第34話 【科学回】燃えるとは何か~ヨハン視点~
※作者の趣味で科学蘊蓄が延々と続きます。興味ない方は遠慮なく飛ばしてください。
道路工事の現場から、報告が上がってきた。
「また鶴嘴が折れたってさ」
俺は師匠の執務室に報告書を持っていった。
「岩盤が硬いらしい。鉄の道具じゃ歯が立たねえって」
「そうでしょうね」
師匠は報告書を受け取りながら言った。
「今の鉄は脆いもの」
「脆い?」
「炭素が多すぎるの。硬いけど、衝撃で割れる」
師匠は窓の外を見た。
「そろそろ鋼鉄を作らないとね」
「鋼鉄?」
「鉄より強い金属よ。硬くて、しかも粘りがある。折れにくい」
師匠は椅子から立ち上がった。
「まずは高炉ね。でもその前に——」
俺を見た。
「ヨハン、原理を教えておくわ」
「原理?」
「なぜ鋼鉄が作れるのか。理屈がわからないと、応用が利かないでしょう」
師匠は黒板の前に立った。
「質問よ」
「おう」
「『燃える』とは何?」
少し考えた。当たり前すぎて、考えたこともなかった。
「……熱くなって、火が出ること?」
「なぜ熱くなるの? なぜ火が出るの?」
「……」
答えられなかった。
「なんでだろ」
言葉が漏れた。火は火だ。熱いものは熱い。それ以上考えたことがなかった。
「いい反応ね」
師匠が小さく頷いた。
「『なんで』と思えることが、科学の第一歩よ」
「で、なんでなんだ?」
「酸素よ」
「さんそ?」
「空気の中に、酸素という気体がある」
師匠が黒板に「O」と書いた。
「酸素はOと書くわ。覚えておきなさい」
「O……」
「物が燃えるのは、酸素とくっつくから。これを『酸化』と呼ぶわ」
「酸化……」
「木を燃やすと、木の中の炭素が酸素とくっつく」
師匠が黒板に「C」と書き加えた。
「炭素はC。木も石炭も、炭素でできている」
師匠が図を描いていく。小さな丸同士が線で繋がる。
「くっつく時にエネルギーが出る。それが熱と光」
「へえ……」
なんとなくわかる気がする。くっつく時に何かが放出される。それが火の正体だ。
「激しくくっつくと火が出る。ゆっくりくっつくと?」
師匠が問いかけた。
考えた。ゆっくり酸素とくっつくもの。身近にあるはずだ。
「……錆?」
「正解。錆はゆっくりした酸化よ」
「すげえ! 燃えるのと錆びるのは同じなのか!」
思わず立ち上がった。鉄が錆びるのと、木が燃えるのが、本質的に同じ現象だなんて。
「本質的にはね。速度が違うだけ」
「酸素がくっつくのが酸化」
師匠は続けた。
「じゃあ、酸素を剥がすのは?」
「……逆?」
「そう。『還元』と呼ぶわ」
「還元……」
「ここで質問。鉄鉱石って何?」
「鉄の石……だろ?」
「もっと正確に言うと?」
首を傾げた。鉄鉱石は鉄の石だ。それ以上何がある?
「鉄が酸素とくっついた状態よ。酸化鉄」
師匠は黒板に書いた。
『Fe₂O₃』
「Feは鉄のこと。Oは酸素。下の小さい数字が個数よ」
「鉄が二つに酸素が三つ……」
「そう。これがくっついて石になってる」
「あ……」
鉄鉱石は、錆びた鉄だったのか。
「だから製鉄は何をしてると思う?」
「酸素を……剥がす?」
「正解。製鉄は、酸素を剥がす作業なの」
「すげえ……!」
興奮した。製鉄の本質が見えた気がする。鉄鉱石から酸素を剥がして、純粋な鉄を取り出す。それが製鉄だ。
「でも、どうやって酸素を剥がすんだ?」
疑問が湧いた。酸素は目に見えない。どうやって剥がす?
「炭素を使うの」
師匠が答えた。
「炭素は酸素が大好き。酸素を奪い取る」
「奪い取る?」
「でも、空気中でやったらどうなると思う?」
「……炭素が空気中の酸素と燃えちまう?」
「正解。だから空気を遮断するの」
師匠が図を描いた。密閉された炉の中に、鉄鉱石と炭素。
「空気がない状態で加熱すると、炭素は鉄鉱石の中の酸素を奪うしかなくなる」
「なるほど……だから密閉するのか」
「そう」
師匠は黒板に式を書いた。
『2Fe₂O₃ + 3C → 4Fe + 3CO₂』
「CO₂は二酸化炭素。炭素に酸素が二つくっついたもの」
「炭素が鉄から酸素を奪って、鉄だけが残る。酸素は炭素とくっついて、二酸化炭素になって出ていく」
「だから煙が出るのか……」
「でも普通の炭には不純物がある。だから石炭を蒸し焼きにして、純粋な炭素にするの。これをコークスと呼ぶわ」
「コークス……」
「そう。コークスが酸素を奪い取る。それが製鉄の原理」
黙り込んだ。頭の中で、バラバラだった知識が繋がっていく。
「師匠……俺、なんか見えてきた気がする」
「何が?」
「なんで高炉が必要なのか、なんでコークスを使うのか。全部繋がってる……」
「それが科学よ」
師匠は言った。
「バラバラに見えることが、一つの原理で繋がる。それがわかった時の感覚、覚えておきなさい」
◆
俺は、ギュンターの工房に向かった。
「おっさん、高炉の原理わかったぞ」
「ああ?」
ギュンターは手を止めずに答えた。
「鉄鉱石は、鉄に錆がくっついた状態なんだ」
「錆?」
「そう。だから製鉄は、錆を剥がす作業」
師匠から学んだことを、自分の言葉で説明した。
「コークスを使うと、コークスが錆を引き剥がしてくれる。だから純粋な鉄が残る」
「……」
ギュンターは作業を止めた。
「錆を剥がす、か」
「そういうこと」
「だからコークスが必要なのか」
「おう。木炭じゃなくてコークスなのは、不純物がないからだ。純粋な炭素だから、錆を効率よく剥がせる」
ギュンターはしばらく考え込んでいた。
「……」
「おっさん?」
「わかった」
ギュンターは頷いた。
「理屈は任せた」
「え?」
「俺は作るのが仕事だ。お前は理屈を教えろ」
少し驚いた。ギュンターに認められた、ということだろうか。
「……おう」
頭固いおっさんだと思っていた。だが、こうして役割を任せてくれるのは、信頼の証だ。
少し嬉しくなった。
◆
執務室に戻ると、師匠がエマと話していた。
「いい連携ね」
「お嬢様?」
「ヨハンが理論を理解して、ギュンターに伝えてくれる。私が全部説明しなくてよくなったわ」
「確かに、お嬢様の負担は減りましたね」
師匠はヨハンに気づいた。
「戻ったのね」
「おう。おっさんに説明してきた」
「どうだった?」
「『理屈は任せた』って言われた」
師匠の口元が緩んだ。
「いい言葉ね」
「だろ?」
「チームよ」
師匠は言った。
「私が設計する。ヨハンが理論を担当する。ギュンターが作る。この三者で、何でも作れる」
「何でも?」
「ええ」
師匠は窓の外を見た。
「さあ、次はいよいよ実践よ。高炉を作るわ」
「高炉?」
エマが聞き返した。
「鉄の時代が始まるのよ」
師匠の目が、遠くを見ていた。




