第37話 摂政就任
会議室に、主要な貴族たちが集まっていた。
私は壁際に控えながら、その様子を見ていた。
「急に呼び出して、何事だ?」
「さあ……内務大臣からの招集としか聞いていない」
貴族たちが顔を見合わせている。
クラウス様が立ち上がった。
「お集まりいただき、感謝する。本日の議題は一つ——シャルロッテ様の摂政就任式についてだ」
一瞬の沈黙。
「……は?」
「何を言っている?」
「摂政就任式だと?」
貴族たちがざわめき始めた。
「待て待て待て。今まで正式な摂政ではなかったのか?」
「あれは、未来の王妃だなんだと無理を通していただけだ。そもそも、七歳の子供が正式な摂政など、前代未聞だ」
「つまり、それを正式にやろうと?」
「本当に、あの子供に指示されるのか?」
「いくらヴァイスバッハ伯爵の娘とはいえ……」
不満と困惑が入り混じった声が、あちこちから上がる。
グライフ伯爵は無言で腕を組み、様子を見守っている。
「道路の件では世話になった。だが、それとこれとは話が別だ」
「同感だ。一つ二つの成果で、国政を任せるわけにはいかん」
「我々の面子もある。七歳の小娘に頭を下げろと?」
お嬢様は、黙って聞いていた。表情は変わらない。
クラウス様が、貴族たちを見回した。
「皆の言いたいことはわかる。だが、聞いてほしい」
貴族たちが静まった。クラウス様といえば、会議で「仰せのままに」としか言わない人だ。こんなに強い口調で話すのを、誰も見たことがない。
「この二年、シャルロッテ様は数々の改革を成し遂げた」
「それは知っている。だが——」
「紙の製造。複式簿記の普及。単位系の統一。そして道路の整備」
クラウス様は、貴族たちを見回した。
「いずれも、我々が長年できなかったことだ。この中に、同じことを二年でできる者がいるか?」
誰も答えない。
「私自身、十五年前に諦めた理想を、この方は実現しつつある」
貴族たちが顔を見合わせる。
「年齢を理由に反対する者もいるだろう。だが——結果がすべてだ」
クラウス様は、指を立てた。
「国庫の赤字は解消された。民は仕事を得て、税収は増えた。この二年、無駄な戦は一度もない」
貴族たちが黙り込む。
「この国は、良くなっている。それを否定できる者がいるか?」
誰も口を開かない。
「これをほぼ一人で成し遂げたのが、シャルロッテ様だ」
クラウス様の声は、静かだが、よく通った。
「私、内務大臣クラウス・フォン・リヒターは、シャルロッテ様の摂政就任を、全面的に支持する」
私は息を呑んだ。あの死んだ魚のような目をしていた人が、こんなにはっきりと——
誰も何も言わない。
やがて、貴族の一人が、ぽつりと言った。
「……確かに、紙のおかげで帳簿が楽になった」
「複式簿記も、最初は面倒だと思ったが……不正が減って、かえって助かっている」
「道路も、うちの領の産物が売れるようになった」
ぽつぽつと、声が上がり始める。
グライフ伯爵が、腕を組んだまま言った。
「……内務大臣がそこまで言うなら、反対はせん。それに——」
伯爵は、お嬢様をちらりと見た。
「シャルロッテ様は約束は守る御方だ。それは、道路の件で確認した」
クラウス様が、貴族たちを見回した。
「では、採決を取る。シャルロッテ様の摂政就任式を行うことに、賛成の者は挙手を」
クラウス様自身が、まず手を挙げた。
一瞬の間。
グライフ伯爵が、ゆっくりと手を挙げた。
それを見て、他の貴族たちも次々と手を挙げていく。
「……反対は?」
誰も手を挙げない。
「全会一致で可決とする」
クラウス様が宣言した。
お嬢様が、小さく頷いた。
「では、式の日取りを決めましょう」
立ち上がり、会議室を出ていく。
私は慌てて後を追った。
◆
それから二週間後。就任式当日。
謁見の間に、貴族たちが集まっていた。
玉座には、カール様が座っている。四歳。まだ意味がわかっていないのか、キョロキョロと周囲を見回している。
カール様、完全に退屈してる……。
大司教が前に進み出た。白い法衣を纏った、厳格そうな老人だ。
この国では、皇帝の即位も摂政の任命も、大司教が執り行う。神の名のもとに権威を与える——という建前らしい。
「皇帝陛下が成人されるまでの間、摂政として政務を執る者を定める」
大司教の声が、広間に響いた。
お嬢様が前に進み出る。
小さな体。だが、その背筋はまっすぐに伸びている。
あの会議とは違い、貴族たちは静かだった。
「シャルロッテ・フォン・ヴァイスバッハ。汝、摂政の任を受けるか」
「受けます」
お嬢様の声は、凛としていた。七歳とは思えない。
「では、ここに宣言する。本日より、シャルロッテ・フォン・ヴァイスバッハを帝国摂政と認める」
大司教が、玉座のカール様に向き直った。
「皇帝陛下。この任命をお認めになりますか」
カール様は、キョトンとした顔をしていた。
お嬢様が、小さく頷いた。
「あい!」
カール様が元気よく手を挙げた。
……たぶん、意味はわかっていない。
貴族たちの間から、かすかな笑い声が漏れた。でも、誰も咎めない。四歳の皇帝に、何を求めるというのか。
お嬢様は、ゆっくりと振り返った。
貴族たちを、見渡す。
「これより、私が政務を執ります。異論のある方は?」
沈黙。
あの会議で、すでに決着はついていた。
「ないようね」
お嬢様は、小さく笑った。
「では、仕事を始めましょう」
お嬢様、やっぱり怖い……。
◆
就任式が終わり、私はお嬢様と廊下を歩いていた。
「お嬢様……いえ、摂政殿下?」
「お嬢様でいいわ。面倒くさい」
お嬢様は、さらりと言った。
「でも、正式に摂政になったんですよね?」
「肩書きが変わっただけよ。やることは同じ」
「同じ、ですか?」
「ただ、これで勅令が出せる。堂々とね」
お嬢様は、窓の外を見た。
「グライフ伯爵みたいな人にも?」
「そう。『正式な摂政ですらない』なんて、もう言わせない」
ああ、そういうことか。
クラウス様から聞いた話を思い出す。伯爵との交渉で、お嬢様の権限が問題になった。それをきっかけに、クラウス様が就任式を提案したのだという。
「でも、できれば使いたくないわね」
「え?」
「勅令のこと。強制より説得。恐怖より利益。そのほうが長持ちする」
お嬢様は、淡々と言った。
「クラウス様みたいに?」
「そうね。彼は使える」
お嬢様は、ちらりと私を見た。
「ちなみに、一番使えるのはあなたよ」
「え?」
「だから、これからも頼むわね」
お嬢様は、さらりと言って歩き出した。
……褒められた、のかな? 『使える』って、褒め言葉なのかな……?
