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私はメイドです!〜お嬢様の世界征服に巻き込まれた哀れな日々〜  作者: ほしみん
第一章 国内改革

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第42話 教育の全体像

マリア様が教育大臣に就任して、一週間が経った。


その日、お嬢様はマリア様を執務室に呼び出した。


私は朝からお嬢様の身支度を整えていた。


銀色の髪を梳かし、リボンを結ぶ。何度やっても飽きない。


「何をにやにやしているの」


「いえ、なんでもありません」


お嬢様は怪訝そうな顔をしたが、それ以上は追及しなかった。


身支度を終えたお嬢様は、執務室の椅子に座った。


マリア様が入室する。


クラウス様は既に部屋の隅にいた。最近、こうした会議にしれっと同席していることが多い。


マリア様も気づいたようで、小さく会釈した。


「クラウス様も……?」


「ああ、気にしないでくれ」


クラウス様は穏やかに笑った。


「いえ、気になりますよ」


「そうだな……まあ、シャルロッテ様がいつ暴走されても対処できるように、だ」


「暴走って何よ」


お嬢様が眉をひそめた。クラウス様は肩をすくめた。


「それに、勉強になる。新しいことを学ぶのは楽しいものだ」


……五十を過ぎた宰相が、七歳のお嬢様から学ぶのが楽しいと言っている。


「いい心がけね。勉強に終わりはないわ。一生勉強よ」


「ふふふ。違いありませんな」


お嬢様とクラウス様はひとしきり笑い合う。


この国は大丈夫なのだろうか。


──大丈夫なのだろう。多分。




「さて、今日は教育の全体像について相談しましょう」


お嬢様は紅茶のカップを傾けた。小さな手でカップを持ち上げる姿は、まるで絵画のようだ。足は相変わらず床に届いていない。それがまた可愛らしい。


……いや、今は仕事中だ。集中しなければ。


マリア様は静かに頷いた。


「はい、シャルロッテ様」


私は部屋の隅に控えていた。記録係として同席するよう命じられている。


お嬢様は指を一本立てた。


「教育には三つの段階があるわ」


「三つ……ですか」


「初等教育、中等教育、高等教育」


お嬢様は続けた。


「初等教育は、全国民に読み書きと算術を教える。これが土台よ」


「土台……」


「何をするにしても、文字が読めなければ始まらないでしょう?」


お嬢様は指を折りながら数えた。


「契約書が読めない。法律が読めない。教科書が読めない。手紙も書けない」


マリア様は真剣な表情で聞いていた。


「算術も同じよ。買い物もできない。給料が正しいかも確認できない。騙されても気づけない」


「……確かに」


「読み書きと算術。この二つがなければ、人は一生誰かに依存するしかないの」


お嬢様の言葉は厳しかった。だが、真実だった。


「それから、理科と社会も入れたいわ」


「理科と社会……ですか?」


マリア様は少し戸惑った顔をした。


「理科は、世界がどう動いているかを知るため。火が燃える理由、水が凍る理由……知らなければ、迷信に騙される」


クラウス様が小さく頷いた。


「水が氷になると膨らむ理由……先日教わりましたな。分子の並び方が変わるから、と」


「ええ。あなたはもう知っている。でも、ほとんどの人は知らない」


お嬢様はマリアを見た。


マリア様の表情が少し曇った。


元修道女として、思うところがあるのだろう。教会は時に、民衆の無知につけ込んできた。それを否定はできない。


「……はい」


「社会は、自分がどこにいるかを知るため。この国の歴史、他国との関係、地理……知らなければ、誰かの都合のいいように動かされる」


お嬢様は指を折った。


「読み書き、算術、理科、社会。この四つが初等教育の柱よ」


「中等教育は、初等を終えた者に専門の基礎を教える」


お嬢様は二本目の指を立てた。


「算術は数学になる。図形、方程式、関数……商売にも建築にも必要よ」


「数学……」


マリア様は困惑した顔をしていた。初めて聞く言葉ばかりなのだろう。正直、私にもわからない。多分、今この場でお嬢様の話を理解できているのはクラウス様くらいではないだろうか。


