第4話 財源確保
王城で三日目の朝を迎えた。
窓から差し込む春の朝日が、見慣れない天蓋を照らしている。三月の空気は、まだ冷たい。ヴァイスバッハの屋敷とは比べものにならないほど広い部屋。絹のシーツ、刺繍の施されたカーテン、磨き上げられた床。
ここは王城。
そして私は——何者になったのだろう。
三日前まで、私はただのメイドだった。お嬢様の着替えを手伝い、食事を給仕し、お人形遊びの相手をする。それが私の仕事だった。
今も、やっていることは同じはずだ。お嬢様の着替えを手伝い、身支度を整える。
でも、何かが決定的に違う。
「エマ、ぼーっとしてるわよ」
お嬢様の声で我に返った。
「も、申し訳ありません」
慌ててドレスの紐を結ぶ。お嬢様は鏡の前に立ち、自分の姿を確認している。五歳の小さな体。プラチナブロンドの髪。氷のように冷たい青い瞳。
あの日から、お嬢様は変わった。
いや——最初から、こういう方だったのかもしれない。私が気づかなかっただけで。
「今日も忙しくなるわよ」
「……はい」
「ついてきなさい」
お嬢様が部屋を出る。私は黙って後に続いた。
——何が起きても、私はお嬢様のメイドだ。それだけは変わらない。
◆
執務室には、すでに大臣たちが集まっていた。
長いテーブルを囲んで座る老人たち。その上座に、小さな椅子が置かれている。お嬢様の席だ。
隣の玉座には、カール陛下がいた。二歳の幼帝。まだ言葉もおぼつかない。侍従に抱かれて、きょとんとした顔でこちらを見ている。
「シャルロッテ様、本日の議題は——」
大臣の一人が口を開きかけた。
「その前に」
お嬢様が遮った。椅子に座ると、足が床に届かない。ぶらぶらと揺れている。
「国庫の状況を教えて」
大臣たちの顔が強張った。
「……厳しい状況です」
財務大臣らしき老人が答える。
「定性的な報告は意味がありません。定量的な報告のみよこしなさい」
「は……?」
財務大臣が目を丸くした。
「定性的、定量的の意味がわからないということ? 定性的は『厳しい』とか『多い』とか、性質を言葉で表すこと。定量的は『いくら』とか『何人』とか、数字で表すこと。つまり数字で言いなさい、ということよ。国庫にいくらあって、毎年いくら入って、いくら出ていくの?」
「え、ええと……先の戦で多大な出費がありまして。さらに先々代からの戦続きで、国庫は……」
「だから数字を言いなさい」
「……ほぼ、空でございます」
「空っぽ、ということね」
「……は」
お嬢様は小さくため息をついた。
「戦争ばかりしてたのだから、当然よね」
大臣たちが顔を見合わせる。五歳児に正論を言われて、何も言い返せないらしい。
「で、収入源は?」
「税と、あとは鉱山からの上納金ですが……」
「鉱山」
お嬢様の目が光った。
「この国、金も銀も鉄も採れるのよね」
「はい。帝国北部の山岳地帯に、いくつかの鉱山が」
「その上納金、いくら?」
財務大臣が帳簿をめくる。数字を読み上げる。
お嬢様は黙って聞いていた。
「……それだけ?」
「は?」
「金と銀と鉄の鉱山がいくつもあって、上納金がそれだけ?」
「いえ、これは各領主からの報告に基づいておりまして……」
「各領主が自分に都合のよい正確さ、かもしれないわね」
お嬢様は帳簿を手に取った。小さな指でページをめくる。
「おかしいわね。この国の官僚は計算ができないのかしら」
「何がでしょうか」
「産出量に対して、上納金が明らかに少ないわ」
大臣たちがざわついた。
「あなた、この数字を見て何の違和感も感じないの?」
お嬢様が財務大臣を見据え、財務大臣はビクッとする。
「感じないのなら、とんだ節穴ね」
「い、いえ、これは各領主が正確に報告しておりますので……」
「本当に?」
お嬢様が顔を上げた。冷たい目が大臣を射抜く。
「……」
大臣は何も言えなかった。
「現地の帳簿と突き合わせる必要があるわね」
「で、では私が——」
財務大臣が慌てて立ち上がりかけた。
「節穴のあなたに任せられると思って?」
お嬢様は一瞥もくれなかった。
