表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私はメイドです!〜お嬢様の世界征服に巻き込まれた哀れな日々〜  作者: ほしみん
第一章 国内改革

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/52

第36話 内務大臣の選択~クラウス視点~

私の名はクラウス・フォン・リヒター。

内務大臣として、この国に仕えて三十年になる。


かつては志もあった。理想もあった。この国を変えたいと、本気で思っていた時期もあった。


だが今の私は、ただ命令に従うだけの抜け殻だ。


——そう思っていた。あの日までは。




「お嬢様、グライフ伯爵が工事を止めています」


エマという名のメイドが、そう報告した。


執務室には、シャルロッテ様と、私、そしてこのメイドがいる。最近ではこの三人での会議が定例になっていた。


「聞いたわ。許可証がないから、だったかしら」


シャルロッテ様は、七歳とは思えない落ち着きで応じた。


「はい。正式な書類を見せろと……」


「勅令を出すわ。道路建設を国家事業として——」


「お待ちください」


気づけば、私は口を開いていた。


シャルロッテ様の視線が、こちらを向く。


「何?」


「……私が、伯爵と話してまいります」


なぜ、そんなことを言ったのか。自分でもわからなかった。


「あなたが?」


「はい。グライフ伯爵とは……旧知の仲でございます」


シャルロッテ様は、じっと私を見つめた。七歳の子供とは思えない、見透かすような目だった。


「勅令は最後の手段に取っておくべきかと」


「……」


「勅令を出せば、伯爵は表向き従っても、心は離れます。それよりは——」


「ふぅん」


シャルロッテ様は、小さく笑った。


「いいわ、行ってらっしゃい」


「……ありがとうございます」


私は一礼して、執務室を後にした。


背中に、二人の視線を感じる。だが、振り返らなかった。





馬車に揺られながら、私は窓の外を見ていた。


十五年前のことを、思い出していた。


あの頃の私は、まだ若かった。三十四歳。血気盛んで、理想に燃えていた。


「この税制改革により、国庫収入は一・五倍に——」


私は、先代の大臣に改革案を提出した。何度も練り直した、自信作だった。


「リヒター。お前の言いたいことはわかる」


先代大臣は、私の資料をめくりながら言った。


「では——」


「だが、できん」


「なぜですか!? 数字は明らかに——」


「数字の問題ではない」


先代大臣は、資料を閉じた。


「貴族たちが納得せん」


「納得させればいいでしょう!」


「……若いな」


先代大臣は、憐れむような目で私を見た。


「国を動かすのは正論ではない。力だ」


「力……」


「お前に、貴族たちを従わせる力があるか?」


私は、答えられなかった。


「理想だけでは国は変えられん。十年早いとは言わん。だが——今ではない」



その日の夜、私は帰宅した。


「父上、お帰りなさい」


玄関で、息子のフリードリヒが出迎えてくれた。九歳になったばかりの、明るい少年だった。


「……ああ」


「どうしたのですか? 元気がありませんね」


「……何でもない」


「改革案、却下されたのですか?」


私は黙った。この子は、よく見ている。


「……お前には関係ない」


「父上」


フリードリヒは、真っ直ぐな目で私を見た。


「僕は、父上の味方です」


「……」


「いつか、父上の理想が叶う日が来ます。僕も、その時は手伝います」


私は、息子の頭を撫でた。


「……ああ。そうだな」





それから十年が経った。


私は四十四歳になり、フリードリヒは十九歳になった。


そして——あの戦争が始まった。


隣国との国境紛争。大した理由もない、くだらない戦争だった。だが、当時の王──そうこの前食中毒で死んだ王だ──は威信をかけて大軍を送り込んだ。


フリードリヒも、徴兵された。


「リヒター男爵。ご子息フリードリヒ様は……」


使者の声が、今でも耳に残っている。


「先の会戦にて、壮烈な戦死を遂げられました」


妻が、その場に崩れ落ちた。


「そんな……嘘よ……フリードリヒ……!」


私は——何も言えなかった。


「……どのような、最期だった」


ようやく、それだけを聞いた。


「敵陣への突撃命令が下り……先陣を切って……」


「突撃命令」


「はい。将軍の命令により——」


「……なぜ、そのような命令が」


「敵の士気を挫くため、と……」


私は、使者の言葉を聞いていなかった。


あの戦いは、結局引き分けに終わった。クソのような王の体面のせいで始まったこの戦争は、結局何も得られず、何も変わらず、ただ若者たちが死んだだけだった。


息子は、何のために死んだ?


