表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私はメイドです!〜お嬢様の世界征服に巻き込まれた哀れな日々〜  作者: ほしみん
第一章 国内改革

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/52

第30話 【科学回】熱とは何か~ヨハン視点~

※作者の趣味で科学蘊蓄が延々と続きます。興味ない方は遠慮なく飛ばしてください。


気球の有人飛行が成功した翌日。


俺は師匠の執務室を訪ねた。


昨日からずっと気になっていたことがある。


「師匠、聞きたいことがあるんだけど」


「なに?」


「気球。なんで飛ぶんだ?」


師匠は書類から顔を上げた。


「火を焚くと浮く。理屈がわからねえ」


「いい質問ね」


師匠が答えようとしたとき、扉がノックされた。


「お嬢様、よろしいでしょうか」


エマだった。


「入りなさい」


エマが入ってくる。俺を見て少し驚いた顔をした。


「あ、ヨハンさん。お取り込み中でしたか」


「いや、ちょうどいいわ。何?」


「その……」


エマは言いにくそうに口ごもった。


「一つ、お願いがありまして……」


「珍しいわね。言ってみなさい」


「気球が飛ぶ理由を……教えていただけませんか」


俺は目を丸くした。


エマが自分から何かを聞くなんて珍しい。いつもは師匠に振り回されてるだけなのに。


「どうして?」


俺は聞いた。


「……原理がわからないものに乗るのが、怖いんです」


エマは俯いた。


「昨日、空を飛びました。でも、なんで浮いてるのかわからなくて……ずっと怖くて……」


「原理がわかれば、少しは安心できると思って……」


エマは恥ずかしそうに言った。


師匠は微笑んだ。珍しく、優しい笑顔だ。


「いいわ。ちょうどヨハンにも説明しようとしていたところだから」


「俺もちょうどそれを聞きに来たところだったんだよ。火を焚くと浮く理由」


エマは少しほっとしたような顔をした。


「じゃあ、二人まとめて教えるわ。座りなさい」




師匠は黒板の前に立った。


俺とエマは並んで座っている。なんだか授業みたいだ。


「まず質問。『熱』とは何?」


「火の力……みたいなもんだろ」


俺は答えた。


「温かさ……ですか?」


エマも答える。


「どっちも違うわ」


師匠はチョークを手に取った。


「熱は『粒の動き』よ」


「粒?」


俺は聞き返した。


「前に教えたでしょう。世界は小さな粒でできている」


「ああ、原子ってやつか」


思い出した。世界は粒でできている。空気も、水も、鉄も、全部。


「原子は常に動いているの。止まっていることはない」


師匠は黒板にたくさんの点を描いた。


「熱いとき、原子は激しく動く」


点がぐるぐると動いている様子を、矢印で表した。


「冷たいとき、原子はゆっくり動く」


今度は小さな矢印。


「温度とは、『原子の動きの激しさ』を数字にしたものよ」


「動きの激しさ……」


俺は呟いた。


「つまり、熱いっていうのは、粒が暴れてるってことか」


「そう。そして冷たいのは、粒がおとなしいということ」


「じゃあ、原子が止まったらどうなるんだ?」


俺は聞いた。


「それが絶対零度よ」


「絶対零度?」


「原子の動きが完全に止まる温度。それより冷たいものは存在しない」


「存在しない……」


「マイナス273度くらいね。この世で一番冷たい温度」


俺は背筋がぞくっとした。なんだか怖い話だ。


エマが手を挙げた。


「あの……目に見えない粒が動いてるって、どうしてわかるんですか?」


「いい質問ね」


師匠は頷いた。


「直接は見えない。でも、間接的な証拠はあるわ」


「証拠?」


「窓から差し込む光の中で、埃が舞っているのを見たことがある?」


「あ……はい。きらきら動いてます」


エマが答えた。


「あの埃、なぜ動いていると思う?」


「風……ですか?」


