第32話 国道を作りなさい
六月になっていた。
夏の日差しが戻ってきた。窓から吹き込む風は暖かく、庭の緑も濃くなっている。
人口調査が終わり、一息つけるかと思った。
甘かった。
「鉱山からの鉄の輸送に20日かかっております」
大臣が報告している。
お嬢様は椅子に座り、足をぶらぶらさせながら聞いていた。7歳になっても、まだ足が床に届かない。
「20日?」
お嬢様は壁の地図を見た。
「鉱山から首都まで、200キロくらいでしょう?」
「は……200キロ?」
大臣が困惑している。キロメートルは、お嬢様が最近導入した単位だ。まだ浸透していない。
「ええと、130里くらい、よね。つまり荷馬車の速度は歩くのと同じくらい。時速4キロとして、1日8時間歩いて30キロ……7日で着くはずだけど」
大臣が目を白黒させた。
「……今、暗算で?」
「そうだけど」
「さすがはシャルロッテ様、ご聡明であらせられますな! 7歳にしてこれほどの計算力、まさに神童——」
「そういうのいいから。で、なんで7日で着かないの?」
大臣は咳払いをして姿勢を正した。
「いえ、山道が険しく、荷馬車が通れる道が限られておりまして」
「道が悪いのね。整備すればいいじゃない」
「道路の整備は各領主の責任でして該当の道は整備されておらず……」
お嬢様の目が据わった。
私は嫌な予感がした。この目をしている時のお嬢様は、何かとんでもないことを言い出す。
「……え? 道は誰が管理してるって?」
ほら来た。
「各領主が、それぞれの領内を……」
大臣が恐る恐る答えた。
「領境はどうなるの?」
「は?」
「例えばある領の道がとなりの領の道と繋がってなかったら、意味がないでしょう?」
「それは……各領主の裁量で……」
「つまり、繋がってないのね」
「……」
大臣は黙り込んだ。
「だからバラバラなのね。自分の領地さえ良ければいい、と」
「は……」
「国費でやりなさい」
「こ、国費で……?」
「国が道を作って、国が管理する。それが一番早いでしょう?」
お嬢様は当然のように言った。
「20日の山道より、7日の平坦な道のほうが、荷物は多く運べる。しかも馬も人も疲れない。事故も減る」
大臣は何も言い返せない。
「お嬢様、それはその通りですが……費用が……」
私は恐る恐る口を挟んだ。
「費用?」
お嬢様は私を見た。
「今、国には何がある?」
「……人、ですか?」
「そう。312万人もいるのよ。道くらいつくれるわ」
人口調査の結果が、早速使われている。
◆
お嬢様は立ち上がり、壁に貼られた地図——私が気球から描いたスケッチを指した。
「まず幹線道路を引く。首都と主要都市を結ぶの」
「幹線道路……」
「広さは荷馬車がすれ違える幅。6メートル以上」
「6メートル……」
私の感覚では途方もない広さだ。
「道の両側には側溝を掘る。水はけをよくするため」
「側溝?」
「雨水が溜まると道がぬかるむでしょう? 側溝に流すの」
「なるほど……」
「それと、馬車道と歩道を分ける」
「分ける?」
「真ん中が馬車道。両端に歩行者用の道を設ける」
「なぜ分けるのですか?」
大臣が首を傾げた。
「馬車は速い。人は遅い。同じ道を使えば事故が起きる」
「……」
「轢かれて死んだら、その人の労働力が失われる。国の損失よ」
お嬢様は淡々と言った。
大臣が鼻で笑った。
「所詮は平民の命でございましょう? そこまで気にされる必要が……」
「あら」
お嬢様の目が冷たく光った。
「あなたの領地の農民が減っても、同じことが言える?」
「は……」
「農民が死ねば、畑を耕す者がいなくなる。収穫が減る。税収も減る。あなたの懐が寒くなるのよ?」
大臣の顔が引きつった。
「平民の命を軽く見る領主は、自分の首を絞めているだけ。馬鹿なの?」
「……失言でした」
大臣は青ざめて頭を下げた。
