第35話 【技術回】鉄の時代~ヨハン視点~
※作者の趣味で技術蘊蓄が延々と続きます。興味ない方は遠慮なく飛ばしてください。
道路工事用工具に使う鋼鉄を作る。そのための高炉建設が始まった。
「これが高炉よ」
師匠が広げた設計図を見て、思わず声を上げた。
「でけえ……」
「高さ10メートル以上。上から鉄鉱石、コークス、石灰石を入れる。下から熱風を送り込む」
「下から?」
俺は首を傾げた。
「師匠、空気を遮断するんじゃなかったのか?」
「いい質問ね」
師匠が頷いた。
「コークスを燃やすには酸素が必要。でも送り込む量を調整するの」
「調整?」
「酸素が少ないと、コークスは完全に燃えない。一酸化炭素になる」
「一酸化炭素?」
「CO。二酸化炭素はCO₂でしょう? 一酸化炭素は酸素が一つ足りない状態」
なるほど。酸素が足りないから、もっと酸素が欲しい状態か。
「一酸化炭素は不安定で、二酸化炭素のほうが安定なの。だから酸素を取り込もうとする」
「この一酸化炭素が、鉄鉱石から酸素を奪うの」
師匠が設計図の余白に式を書いた。
『Fe₂O₃ + 3CO → 2Fe + 3CO₂』
「COがOを一つ奪って、CO₂になる。鉄だけが残るわ」
「そうか……! 完全に燃やさないことで、還元剤を作るのか」
「そういうこと。1500度以上になれば、鉄が溶けて下に溜まる」
ギュンターが設計図を覗き込んだ。
「……これは大がかりだな」
「できる?」
師匠が問いかける。ギュンターは設計図を見つめたまま、しばらく黙っていた。
「やったことねえ。だがやってみる」
高炉を動かすには、まずコークスが必要だった。
炭焼き場に、巨大な窯が作られた。
「石炭を窯に入れて、密閉して焼く」
ギュンターが職人たちに指示を出す。
「空気がない状態で加熱するんだよな」
俺は確認した。師匠に教わった通りだ。
「ああ。燃やすんじゃねえ、蒸し焼きだ」
「そうすると不純物が飛んで、純粋な炭素だけ残る」
「理屈はそうだ。問題は温度管理だな」
「どうやって測るんだ? 温度計じゃ無理だろ」
コークスを作るには1000度近く必要だと聞いた。水銀温度計の限界を超えている。
「炎の色で見る」
ギュンターが答えた。
「赤から橙、黄色へと変わる。長年やってりゃ、色で温度がわかる」
「職人の目か……」
「温度計が使えねえ領域は、まだ俺たちの出番だ」
ギュンターは少し誇らしげに言った。
数日後、窯が開けられた。
中から出てきたのは、黒く硬い塊だった。
「これがコークスか……」
「軽いな。でも硬い」
手に取ると、見た目より遥かに軽かった。だが叩いてみると、石のように硬い。
「いいわね」
師匠が頷いた。
「これで高炉を動かせる」
◆
高炉の建設には数ヶ月かかった。
巨大な塔が鉱山の近くに建てられた。レンガを積み上げ、内壁を耐火煉瓦で覆う。下部には巨大なふいごが設置された。
そして、初稼働の日。
「準備完了だ」
ギュンターが報告した。
「始めなさい」
師匠の合図で、職人たちが動き出した。
鉄鉱石、コークス、石灰石が上から投入される。下からはふいごで熱風が送り込まれた。
「すげえ熱さだ……」
顔を覆った。高炉の近くにいるだけで、肌が焼けそうだ。
「近づくな。鍛冶場の比じゃねえぞ」
ギュンターが警告した。
「温度は順調?」
師匠が問いかける。ギュンターは炉口を睨んでいた。
「……正直、わからねえ」
「わからない?」
「鍛冶で一番熱くするのは、鉄を溶接する時だ。明るい黄色になる」
ギュンターが炉口を睨んだ。
「だがこの色は……見たことがねえ」
炉口から漏れる光は、白に近い黄色だった。鍛冶の黄色より、さらに明るい。
「順調よ」
師匠が言った。
「なんでわかるんだ?」
俺は聞いた。
「熱いものは光を出す。温度が上がると、光の色が変わるの」
師匠が説明した。
「低いと赤。もっと熱くなると橙、黄色、白へと変わる」
