表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私はメイドです!〜お嬢様の世界征服に巻き込まれた哀れな日々〜  作者: ほしみん
第一章 国内改革

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/51

第46話 教師研修~聖職者ペーター目線~

私の名はペーター。地方の小さな教会で、10年あまり神に仕えてきた聖職者だ。


農家の三男として生まれた。家を継ぐ見込みはなく、7歳で教会に預けられた。口減らしの意味もあっただろう。両親は「せめて読み書きを覚えれば」と言っていた。


修道院で聖職者としての訓練を受けたが、神学の才能はなかった。説教も下手だった。ただ一つ、真面目さだけは誰にも負けなかった。与えられた仕事は必ずやり遂げる。それだけが取り柄だった。


首都の大きな教会への配属は叶わず、辺境の村に送られた。失望もあったが、すぐに受け入れた。自分には分相応の場所だ、と。


そして気がついたら10年が経っていた。


務めの一つに、子供たちへの読み書きの指導があった。村長に頼まれて始めた仕事だ。週に一度、教会の集会の後に希望者を集めて、文字を教える。


最初は片手間の仕事だと思っていた。でも、いつしか気づいていた。子供たちの前に立っている時だけ、私は「必要とされている」と感じられる。神学で議論することはできない。説教で人を感動させることもできない。でも、文字を教えることならできる。


それが、私の居場所だった。


そんな私のもとに、首都からの召集状が届いた。


差出人は「教育省」。聞いたことのない役所だった。


内容はこうだ。「地方で教育活動に従事する聖職者を対象に、教師研修を実施する。受講者は各地の司教の推薦に基づき選定した」


噂は聞いていた。国が本腰を入れて、教育の仕組みを整えようとしているらしい。読み書きを国中に広めるために、教える者を育てる必要がある、と。


正直、よくわからなかった。なぜ今なのか。これまで誰も気にしていなかったのに。読み書きなど、必要な者が必要な時に学べばいい。農民に文字が読めて何になる? そう思う者も少なくなかった。


村の司教に尋ねると、読み書きを教えている聖職者の中から真面目に務めている者を推薦したのだという。私が選ばれた理由は、おそらくそれだけだ。特別な才能があるわけではない。ただ、10年間休まず続けていた。


教師研修。


教え方を学ぶ、ということだと思うが、そもそもなぜそれで呼び出されるのか。なぜ、今なのか。教え方など、誰かに教わったことはない。一体どんなことを言われるんだろうか。


不安と困惑を抱えながら、私は首都への道を進んだ。



首都に着き、教育大臣マリア様の研修を受けた。


研修会場には、私と同じような聖職者が二十人ほど集まっていた。皆、地方から呼ばれた者たちだ。不安そうな顔、戸惑った顔、中には不満そうな顔もある。


教壇に立ったのは、若い女性だった。修道服を着ているが、その佇まいには威厳があった。


「わたくしはマリア。教育大臣を務めております」


大臣。女性の大臣など、聞いたことがない。しかも、私より若い。


「皆さんは、これまで子供たちに読み書きを教えてきた方々です。その経験に、心から敬意を表します」


マリア様は穏やかに微笑んだ。


「では、始めましょう」


マリア様は指導要綱を掲げた。


「まず、この研修の目的をお話しします。国は、すべての子供に読み書きを教えることを目指しています」


唐突に驚くべきことを言われた。


すべての子供? 私は驚いた。すべての子供、というのは、貴族の子供だけではないということだ。そして、いま教会で預かっている子供だけではないということも意味している。


「農民の子供にも、ですか?」


気がつけば、私は声を上げていた。農民の子供は教会では預かっていない。


「はい。農民の子も、職人の子も、すべてです」


会場がざわついた。


「すべての子供」の重み。ものすごい大変なことだと思う。


そもそも果たして、農民に読み書きなど、本当に必要なのか。他の聖職者同様、私自身、そう思っていた。


「皆様の中にも、疑問に思う方がいらっしゃるでしょう。農民に読み書きなど必要なのか、と」


まるで心を読まれたようだった。会場が静まり返る。


「では、お聞きします。皆様の村で、こんなことはありませんでしたか」


マリア様は指を折りながら語り始めた。


「商人に『いつもの値段だ』と言われて、実は相場より安く買い叩かれていた農家。税の徴収で『計算が合っている』と言われて、実際より多く取られていた村。土地の境界を示す証文があるのに、読めないばかりに隣村との争いで不利になった者」


私は息を呑んだ。


思い当たる。全部、思い当たる。


去年の秋、村のハンスが商人に小麦を売った。後で別の村人が「あの値段は安すぎる」と言っていたが、ハンスは「商人様がそう言うなら正しいだろう」と答えていた。


三年前には、税の取り立てで揉めた。村長が「多すぎるのでは」と言ったが、徴税人は帳簿を見せて「ここに書いてある通りだ」と言った。誰も帳簿を読めなかった。


「読み書きができないということは、他人の言葉を信じるしかないということです」


マリア様の声は静かだが、重かった。


「正直な相手ならいい。でも、そうでない相手もいる。読み書きができれば、自分の目で確かめられる。自分の権利を、自分で守れる」


「しかし」


年配の聖職者が手を挙げた。


「それは農民自身の問題でしょう。なぜ我々がそこまで気にかけねばならないのですか。我々の務めは神に仕えること。農民の商売や税のことまで面倒を見る義理はない」


何人かが頷いた。私も、正直なところ同じことを思っていた。


マリア様は表情を変えずに答えた。


「では、お聞きします。騙された農民はどうなりますか」


「……どうなる、とは」


「生活が苦しくなる。苦しくなれば、教会への寄進も減る。子供を教会に預ける余裕もなくなる。村が貧しくなれば、教会も貧しくなる」


会場が静まった。


「それだけではありません。困窮した農民は誰を頼りますか? 教会です。『助けてくれ』と来る。でも、その時にはもう手遅れのことが多い」


私は思い出していた。去年の冬、ハンスが教会に来た。「食べるものがない」と。私は備蓄の麦を分けたが、それも限りがある。


「読み書きを教えることは、後で尻拭いをするより、はるかに手間が少ないのです」


マリア様は淡々と続けた。


「もちろん、神に仕えることが本務です。でも、民が健やかであってこそ、神への感謝も生まれる。貧困と絶望の中で、神を信じろと言っても、それは難しい」


年配の聖職者はまだ納得していない顔だった。


「そもそも、この教育事業は誰の発案なのですか。なぜ急に国がこんなことを」


マリア様は頷いた。


「シャルロッテ様です」


会場がざわついた。シャルロッテ様。この国の宰相であり、実質的な統治者だ。その名前が出た瞬間、空気が変わった。


「シャルロッテ様は、こうおっしゃいました」


マリア様は言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。


「『農民や職人の子が育てば、より良い農民、より良い職人になる。良い仕事をすれば、より多くの富が生まれる。富が生まれれば、それは領を巡り、国を巡る。教育は国への投資だ』と」


投資。聞き慣れない言葉だった。


「読み書きができる農民は、新しい農法を学べる。計算ができる職人は、無駄なく材料を使える。知識が広がれば、国全体が豊かになる。これは慈善ではありません。国策です」


国策。


シャルロッテ様の命令。


年配の聖職者は、ようやく黙り込んだ。シャルロッテ様の名前には、誰も逆らえない。


私も黙っていた。反論できなかった。いや、反論する気が失せていた。


ふと、思い出した。シャルロッテ様は、まだ7歳だったはずだ。


7歳。


子供が、子供たちの未来を憂いている。読み書きを広めれば国が豊かになると、子供が考えている。


それなのに、大人である我々は何をしていた。「農民に読み書きなど必要ない」と思い込んで、何もしなかった。


滑稽な話だ。


農民に読み書きは必要ない——そう思っていた自分が恥ずかしくなった。必要ないのではない。必要だと気づく機会すらなかっただけだ。いや、気づこうとしなかっただけだ。7歳の子供にできたことが、30を過ぎた私にはできなかった。


「そのために、教え方を統一する必要があります。皆様がそれぞれ我流で教えていては、成果にばらつきが出る」


我流。まさに、私のことだ。


「全国どこでも、誰が教えても、同じ内容を同じ水準で教えられるように。そのために、本日皆様をお呼びしました」


マリア様は深く頭を下げた。


「ご協力を、お願いいたします」


大臣が、頭を下げている。我々のような田舎の聖職者に。


誰も何も言えなかった。あの年配の聖職者でさえ、黙って頷いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