……いや、クラウス様も怪しい気がする。


「理科も分かれるわ。化学は薬や染料を作るため。物理は機械や建物を作るため。生物は農業や医学のため」


マリア様は必死にメモを取っていた。


「歴史も大事よ。自国史、世界史、地理……過去を知らなければ未来は作れない」


「なるほど……」


「中等教育は、それぞれの道に進むための準備。商業、農業、工業……どの道を選ぶにしても、基礎がなければ話にならないわ」


お嬢様は三本目の指を立てた。


「高等教育は専門家を育てる」


「専門家……」


「官吏、技術者、医者、商人……それぞれの道を極める場所よ」


お嬢様は紅茶を一口飲んだ。


「中等教育までは皆同じことを学ぶ。でも高等教育からは、自分の道を選んで進む」


「この三つを整備するのですね」


マリア様は少し考え込んだ。


「すべてを同時に……ということでしょうか」


「同時にやりたい」


お嬢様は首を振った。


「でも、難しいわ。人手が足りない」


「……」


「だから、分担するの」





「即効性があるのは高等教育よ」


お嬢様は窓の外を見た。


「と、申しますと?」


「今すぐ欲しいのは、法律がわかる官吏、科学がわかる技術者。彼らがいれば国は動く」


マリア様は頷いた。


「では、初等教育は後回しに……?」


「いいえ」


お嬢様は振り返った。


「初等教育も中等教育も、投資としては外せないわ」


「投資……」


「今日植えた種が実るのは十年後。でも、植えなければ永遠に実らない」


お嬢様はマリアを見た。


「そもそも、初等教育と高等教育は目的が違うのよ。高等教育は実務において即効性を出すため。初等教育は十年後、二十年後、三十年後の次世代教育のため」


「次世代……」


「エマ。あなたが今忙しくしているのは、次世代が育っていないからよ。もしあなたの代わりに誰かが教えることができれば、あなたはその分楽になるの。でしょ?」


それは切実な願いだ。


私も、お嬢様の代わりに働ける人材がほしい。心からそう思う。


私はブンブンと、首を縦に振る。


「まあ、その時には違う課題があるでしょうけど」


お嬢様がなにか言ってる。


聞こえない。聞こえない。


お嬢様は小さく笑った。


「だから、全部やるの。同時に」


マリア様は息を呑んだ。


「全部……同時に、ですか」


「そう。だから分担が必要なの」


私も内心で驚いていた。


高等教育と初等教育を同時に進める。それがどれだけの労力を要するか、想像もつかない。


でも、お嬢様が「やる」と言ったなら、やるのだ。


この二年で、それだけは学んだ。





「役割を分けるわ」


お嬢様はマリアを見た。


「初等教育はあなたに任せる」


マリア様は姿勢を正した。


「……承知いたしました」


「まずは初等教育の基盤を作りなさい。学校を作り、教師を集める」


「教会の協力を得られれば……」


「任せるわ」


お嬢様はあっさりと言った。


「現場のことは現場の人間が一番わかる。あなたの判断を信じる」


マリア様は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


「ただ、初等教育にも理科と社会は入れたいの」


マリア様は少し困った顔をした。


「理科と社会……ですか。正直、私には……」


「教科書は別で用意するわ。理科は私とヨハンで作る」


お嬢様はクラウス様を見た。


「社会は……クラウス、誰かいない? 歴史や地理に詳しい人材」


クラウス様は少し考えてから答えた。


「記録課にオットーという男がおります。古文書整理を任せておりますが、各地の事情に詳しい。学者肌で実務には向きませんが……」


「教科書を書くなら適任ね。引き抜いて」


「承知いたしました」


クラウス様は頷いた。マリア様は少し安堵したようだった。


「中等教育は、初等教育の延長よ。専門職に必要な基礎学問をここで網羅する」


お嬢様は指を折りながら数えた。


「現代文……読解と作文ね。数学、物理、化学、生物、地学。それから国の歴史と世界史」


「随分と多いですね……」


「それに、外国語も入れるわ。ノルデン語」


マリア様が目を丸くした。


「敵国の言葉を……?」


「敵だからこそ知る必要があるのよ。相手の言葉がわからなければ、交渉もできないでしょう?」


クラウス様が口を開いた。


「……先の戦争でも、通訳の不足には苦労しました。捕虜の尋問も、降伏交渉も、言葉がわからなければ何もできない」


珍しく、クラウス様の声に苦いものが混じっていた。


「次の世代には、同じ苦労をさせたくないものです」


「ええ。だから教えるの」


お嬢様は静かに頷いた。


「中等教育の教科書も、それぞれ担当を決めて作らせる。これは追って指示するわ」


「高等教育は──」


お嬢様は続けた。


「化学はヨハンに任せる。彼は実地で学んできたから、教えられるでしょう」


「ヨハン様が……」


「法学と行政はクラウスよ。官僚機構を作った本人だから適任」


「任されました」


私は黙ってメモを取っていた。


「簿記はエマに教えさせる」


……え?


「お嬢様?」


「教科書書いたんだから、できるでしょ?」


「いや、流石に時間がなさすぎです」


「残りは全部私が受け持つんだけど?」


「……」


残り。


数学、物理、地学、歴史、外国語……それに、まだ名前も出ていない分野がいくつあるのだろう。


七歳の少女が、それを全部背負うというのか。


……何も言えなかった。


難しいです。とても難しいです。でも、断れない。


だが、お嬢様は既に次の話題に移っていた。


「明日から動きなさい。報告は週に一度でいい」


「はい、シャルロッテ様」


マリア様は決意に満ちた顔で退室した。





マリア様が去った後、私はお嬢様に問いかけた。


「お嬢様」


「何?」


「本当に、私が教えるのですか……?」


「当然よ。教科書を書いたのはあなたでしょう?」


お嬢様は書類から目を上げなかった。


「でも……私はメイドです」


「メイドが教科書を書けるなら、メイドが教えてもいいでしょう?」


「それは論理がおかしいと思います」


「おかしくないわ」


お嬢様は小さく笑った。


「高等教育で人材を育てて、その人材が初等教育を広げる。初等教育で識字率が上がれば、高等教育に進める人材が増える。循環よ。最初は大変でも、回り始めれば加速する」


私は黙って頷いた。


……また、壮大な話が始まった。


「エマ」


「はい?」


「あなたもマリア様の視察に同行しなさい。記録係として」


「……はい」


「それと、胃薬は補充しておきなさい」


「……はい」


お嬢様は私の顔を見ずにそう言った。


わかっているのだ。これから何が始まるか。


私はため息をついた。


「全部やる。同時に」


それがお嬢様のやり方だ。


……私はメイドなのに、なぜ簿記を教えさせられるのだろう。


いや、もう考えるのはやめよう。


胃薬を補充しなければ。


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