「ギュンターが知ってる明るい黄色が、だいたい1200度。溶接熱ね」
ギュンターが頷いた。
「今の白黄色は、それより300度ほど高い。1500度前後よ」
「色で温度がわかるのか……」
「ええ。もっと熱くなると、白から青に変わる」
「青?」
「夜空の星で言うと、オリオン座のベテルギウスは赤いでしょう? あれは表面温度3000度くらい」
「3000度で低いのか……」
「星の世界ではね。太陽は黄色で6000度。シリウスは白くて1万度」
「1万……」
「おとめ座のスピカは青白い。2万5000度よ」
知らない星の名前がどんどん出てくる。だが、ともかく温度が低いと赤くて、高いと青いことはわかった。
「色を見れば温度がわかる。高炉も星も同じよ」
ギュンターは黙って聞いていた。自分の経験が、数字と結びついていく。
「理論上、この色なら鉄が溶ける。順調だわ」
ギュンターは頷いた。未知の領域に踏み込んでいる。その緊張が伝わってきた。
数時間が経過した。
「……出てきた」
ギュンターの声に、全員が注目した。
高炉の底から、赤く輝く液体が流れ出していた。
「すげえ……本当に鉄が溶けてる……」
息を呑んだ。鉄が水のように流れている。こんな光景は見たことがなかった。
「銑鉄よ。まだ炭素が多い」
師匠が言った。
「これを鋼鉄にするわ」
◆
「転炉を使うわ」
師匠が次の工程を説明した。
「転炉?」
「溶けた銑鉄に空気を吹き込む。炭素が酸素とくっついて飛んでいく。炭素が減ると、鋼鉄になる」
「C + O₂ → CO₂……今度は酸化させるのか」
理解した。高炉では還元で鉄鉱石から酸素を剥がした。転炉では酸化で余計な炭素を除去する。
「そう。酸化と還元を使い分けるのよ」
師匠に教わった化学式が、目の前で実現しようとしている。
ギュンターが転炉を準備した。
溶けた銑鉄に、管から空気が吹き込まれる。
激しく火花が散った。炎が噴き上がり、轟音が響く。
「……」
ギュンターは黙って作業を続けた。
やがて、火花が収まった。
「できた」
サンプルが取り出された。冷やして確認する。
「いい鋼鉄ね」
師匠が満足そうに言った。
俺もサンプルを手に取った。
「硬い……今までの鉄と全然違う」
叩いても曲がらない。だが脆くもない。これが鋼鉄か。
◆
「一日の生産量は?」
師匠が職人に問いかけた。
「約10トンです」
「10トン!?」
驚いた。
「たたら製鉄だと、一回の操業で数トン。しかも数日かかる」
「比較にならねえ……」
一日で10トン。たたら製鉄の何十倍もの効率だ。
ギュンターが口を開いた。
「嬢ちゃん」
「何?」
「最初から、ここまで見えてたってのか」
ギュンターは高炉を見上げた。
「ガラス、温度計、コークス、高炉……全部繋がってた」
「見えてなかったら設計できないでしょう」
師匠は当然のように答えた。
「……」
ギュンターは黙り込んだ。
「俺は30年鍛冶をやってきた」
やがて、ぽつりと言った。
「だが、こんなのは初めてだ」
◆
高炉を見下ろす丘に、師匠は立っていた。
煙を上げる高炉。働く職人たち。流れ出す鋼鉄。
「お嬢様、成功ですね」
エマが言った。
「始まりよ」
「始まり?」
「鉄があれば、何でも作れる。機械、武器、建物、橋、船……」
師匠は振り返った。
「産業の時代が始まるのよ」
師匠を見上げた。7歳の少女が、この国の未来を語っている。
「ヨハン、ギュンター」
「おう」
「なんだ」
「よくやったわ」
師匠は小さく頷いた。
「これからもっと忙しくなる。覚悟しなさい」
「望むところだ!」
拳を握った。師匠についていく。その決意は揺るがない。
「……ふん」
ギュンターはそっぽを向いた。だが、その口元には微かな笑みがあった。
エマは空を見上げて呟いた。
「お嬢様、また何か大きなことを始めるんだ……」
そして、小さくため息をついた。
「私はメイドなのに……」




