第31話 メイド、国民を数える
二月。お嬢様は七歳の誕生日を迎えた。
今年は盛大な会はなく、ご家族と私だけの簡素なお祝いだった。昨年の大きな誕生日会に辟易としたらしい。なんでも、なんで自分の誕生日で自分が疲れないといけないんだとか。
お嬢様は「これでいい」と満足そうだった。
気球飛行から数週間後のことだった。
執務室で、お嬢様が大臣を呼び出していた。
私はいつものように、お嬢様の後ろに控えている。
「ところで、この国の人口は?」
お嬢様が尋ねた。
唐突な質問だ。大臣も面食らったようだ。
「およそ200万ほどかと」
大臣が答えた。
「およそ?」
「はい、およそ……」
「定量的に言いなさいと言ったでしょう?」
お嬢様の声が冷たくなった。
大臣の顔に冷や汗が浮かぶ。
「は……」
「正確には?」
「……正確には、わかりません」
「わからない」
お嬢様の声が低くなった。
「各領主からの報告を集めておりますが……」
「また定性的な報告ね」
「……は」
お嬢様は深いため息をついた。
「つまり、誰がどこに住んでいるか、把握していないということ?」
「……はい」
「税金は?」
「各領主が徴収して、一部を国に納めております」
「一部。どれくらいが『一部』なのかしら」
「……」
大臣は答えられなかった。
「また横流しね」
大臣の額から、汗が流れ落ちた。
私は黙って聞いていた。人口がわからない。税金もいくら入ってくるかわからない。この国は、本当に大丈夫なのだろうか。
◆
「戸籍を作るわ」
お嬢様が宣言した。
「こせき?」
大臣が聞き返す。
「国民全員の名前、年齢、住所、職業を記録するの」
「全員……ですか?」
「全員よ。貴族も平民も、農民も商人も、全員」
「しかし、それは膨大な作業で……」
「だからやるのよ」
お嬢様は大臣を睨みつけた。
「誰がどこにいるかわからなくて、どうやって国を治めるの?」
「……」
「それに、戸籍がない人間は——怪しいでしょう?」
「怪しい……?」
「どこから来たかわからない。誰の子かもわからない。そんな人間が街をうろついていたら?」
大臣の顔色が変わった。
「間者……」
「そう。他国の間者は戸籍を持っていない。炙り出せるわ」
お嬢様は指を折った。
「徴兵もできる。犯罪者も追跡できる。災害があれば誰が被災したかわかる」
「……」
「貴方方にもメリットがあるのよ」
「……確かに。それは……非常に有用ですな」
大臣が頷いた。ようやく納得したようだ。
「出生、死亡、婚姻、転居——すべて届け出制にする」
お嬢様は指を立てた。
「届け出がない者は、国民と認めない」
「認めない……?」
「権利もなければ、保護もしない。法の外に置くということよ」
大臣の顔が蒼白になった。
「届け出すれば、ちゃんと国民として扱う。簡単でしょう?」
お嬢様は、にっこりと微笑んだ。
その笑顔が、いつもながら怖かった。
◆
人口調査が始まった。
役人が全国に派遣され、各家を回る。
私も何度か視察に行かされた。現場の様子を報告するためだ。
なぜメイドが視察なのか。もう考えるのはやめた。
ある農村での出来事。
「名前、年齢、職業を教えてください」
役人が聞く。
「なんで教えなきゃならねぇんだ」
農民が不審そうに言った。腕を組んで、役人を睨んでいる。
「届け出がないと、国民として認められません」
「……」
「届け出れば、領主の横暴から保護されます」
「……ほんとうか?」
農民の目つきが変わった。
「シャルロッテ様のご命令です」
その言葉を聞いて、農民の表情がさらに変わった。
シャルロッテ様——あの恐ろしいお嬢様。
領主たちを震え上がらせ、国を変えようとしているお嬢様。
「……わかった」
農民は観念したように言った。
こうして、徐々に協力者が増えていった。
シャルロッテ様の名前を出すと、大抵の人間は従う。従わないと何が起きるかわからないからだ。
それに、実際に届け出をした農民たちは、少しずつ恩恵を感じ始めていた。
「なあ、聞いたか? 隣村で領主が年貢を不当に増やそうとしたらしいんだが」
「ああ、役人が来て止めたんだろ?」
「戸籍があると、こういう時に守ってもらえるんだな」
「シャルロッテ様様だな」
農民たちの間で、そんな会話が交わされるようになった。
私はそれを聞いて、少し驚いた。お嬢様の政策が、ちゃんと民のためになっている。
届け出は面倒だが、届け出た者は国に守られる。
それが、農民たちの共通認識になりつつあった。
その噂が広まるにつれ、協力者は加速度的に増えていった。
しかし、一部では抵抗もあった。
「勝手に調べるな! これは我が領地だ!」
領主が怒鳴る。
「シャルロッテ様のご命令です」
役人は淡々と答えた。
領主は何も言えなくなった。
シャルロッテ様の名前を出されては——逆らいようがない。
逆らった者がどうなるか。領主たちは嫌というほど知っている。
◆
数ヶ月後。
「お嬢様、人口調査の結果が出ました」
私は報告書を差し出した。
分厚い報告書だ。全国から集められたデータを集計したもの。
「で?」
「312万人です」
お嬢様は眉一つ動かさなかった。
「200万と言われていましたが、100万人以上多かったです」
「予想通りね」
「予想……してたんですか?」
「税金を逃れるために、人数を少なく申告してたのよ」
お嬢様は椅子にもたれかかった。
「領主たちが」
「……」
「100万人分の税金が、領主の懐に入ってたということ」
私は言葉を失った。
100万人。その人数の税金が——長年にわたって横流しされていた。
怒りがこみ上げてきた。私のような平民から搾り取った税金が、貴族の懐に消えていたのだ。
「それは……」
「大きな不正ね」
お嬢様は窓の外を見た。
「でも、今は動かない。証拠を集めておくだけ」
「3年後……ですか」
「そう。3年後」
私はお嬢様の横顔を見た。静かだが、どこか凄みのある表情だ。
——また3年後。
お嬢様は一体何を考えているのだろう。
3年後に、何が起きるのだろう。
私には、まったく想像もつかなかった。
でも、きっと大きなことが起きる。
お嬢様の目は、遠くを見ている。3年後の未来を。