私は黙って見ていた。お嬢様の言い方は厳しいが、言っていることは正しい。
人の命を労働力で計算するのはどうかと思うが、結果的に人が死ななくなるなら良いことなのかもしれない。
「あと、左側通行にする」
「左側通行?」
「すれ違う時は左側を通る。全国統一のルールよ」
「なぜ左なのですか?」
「右利きの人間が多いでしょう? 盾を左手に持つから、すれ違う時に盾同士がぶつからない」
「はあ……」
「ルールがないと、すれ違うたびに『どっちに避ける?』と迷う。時間の無駄よ」
確かに、混雑した道ですれ違う時は困ることがある。統一されていれば楽かもしれない。
「これらを『道路交通法』として法律にする」
「法律に?」
「左側通行、歩道と馬車道の区別、荷馬車の最大積載量、馬車の速度制限……全部決めて、違反したら罰金」
「罰金……」
「ルールがあっても守らなければ意味がない。罰則がないと誰も守らないわ」
大臣が恐る恐る尋ねた。
「その法律は、誰が取り締まるのですか?」
「各宿場に役人を置くわ」
お嬢様は当然のように言った。
「宿場?」
「道路沿いに馬の乗り継ぎ所を作るの。そこに役人も常駐させる。一石二鳥でしょう?」
「しかし、役人だけで取り締まれるものでしょうか……」
大臣が不安そうに言った。
「違反者が暴れたら?」
「だから警察を作るの」
「けいさつ?」
「治安を守る専門の組織よ。軍とは別。国内の犯罪や違反を取り締まる」
「軍とは別……」
「軍は外敵と戦うもの。国民を取り締まるのに軍を使うのは大げさすぎる」
お嬢様は指を立てた。
「警察は武装するけど、軍ほどじゃない。あくまで治安維持が目的」
「なるほど……」
「道路の取り締まりだけじゃない。盗賊の捕縛、犯罪の捜査、宿場の警備……全部やらせる」
大臣は目を丸くした。
「そのような組織、今までありませんでしたな」
「だから作るのよ。ないなら作ればいい」
……また仕事が増える。警察の組織作り、役人の教育、法律の整備……誰がやるのだろう。嫌な予感がする。
◆
お嬢様は一息ついて、話を戻した。
「泥濘にならない道。これが国の血管になるの」
大臣が口を開いた。
「しかし……他国から攻められた際、敵もその道を使えるのでは?」
お嬢様は肩をすくめた。
「攻められる前に国を強くするの。道路ができれば商人が行き来しやすくなる」
「商人……」
「商業が活発になれば税収が増える。税収が増えれば軍備も整えられる。どっちが先かという話よ」
大臣は黙り込んだ。
「それに、道路があれば援軍を素早く送れる。攻められた時のことしか考えないから、いつまでも貧乏なのよ、この国は」
……痛いところを突かれたのか、大臣は何も言い返せなかった。
「そのような道を、全国に……?」
「最初は主要幹線だけよ。首都と鉱山、首都と港、首都と穀倉地帯」
お嬢様は地図の上を指でなぞった。
大臣が眉をひそめた。
「しかし、首都と鉱山を結ぶとなると……途中でいくつかの貴族領を通ることになります」
「それが?」
「領主の許可なく領地に道を引くのは……揉めるかもしれません」
「揉めたら?」
「特にグライフ伯爵は気難しいことで有名でして……」
「気難しい伯爵ね。覚えておくわ」
お嬢様は興味なさそうに言った。
「気球からのスケッチで、だいたいのルートは決められる」
「三角測量の結果を待たなくても?」
「概要がわかれば十分。正確な地図は後からでいい。大事なのは、今すぐ動くこと」
また「今すぐ」だ。
お嬢様は本当にせっかちだと思う。
「完璧を目指すより、まず終わらせろ——という言葉があるの」
お嬢様がふと呟いた。
「え?」
「かのザッカーバーグの言葉よ。完璧な計画を待っていたら、何も始まらない」
「ザッカーバーグってどなたですか?」
「どこかの賢人よ」
……どこの賢人だろう。聞いたことがない。
でも、お嬢様がそう言うなら、きっとすごい人なのだろう。