「エマ」
突然、名前を呼ばれた。
「は、はい」
「現地に行って、実際の帳簿を調べてきて」
「……え?」
「鉱山の産出記録と、ここに届いている報告書を突き合わせるの」
「お、お嬢様、私はメイドです! 帳簿調査とか!」
思わず声が大きくなった。大臣たちの視線が私に集まる。
お嬢様は眉一つ動かさなかった。
「字は読めるでしょう?」
「……はい」
「計算もできるでしょう?」
「……はい」
「じゃあ問題ないわね」
「問題だらけです!」
「あら、他に何か?」
「何かじゃないです! 私はメイドで、帳簿調査は専門外で、そもそも鉱山なんて行ったこともなくて——」
「いい経験になるわね」
「そういう話をしてるんじゃないです!」
「エマ」
お嬢様は静かに言った。
「あなたしかいないの」
その言葉に、私は口をつぐんだ。
お嬢様が本気で言っているのがわかったから。
「……わかりました」
「よろしい。明日出発して」
「明日!?」
「善は急げ、って言うでしょう?」
「言いますけど!」
お嬢様はにっこり笑った。
その笑顔が、一番怖い。
◆
翌日、私は馬車に乗っていた。
護衛の兵士が二人ついている。王城から北へ、鉱山地帯への道。
「メイドさんが調査官とは、珍しいですな」
兵士の一人が話しかけてきた。
「私もそう思います……」
「シャルロッテ様のご命令で?」
「はい……」
「あの方は、ただ者ではありませんな」
兵士は遠い目をした。
「五歳であの貫禄。王族の多くが食中毒で亡くなったの直後に、政務を取り仕切ることに。大臣たちは誰も逆らえない」
「……」
「失礼ですが、あなたは怖くないのですか?」
私は少し考えた。
「怖いです」
正直に答えた。
「でも、私はお嬢様のメイドですから」
「それは答えになっておりませんな」
兵士は苦笑した。
「いえ、答えになっているのです」
私は窓の外を見た。流れていく景色。見たこともない田舎道。
「私はお嬢様のメイドです。それ以上でも、それ以下でもありません」
兵士は何か言いたそうにしていたが、結局黙った。
私にもよくわからない。なぜ私は、まだお嬢様についていくのだろう。
王族を殺したかもしれない人。国を乗っ取ろうとしている人。
でも——私はお嬢様のメイドなのだ。
それだけは、変わらない。
◆
鉱山に着いたのは、三日後のことだった。
山の中腹に掘られた坑道。黒い穴が口を開けている。その入り口に、小さな事務所があった。
「シャルロッテ様の命令で、帳簿を確認しに参りました」
私が告げると、事務員は露骨に嫌な顔をした。
「帳簿は領主様に提出しておりますが」
「現地の記録を見せてください」
「……少々お待ちを」
事務員が奥に消える。護衛の兵士たちが、私の背後に立っている。
待たされること半刻。
「お待たせしました」
ようやく出てきた帳簿は、埃をかぶっていた。
「これが全てですか?」
「ええ、まあ……」
事務員の目が泳いでいる。
私は帳簿を受け取り、王城から持ってきた報告書と並べた。
数字を照らし合わせる。
一つ、二つ、三つ——。
「……」
私は目を疑った。
もう一度、確認する。指で数字を追う。何度計算しても、答えは同じ。
間違いない。
現地の産出記録と、王城に届いている報告書。
数字が、まったく合わない。
三分の二以上が、どこかに消えている。
「あの、何か問題でも……?」
事務員が恐る恐る聞いてきた。
「いえ、何も」
私は顔に出さないよう努めた。ここで騒いではいけない。
お嬢様の言った通りだった。
いや——お嬢様は最初から知っていたのだ。だから私を送り込んだ。信用できない大臣ではなく、自分のメイドを。
私は帳簿を閉じて、深いため息をついた。
「この帳簿、写しを取らせていただきます」
「え、それは……」
「シャルロッテ様のご命令です」
事務員は何も言えなかった。
——私はメイドなのに。
心の中で呟いた。
なんでこんなことしてるんだろう。
答えは出なかった。
でも、やるしかない。
お嬢様が待っているのだから。