私は——何のために——




馬車が揺れて、私は我に返った。


窓の外には、道路工事の現場が見えた。


「……止めてくれ」


御者に声をかけ、馬車を降りた。


農民たちが、汗を流して働いていた。


「よいしょ! よいしょ!」


「そこ、もう少し平らに!」


「へい!」


私は、現場を歩いた。農民たちが、怪訝そうな顔でこちらを見る。


「おっ、お偉いさんが来たぞ」


「邪魔すんなよ、仕事中だ」


「……続けてくれ。見ているだけだ」


休憩中の農民が、水を飲んでいた。私は、その男に近づいた。


「少し聞いてもいいか」


「へえ、何でしょう」


「この仕事は……どうだ」


農民は、不思議そうな顔をした。


「どうって……まあ、ありがてぇですよ」


「ありがたい?」


「へえ。冬は毎年、食い扶持に困ってたんで」


農民は、日焼けした顔で笑った。


「飯も出るし、銭ももらえる。おかげで嫁さんと子供に、ひもじい思いをさせずに済みます」


「……そうか」


「旦那様、何かご不満でも?」


「いや……ご苦労」


私は馬車に戻った。


子供に、ひもじい思いをさせずに済む。


その言葉が、頭から離れなかった。


シャルロッテ様の政策は——人を殺すのではなく、生かしている。





グライフ伯爵邸に着いた頃には、日が傾きかけていた。


「クラウスか。珍しいな、お前が来るとは」


グライフ伯爵は、応接間で私を迎えた。白髪が増えたな、と思った。


「久しぶりだな、グライフ」


「まあ座れ。茶でも飲むか」


「……ああ、もらおう」


使用人が茶を運んでくる間、グライフ伯爵は私を観察していた。


「それで? 用件は何だ。道路のことか?」


「ああ」


「言っておくが、道路の件は私は反対だぞ」


グライフ伯爵は、茶を一口飲んだ。


「領主の許可なく領地を掘り返すなど、認められん」


「気持ちはわかる」


「わかるなら帰れ。私は譲らん」


「……グライフ」


「何だ」


「お前は……シャルロッテ様をどう思っている」


グライフ伯爵は、眉をひそめた。


「どうもこうもない。五歳——いや、今は七歳か。子供だ」


グライフ伯爵は、茶碗を置いた。


「しかも正式な摂政ですらない。ただの伯爵令嬢だ」


「……」


「子供の思いつきに国が振り回されている。嘆かわしいことだ」


グライフ伯爵は私の目を見た。


「お前もそう思っているだろう? かつてのお前なら——いや、かつてのお前は、こんな命令には従わなかっただろうな」


「……」


「改革派のリヒター。志を持っていた男が、今では幼女の犬か」


私は、黙っていた。


「息子を亡くしてから、お前は変わった」


グライフ伯爵の声が、少し柔らかくなった。


「目が死んでいる。何も信じていない目だ」


「……」


「違うか?」


「……違わない」


私は、自分でも驚くほど正直に話していた。


「グライフ。私は……長い間、何も信じていなかった」


「……」


「息子が死んでから、改革も、理想も、すべてが虚しくなった。どうせ何をしても変わらない。そう思っていた」


グライフ伯爵は、黙って聞いていた。


「シャルロッテ様が政務を行うようになってからも同じだった。子供の戯言だ。すぐに飽きる。そう思っていた」


「違うのか?」


「……わからない」


私は、窓の外を見た。


「だが——あの方は、やると言ったことをすべてやり遂げている」


「……」


「羊皮紙に代わる紙を作ると言った。植物から作る、安価な紙だ。馬鹿げていると思った。だが——できた」


「……」


「インクも改良した。にじまず、乾きが早い。今では宮廷の公文書はすべてそれを使っている」


「それは知っている」


「複式簿記という帳簿の技法を広めた。商人たちは最初反発したが、今では自ら採用している。そのほうが便利だと気づいたからだ」


グライフ伯爵は黙って聞いていた。


「度量衡を統一した。メートル、キログラム、秒。全国どこでも同じ単位で取引ができる」


「……確かに、便利になったとは聞いている」


「気球を飛ばした。空から地上を見下ろし、地図を描いた。三角測量で精度を高め、今までにない正確な地図ができつつある」


私は、グライフ伯爵の目を見た。


「そのすべてを——七歳の子供が、二年でやり遂げた」


「……」


「年齢を考えれば、異常だ。立場を考えれば、不自然だ。正体がわからないという点では、お前の言う通りかもしれない」


「……」


「だが——これだけの実績を前にすると、そんなことはどうでもよくなる」


グライフ伯爵は、黙ったまま私を見ていた。


「そして今、道路だ」


私は、窓の外を見た。


「今日、工事現場を見てきた」


「工事現場?」


「農民が働いていた。冬の食い扶持に困らずに済むと、喜んでいた。子供にひもじい思いをさせずに済むと」


「……」


「私の息子は、戦争で死んだ」


声が、少し震えた。


「何の意味もない戦争だった。勝っても負けても、何も変わらない。ただ人が死んだだけだ」


「……」


「でも、この道路は違う」


私は、グライフ伯爵の目を見た。


「完成すれば、人々の暮らしが良くなる。命を奪うのではなく、命を繋ぐ」


「……」


「……私は、それを信じたい」





長い沈黙があった。


「……クラウス」


グライフ伯爵が、口を開いた。


「お前が、そこまで言うとはな」


「……」


「五年前にフリードリヒが死んでから、お前は何も言わなくなった。会議でも、『仰せのままに』としか言わん」


「……すまない」


「謝るな。気持ちはわかる」


グライフ伯爵は、立ち上がって窓際に歩いた。


「……シャルロッテ様は、本気なのか?」


「……わからない。ただ——今のところ、やると言ったことはすべてやっている」


「……」


グライフ伯爵は、しばらく窓の外を見ていた。


「お前が言うなら、一度くらいは様子を見てやる」


「伯爵……」


「ただし、条件がある」


グライフ伯爵は、振り返った。


「道路が私の領地を横切る。その分の土地の補償は払ってもらう」


「それは当然だ」


「それと、道路が通れば商人の往来が増える。宿場も建つだろう。その税収は——」


「待て」


私は、グライフ伯爵の言葉を遮った。


「税収を全部よこせと言うなら、工事費も全部お前が出すのか?」


「……」


「国費で道路を作り、お前が税収を取る。それは虫が良すぎるだろう」


グライフ伯爵は、少し驚いた顔をした。


「……お前、言うようになったな」


「交渉だろう。それくらいは言う」


「ふん」


グライフ伯爵は、かすかに笑った。


「では、こうしよう。宿場の税収は折半だ」


「……妥当だな」


「それと、私の領民を工事に優先的に雇え。賃金は国持ちでな」


「それは——シャルロッテ様に確認する」


「ああ、そうしろ」


グライフ伯爵は、窓際から戻ってきた。


「少しは目に光が戻ったな、クラウス」





翌日、私は王城に戻り、シャルロッテ様に報告した。


「グライフ伯爵から許可を得ました」


「あら、勅令なしで?」


「はい。ただ、条件がございます」


「聞くわ」


「まず、道路が横切る土地の補償」


「当然ね」


「次に、宿場の税収を折半」


「……ふぅん」


シャルロッテ様は、少し考えるような顔をした。


「最初は全額よこせと言ったんでしょう?」


「……はい」


「それを折半まで下げたのね」


「工事費を全額出すなら税収も全額、と申し上げたところ……」


「あら」


シャルロッテ様は、小さく笑った。


「言うじゃない」


「……恐れ入ります」


「それで?」


「あと一つ。伯爵領の領民を、工事に優先的に雇ってほしいと」


「賃金は国持ちで?」


「……はい」


シャルロッテ様は、少し考えてから頷いた。


「妥当ね。むしろありがたいくらい」


「よろしいのですか?」


「当然よ。地元の人間を雇えば、道路への反発も減る。伯爵の顔も立つ。悪くない条件だわ」


シャルロッテ様は、立ち上がって窓際に歩いた。


