている。
「皆さん、本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
わたくしは深呼吸した。
「わたくしは教育大臣のマリアです」
一呼吸置いて、わたくしは続けた。
「正直に申し上げます」
農民たちが静まり返った。
「以前この村を訪れたとき、わたくしは何も分かっていませんでした」
わたくしは言った。
「読み書きを教えれば、皆さんが幸せになると思っていました。でも、皆さんの声を聞いて、気づきました。
『今日の飯がなければ、10年後はない』
皆さんのその言葉が、わたくしの目を覚ましてくれました」
農民たちが静かに聞いている。
「わたくしは本の中でしか学んでいなかった。畑仕事の大変さを、子供たちが家族を支えていることを、知らなかった。甘く見ておりました。申し訳ございませんでした」
わたくしは頭を下げた。
「だから、変えました。農繁期は休校。農閑期だけの学校。完璧ではないかもしれません」
顔を上げた。
「でも、これがわたくしの答えです。皆さんの声を聞いて、現実と向き合って、見つけた答えです。現実を教えてくださって、ありがとうございました」
わたくしは言った。
「繰り返しになりますが──『麦は読めない』、その通りです」
農民たちの間から、小さな笑いが漏れた。
「でも、いつか……字が読めることが、皆さんの助けになる日が来ると信じています。その日まで、わたくしは皆さんと一緒に歩んでいきたい」
村長が立ち上がった。
「……マリア様」
村長が言った。
「ありがとうございます」
「え……」
「偉い方に頭を下げられるなんて、わしらには過ぎたことですわ。でも……嬉しいです。声を聞いてくれたことが」
農民たちから拍手が起こった。
子供たちも手を叩いている。あの日とは違う光景だった。
◆
帰りの馬車の中。
わたくしは窓の外を見つめていた。春が近い。畑には緑が芽吹き始めている。
終わった。
あの日、打ち砕かれた理想。でも、今日——現実と折り合いをつけた新しい理想を、伝えることができた。
完璧ではない。まだまだ課題はある。農繁期休校が本当に正解かどうかも分からない。
でも、一歩を踏み出せた。
シャルロッテ様は言った。「自分で考えなさい」と。
考えた。悩んだ。そして、自分の答えを見つけた。
これがわたくしの歩み方だ。本で学んだ理想だけではなく、現実の声を聞いて、折り合いをつけて、前に進む。
わたくしは教育大臣。まだまだ、やることはたくさんある。
でも今は——少しだけ、胸を張っていいと思う。




