第38話 科学大臣の誕生
お嬢様が摂政に就任してから、数週間が経った。
「クラウス様、最近忙しそうですね」
エマが紅茶を注ぎながら言った。
「当然だ。道路、郵便、測量……やることが山積みだ」
クラウスは書類の山から顔を上げた。
「大変ですね……」
「だが、やりがいがある」
クラウスの目には、疲労ではなく充実感があった。
「シャルロッテ様の構想は壮大だ。実現できれば国が変わる」
「褒めても何も出ないわよ」
シャルロッテが口を挟んだ。
「事実を述べただけです」
「そう。じゃあ次の人事よ」
エマは少し身構えた。人事、とお嬢様が言う時は、大抵何か大きなことが起こる。
「科学大臣を作るわ」
「科学大臣?」
クラウスが聞き返した。
「科学技術を統括する役職よ。鉱物資源の管理、新技術の開発、科学用語の統一……これからの国には必要な職よ」
「なるほど。誰を任命するのですか?」
「試験をするわ」
エマは驚いた。
「試験?」
「科学の知識を問う試験。合格者を大臣にする」
クラウスは少し考え込んだ。
「……公平ですね」
「能力主義よ。家柄は関係ないわ」
エマは心の中でため息をついた。
また新しいことを始める……。
◆
数日後、試験会場には数十人の受験者が集まっていた。
貴族の子弟、学者、職人。様々な背景を持つ者たちが席についている。
その中に、ヨハンの姿があった。端の席に座り、周囲を気にせずにぼんやりとしている。
「あれ、鉱山の変人じゃないか」
受験者の一人が囁いた。
「石ばかり集めてる奴だろ? 場違いじゃないか」
ヨハンは聞こえているはずだが、反応しなかった。
「始めなさい」
シャルロッテの声で、試験が始まった。
試験用紙が配られる。エマは会場の隅で、カンニング対策の監視役として立っていた。
受験者の一人が問題用紙を開き、固まった。
『鉄を精錬する際、炭素が果たす役割を説明せよ』
『水が沸騰する温度は、山の上と平地で異なる。その理由を述べよ』
……何を聞かれているのかすら、わからないようだ。
だがヨハンは違った。問題用紙を見ると、すぐにペンを走らせ始めた。
周囲を見渡すと、受験者たちは皆、苦悶の表情を浮かべていた。
ある貴族の子弟は、問題用紙を何度も裏返している。白紙のまま、一文字も書けていない。
学者らしき老人は、首をひねりながら何かを書いては消し、書いては消しを繰り返している。
その中で、ヨハンだけが淀みなくペンを走らせ続けていた。
お嬢様に教わったことが、そのまま出ているのだろう。
◆
試験終了後、結果発表が行われた。
「結果を発表するわ」
シャルロッテの声に、会場がざわめいた。
「合格者は1名」
「1名!?」
受験者たちから驚きの声が上がった。
シャルロッテは会場を見渡した。
「見ての通り、私の採用基準は実力ベースよ。そこに貴族階級も職業も関係ない。今日できなくても来年、再来年できればいい。活躍したいなら、勉強なさい。これから学校を開くから、そこで必死に勉強してまた挑戦することを期待してるわ」
会場が静まり返った。7歳の少女の言葉とは思えない重みがあった。
「では、合格者を発表するわ。ヨハン」
「おう」
ヨハンが立ち上がった。
「83点よ」
会場が静まり返った。
「あの変人が!?」
「ありえない……」
ざわめきが広がる。
「他の受験者の最高点は32点。圧倒的な差ね」
シャルロッテは淡々と続けた。
「へへ」
ヨハンは照れくさそうに頭を掻いた。
エマは納得していた。
やっぱり……師匠に教わってたから……。
◆
玉座の間で、正式な任命式が行われた。
「ヨハン」
「はい、師匠」
「……ここでは『シャルロッテ様』と呼びなさい」
「あ、ああ。はい、シャルロッテ様」
ヨハンは慌てて言い直した。7歳の少女が威厳をもって立っている。17歳の青年がその前に跪いている。
「あなたを科学大臣に任命するわ」
シャルロッテは宣言した。
「鉱物資源の管理、元素周期表の整備、科学用語の統一。そしてギュンターと協力して、新技術の開発を担当しなさい」
「了解……しました」
居並ぶ貴族たちの間に、困惑の空気が流れた。
17歳の平民が大臣だと……。
しかも任命しているのは7歳の摂政……。
ある老貴族が隣の者に小声で囁いた。
「あの試験、わしの息子も受けたが、一問も解けなかったそうだ」
「うちもだ。あれは一体何を問うていたのだ……」
だが、誰も異議を唱えることはできなかった。試験という公平な手続きを経ているのだから。
この国は一体どうなっているんだ……。
エマは彼らの気持ちがよくわかった。
7歳の師匠と17歳の弟子……シュールすぎる……。
任命式が終わり、廊下を歩いていると、ヨハンが声をかけてきた。
「なあ、エマ」
「はい?」
「俺、大臣になっちまった」
「おめでとうございます」
「1年前は、石を集めてる変人って言われてたのに」
ヨハンは窓の外を見た。
「師匠に出会って、人生が変わった」
「……」
エマも窓の外を見た。
「私も、お嬢様に仕えて人生が変わりました」
「お前も?」
「はい。普通のメイドだったのに……今では簿記の講師とか、国勢調査とか……」
「はは、お互い大変だな」
「本当に……」
二人は顔を見合わせて、苦笑した。
◆
執務室で、ヨハンがシャルロッテに報告していた。
「師匠」
「……大臣になったんだから、もう師匠はやめなさい」
「嫌だ」
シャルロッテが少し驚いた顔をした。
「は?」
「俺にとっては、ずっと師匠だ。肩書きは関係ねえ」
「……」
シャルロッテはしばらく黙っていた。やがて、小さく息を吐いた。
「好きにしなさい」
「おう」
ヨハンは嬉しそうに笑った。
「で、師匠。次は何をやる?」
「教育よ」
「教育?」
「これまで、必要な原子だけ虫食いで教えてきたでしょう。鉄、炭素、酸素……」
「ああ、その都度教わった」
「それを体系的にまとめるわ。すべての原子を整理して、周期表を作る」
「周期表?」
「原子には規則性があるの。それを表にまとめれば、まだ見つかっていない原子も予測できる」
ヨハンの目が輝いた。
「すげえ……」
「そして、それを教科書にまとめてほしいの」
「教科書?」
「あなたが学んだことを、次の世代に伝えるため。私が教えなくても、本を読めば誰でも学べるようにする」
ヨハンは少し考え込んだ。
「……俺が教わったことを、本にするのか」
「そう。あなたの担当よ」
「任せろ、師匠!」
エマは部屋の隅で紅茶を淹れながら、二人のやり取りを聞いていた。
科学大臣が誕生した。内務大臣も就任した。製造部門長もいる。
お嬢様の周りに、少しずつ人が集まっている。
変な人ばかりだけど。
エマは小さくため息をついた。
私はメイドなのに……なんでこんなことに巻き込まれてるんだろう。
だが、不思議と嫌ではなかった。