「道路が通れば、その土地の価値は上がる。税収も増える。伯爵が得をしても、国も得をする」


「……」


「クラウス」


「はい」


「よくやったわ」


その言葉に、胸が熱くなった。


「……恐れ入ります」


「でも、一つ聞いていい?」


「何でしょう」


シャルロッテ様は、振り返った。


「なぜ、自分から行くと言ったの? あなた、そういうタイプじゃなかったじゃない」


私は、少し考えた。


「……シャルロッテ様」


「何?」


「私は……十五年前、この国を変えたいと思っていました」


「……」


「税制を改革し、道路を整備し、民の暮らしを良くする。そんな理想を持っていました」


「それで?」


「先代の大臣に言われました。『貴族たちを従わせる力がお前にあるか』と」


「……」


「ありませんでした。だから、諦めた」


私は、窓の外を見た。


「でも、シャルロッテ様は——諦めていらっしゃらない」


「……」


「私ができなかったことを、次々と実現している。貴族たちも、気づけば従っている」


「力があるから?」


「いえ……結果を出しているからです」


私は、シャルロッテ様の目を見た。


「私が夢見て諦めたものを、あなたは現実にしている。それを見ていると……」


言葉を探した。


「……悔しいような、嬉しいような、不思議な気持ちになるのです」


シャルロッテ様は、黙って私を見つめていた。


「だから……せめて、邪魔はしたくないと思いました」


「邪魔?」


「勅令を出せば、伯爵は表向き従っても、心は離れます。それよりは……説得できるなら、したほうがいいと」


「……」


シャルロッテ様は、小さく笑った。


「クラウス」


「はい」


「あなた、使えるじゃない」


「……恐れ入ります」


「これからも頼むわ」


「……仰せのままに」


いつもと同じ言葉のはずだった。


だが、口にした瞬間、何かが違うと感じた。


諦めではない。これは——


エマが、不思議そうな顔でこちらを見ていた。


「シャルロッテ様」


私は、少し躊躇してから口を開いた。


「何?」


「伯爵は……シャルロッテ様のことを『正式な摂政ですらない』と申しておりました」


「……」


「今回は交渉で乗り切れましたが、同じことを言う貴族は他にもいるかと」


シャルロッテ様は、黙って私を見ていた。


「恐れながら……正式な摂政就任式を行うべきではないでしょうか」


エマが、驚いた顔をした。


「クラウス様、それって……」


「シャルロッテ様の実績は、すでに疑いようがありません。ならば、名実ともに——」


「いいわ」


シャルロッテ様は、あっさりと頷いた。


「え?」


「やりましょう。準備を進めなさい」


私は、拍子抜けした。もっと説得が必要かと思っていた。


「……仰せのままに」


シャルロッテ様は、小さく笑った。


「そろそろ頃合いかと思ってたわ」





その夜、私は自宅の書斎にいた。


息子の剣を、手に取った。


あの日から一度も抜いていない剣。鞘には、リヒター家の紋章が刻まれている。


「フリードリヒ」


私は、剣に語りかけた。


「お前が生きていれば……二十四歳か」


窓の外には、月が出ていた。


「シャルロッテ様は……まだ七歳だ。だが、あの目は——お前と同じだ」


お前が言っていた言葉を思い出す。


『いつか、父上の理想が叶う日が来ます』


私は諦めた。十五年前に。五年前に。何度も。


だが——


「シャルロッテ様は、諦めていない」


私は、剣を元の場所に戻した。


「フリードリヒ」


月明かりが、書斎を照らしていた。


「私は……もう少しだけ、見ていようと思う。あの方が、どこまでやれるのか」


返事はない。当然だ。


「それが、お前への手向けになるかは、わからないが」


私は、窓を閉めた。


明日も、仕事がある。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