「風がなくても動いているでしょう?」


「……確かに」


「空気の粒が埃にぶつかっているからよ。粒は見えないけど、その影響は見える。これをブラウン運動と呼ぶの」


「ブラウン運動……」


俺は呟いた。粒が動いている証拠。


エマは真剣な顔で聞いていた。




「じゃあ、温度計の話をするわ」


師匠は引き出しから温度計を取り出した。ギュンターが作ったやつだ。


「これ、見たことあるわね?」


「はい。ギュンターさんが作ったものですよね」


エマが答えた。


「水銀が入っている。熱すると水銀が上がる。なぜだと思う?」


俺は考えた。


「……粒が激しく動くから?」


「そう。水銀も粒でできている。熱くなると粒が激しく動いて、広がろうとする」


「だからガラス管の中を上がるのか」


「そういうこと」


エマが温度計を見つめている。


「0度と100度は……」


「水が凍る温度が0度。沸騰する温度が100度」


「なんで水なんですか?」


「どこにでもあるからよ。帝国の北でも南でも、水は同じ温度で凍る」


「本当は気圧で沸点が変わるんだけどね。山の上だと100度より低い温度で沸騰するわ」


「気圧?」


「空気の重さよ」


師匠は黒板に絵を描いた。地面と、その上に積み重なる空気の層。


「私たちの上には、空気が積み重なっている。何キロメートルも」


「空気が……積み重なる?」


エマが首をかしげた。


「空気にも重さがあるの。私たちは常に、空気の重さに押されている」


「押されてる……?」


「水の中に潜ると、水圧で耳が痛くなるでしょう? 同じよ。空気にも圧力がある」


「じゃあ、山の上だと……」


俺は考えた。


「上に乗ってる空気が少ないから、圧力が低い?」


「そう。だから沸点も下がるの。でも同じ場所で測れば、誰が測っても同じ値になる」


「だから基準になるんですね……」


エマは納得したように頷いた。


「職人の勘じゃなくて、誰でも同じ数字で測れる。それが温度計の意味よ」


師匠は一息ついた。


「そして、この『空気の重さ』が、気球を理解する鍵になるわ」




「さて、本題」


師匠は言った。


「なぜ気球は浮くのか」


俺とエマは身を乗り出した。


「空気も粒でできている。これはわかるわね?」


「はい」


「熱い空気は、粒が激しく動く。だから広がろうとする」


師匠は黒板に袋の絵を描いた。


「袋の中に熱い空気を入れると、粒が広がろうとする。でも袋があるから、外には出られない」


「それで?」


「同じ大きさの袋なら、熱い空気と冷たい空気、どっちが粒の数が多い?」


俺は考えた。


「……冷たい方か。熱い方は広がってるから、同じ袋に入る数が少なくなる」


「正解。粒が少ないということは?」


「軽い」


「そう。熱い空気は冷たい空気より軽いの」


エマが声を上げた。


「あ……だから浮くんですか?」


「そう。軽いものは重いものの上に行く」


「水に木が浮くのと同じ……?」


「正解よ、エマ」


エマの目が輝いた。


「火を焚くと空気が熱くなって……軽くなって……だから浮く……!」


「そういうこと。だから火の調整が大事なの。火を弱めると空気が冷えて、下がる」


エマは何かを思い出したような顔をした。


「ハンスさんが、ずっと火を調整してました……そういう意味だったんですね……」


「あなたを安全に飛ばすために、彼は空気の温度を調整していたのよ」


エマは黙った。


何かを考えているようだった。




「もう一つ、教えておくわ」


師匠は言った。


「熱には『向き』があるの」


「向き?」


俺は聞き返した。


「熱は必ず、熱いところから冷たいところへ移る」


「当たり前じゃねえか。熱いものは冷める」


「そう。でも逆は起きない」


「逆?」


「冷たいものが勝手に熱くなることはない。絶対に」


俺は考えた。


確かに、机の上に置いたコップが勝手に熱くなることはない。


「言われてみれば……そうですね」


エマも頷いた。


「その『当たり前』が、宇宙の法則なの」


師匠の声が少し真剣になった。


「熱は必ず、高いところから低いところへ流れる。これは絶対に逆転しない」


「絶対に?」


「絶対に。この法則を破ることは、誰にもできない。これを熱力学第二法則というわ」


「……」


なんだか、すごいことを言われている気がした。


「もう少し詳しく説明するわね」


師匠は黒板に絵を描き始めた。


「熱いお茶を置いておくと、冷める。これはわかるわね?」


「ああ」


「お茶の熱が、周りの空気に移るから。熱い方から冷たい方へ、熱が流れる」


「うん」


「じゃあ逆に、冷めたお茶が勝手に熱くなることはある?」


「……ないな」


「周りの空気から熱を奪って、お茶だけが熱くなる。そんなことは絶対に起きない」


俺は頷いた。当たり前だ。


「でも、なぜ?」


師匠が聞いた。


「え?」


「熱が高いところから低いところへ流れるのは当たり前。でも、なぜ逆は起きないの?」


俺は考えた。考えたが、答えが出ない。


「……わからねえ」


「これは『秩序』と『乱雑さ』の問題なの」


師匠は黒板に、整列した点と、バラバラに散らばった点を描いた。


「世界は、秩序ある状態から乱雑な状態へ向かう。これが自然の流れよ」


「乱雑?」


「部屋を掃除しても、放っておけば散らかる。でも散らかった部屋が勝手に片付くことはない」


「……確かに」


エマが深く頷いた。実感がこもっている。


「熱も同じ。熱いものと冷たいものがあると、熱は広がって均一になろうとする。集中した状態から、散らばった状態へ」


「でも逆に、散らばった熱が勝手に集まることはない」


師匠は続けた。


「だから、一度冷めたものは勝手には温まらない。熱が散らばった状態から、集中した状態には戻らない」


「……なんか、寂しい法則だな」


俺は呟いた。


「そうね。でも、だからこそ時間は一方向にしか流れないのよ」


「時間?」


「過去と未来を区別できるのは、この法則があるから。割れたコップは元に戻らない。こぼれた水は勝手にコップに戻らない」


俺は黙った。


なんだか、とんでもないことを聞いている気がする。


「この法則を使うと、熱を『力』に変えられるわ」


「力に?」


「熱いところと冷たいところの差を利用して、ものを動かすことができる」


「どういうことだ?」


「蒸気機関というものが作れるの。いずれ教えるわ」


師匠はそこで話を止めた。


「今日はここまで」





「少し……わかった気がします」


エマが言った。


「気球が浮く理由。温度計が動く理由」


「原理がわかれば、怖くなくなった?」


師匠が聞いた。


エマは少し考えた。


「……少しだけ」


「少しだけ?」


「原理はわかりました。でも……やっぱり高いところは怖いです」


俺は笑った。


「そりゃ別の問題だな」


「うるさいですね」


エマは頬を膨らませた。


「俺は乗ってみたいけどな。空を飛ぶの、気持ちよさそうじゃん」


「次はヨハンに乗ってもらおうかしら」


師匠が言った。


「マジで!?」


俺は思わず声を上げた。


「ええ。測量の仕事、手伝ってもらうわ」


「やった……!」


「どうぞご自由に……」


エマは疲れた顔で言った。


師匠は微笑んだ。


「でもエマ、あなたが『知りたい』と言ったこと、嬉しかったわ」


「え?」


「知ろうとする気持ちは大事よ。怖いから知りたい。それは正しい姿勢だわ」


エマは少し照れたように俯いた。


「……ありがとうございます」


俺は思った。


師匠の話は難しい。でも、少しずつわかってきた。


世界は粒でできている。粒は動いている。その動きが熱。


熱は高いところから低いところへ流れる。


そして、その法則を使えば、力を生み出せる。


蒸気機関。


いずれ教えると、師匠は言った。


楽しみだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