◆
三ヶ月後。
首都から鉱山へ向かう新しい道路が、ついに開通した。
私は開通式を見守っていた。
まっすぐに伸びる道路。幅は広く、荷馬車がすれ違える。両側には側溝が掘られ、路面には砂利が敷き詰められている。
沿道には、宿場がいくつも建っている。馬を替える場所、休憩する場所。お嬢様が言っていた「駅伝制」というやつだ。
「いやぁ、便利になったもんだ」
商人が嬉しそうに言った。
「二十日かかってたのが、十二日だぞ!」
「宿場で飯も食えるし、馬も借りられる」
「おかげで商売がやりやすくなった」
農民たちも喜んでいる。
「どう?」
お嬢様が聞いた。
「皆さん、喜んでいます」
「当然ね。便利になったんだから」
クラウス様が、黙って道路を見ていた。
「クラウス」
お嬢様が声をかけた。
「はい」
「伯爵への約束、ちゃんと履行したでしょう?」
「はい。土地の補償金は支払い済み、宿場の税収は折半、そして工事には伯爵領の領民を優先的に雇用しました」
「よろしい。信用は財産よ。裏切らなければ、次も協力してもらえる」
「……仰せのままに」
クラウス様、最近なんだか雰囲気が違う……。
前はもっと、なんというか、諦めたような表情をしていた。でも今は——
◆
開通式の帰り道。
馬車を降りて、少し歩いていた時のことだ。
「エマ殿」
クラウス様が、声をかけてきた。
「はい? クラウス様」
「……あなたは、シャルロッテ様をどう思っている?」
突然の質問に、戸惑った。
「どう、と言われましても……可愛いですよね。小さくて、ほっぺたがぷにぷにで、抱きしめたくなるというか——」
「……そういうことを聞いているのではない」
クラウス様が、疲れたような顔をした。
「冗談です——半分は」
「半分は本気なのか……」
ゴホンと咳払いするクラウス様。
「正直に聞かせてほしい」
「……正直、わからないことばかりです」
私は、正直に答えた。
「お嬢様が言うことは、半分も理解できません。知らない言葉ばかり出てくるし、やることも突拍子もないし」
「……」
「でも……」
「でも?」
「お嬢様がやることは、結果的にうまくいくんです」
私は、遠くの道路を見た。あの道路も、最初は無理だと思った。でも、できた。
「ものすごく合理的で、効率的で、かつ——誠実です」
「誠実?」
「はい。一見、貴族から権力を奪っているように見えるかもしれませんが……あれは不正分を回収しているだけです」
私は、人口調査のことを思い出した。隠していた人口がバレて、追徴課税された領主たち。
「その一方で、支払うべきものはきちんと支払います。グライフ伯爵への補償金がそうでしょう?」
「……」
「お嬢様は、ずるいことをしない。だから——私には理解できなくても、信じられるんです」
「……そうか」
クラウス様は、頷いた。
「クラウス様は?」
私は聞いた。
「私は……」
クラウス様は、少し考えてから言った。
「……信じたいと思っている」
「信じたい?」
「ああ。シャルロッテ様が目指す先を。それが、どこなのかはわからないが……少なくとも、悪い方向ではないと思う」
「……」
「クラウス様」
「何だ」
「なんだか、最近変わりましたね」
「……そうか?」
「前は、もっと……なんというか……」
「死んだ魚のような目をしていた、と?」
「そこまでは言ってません!」
クラウス様が、かすかに笑った。
「ふっ……」
笑った!? クラウス様が笑った!?
私は目を疑った。この人が笑うところ、初めて見た。
「私自身、そう思っていたよ」
「え?」
「死んだ魚の目。十五年間、ずっとそうだった」
クラウス様は、遠くを見た。
「理想を諦め、流されるまま生きてきた。何を言っても無駄だと、心のどこかで思っていた」
「……」
「だが、シャルロッテ様に出会って——変わった。変われた」
クラウス様は、私を見た。
「あの方は、諦めない。不可能を可能にする。それを見ていたら——私も、もう一度やってみようと思えた」
「クラウス様……」
「だから、感謝している。あの方にも——そして、あの方を支えているあなたにも」
私は、何も言えなかった。
クラウス様は、小さく頷いて歩き始めた。
私は、その背中を見送った。
この人も、お嬢様に振り回されている一人なんだ。
でも——悪い顔じゃなかった。




