第22話 捕虜~ヴィルヘルム三世視点~
地平線を埋め尽くす軍勢。
秋の陽光が、2万の槍先を黄金に染めている。軍旗が風にはためき、馬蹄の轟きが大地を揺らす。
俺は馬上から、その光景を見渡した。
壮観だった。1年かけて集めた兵。磨き上げた武具。積み上げた兵糧。そのすべてが今、帝国の大地を踏みしめている。
開戦から3日が経っていた。
初日、帝国軍は果敢に挑んできた。国境の砦を背に、必死の抵抗を見せた。老将が指揮を執っているらしく、陣形は整っていた。
だが、所詮は8千だ。我が軍の半分にも満たない。
2日目の昼には砦が落ちた。帝国軍は後退を始め、俺たちは追撃に移った。
そして3日目の今日——
「陛下、敵軍の動きが鈍っております」
斥候の報告に、俺は頷いた。
前方の丘陵地帯に、帝国軍の姿が見える。最初の勢いはもうない。2日間の戦闘で兵は疲弊し、士気は地に落ちている。勝てないと悟ったのだろう。陣形を維持する気力すら失われつつあった。
「追え。だが深追いはするな」
5年前の失敗を繰り返すつもりはない。あの時は勝ちを急ぎすぎた。今度は慎重に、確実に。
号令と共に、前衛が動き出す。5千の歩兵が、波のように丘を登っていく。
帝国軍が動いた。
後退だ。もはや潰走に近い。
当然だ。あの軍を率いているのは——
「脆いな」
俺は呟いた。
「やはり、6歳の小娘では話にならん」
帝国の摂政。5歳で即位し、今は6歳になったと聞いている。
1年前、間者たちは「摂政殿下が本当に政務を執っている」と報告してきた。馬鹿な話だ。6歳のガキに何ができる。背後に誰かいるに決まっている。
だが、誰であろうと関係ない。
この戦場で、すべてが決まる。
「陛下! 敵軍、さらに後退! 北の森へ逃げ込もうとしています!」
丘の向こうで、帝国軍が総崩れになっていく。逃げる兵。追う兵。土煙が舞い上がり、悲鳴と怒号が風に乗って届く。
俺は笑みを浮かべた。
2万対8千。数の差は圧倒的だ。まともにぶつかれば、結果は見えている。
「追撃を続けろ。ただし、森には入るな。伏兵の可能性がある」
慎重に、確実に。獲物を追い詰めるように。
焦る必要はない。勝利は目前だ。
その報せは、予想よりも早く届いた。
「陛下! 朗報です!」
伝令が血相を変えて駆け込んできた。俺は天幕の中で地図を睨んでいたところだった。
「なんだ」
「帝国の摂政を捕らえました!」
俺は耳を疑った。
「……なんだと?」
「前線を視察していたところを、我が斥候隊が発見! 護衛もつけずに一人でいたところを捕縛いたしました!」
思考が止まった。
護衛もつけずに一人? 逃げ遅れたのか。それとも、はぐれたのか。
……いや、どちらでもいい。
捕らえた。帝国の摂政を。6歳の小娘を。
「……ふ」
笑いが込み上げてきた。
「ふははは」
止まらない。
「はははははは!!」
俺は立ち上がり、天幕の外に飛び出した。
「馬鹿な小娘だ! 護衛もつけずに一人でいるとは!」
将軍たちが驚いた顔で俺を見ている。構わなかった。
「父上!」
俺は空を見上げた。
「見ていますか! 勝ちました!!」
30年待った。5年前に敗北を味わった。1年かけて準備した。
そのすべてが、今この瞬間、報われた。
「摂政を連れてこい! この目で確かめる!」
数分後、天幕の中に、小さな影が連れてこられた。
両手を縛られ、兵士に両脇を固められている。
プラチナブロンドの髪。氷のような淡い青の瞳。人形のように整った顔立ち。
これが、帝国の摂政。シャルロッテ・フォン・ヴァイスバッハ。
「ほう」
俺は玉座から身を乗り出した。
「これが噂の摂政か」
小さい。当たり前だ。6歳なのだから。俺の膝ほどの背丈しかない。
「6歳の小娘が国を動かしていると聞いて笑ったが」
俺は立ち上がり、少女の前に歩み寄った。見下ろす。
「捕まってみれば、ただのガキだな」
少女は何も言わなかった。俯いたまま、ちらりと一瞬だけこちらを見上げる。すぐに視線を逸らした。
怯えているのか。それとも、諦めているのか。
「怖くて声も出ないか?」
沈黙。
俺は鼻で笑った。所詮は子供だ。戦場の空気に怯えて、声も出せなくなっているのだろう。
「いい気味だ」
俺は踵を返した。
「明日、貴様を使って帝国に降伏を要求する。お前の命と引き換えに、無条件降伏だ」
少女はやはり何も答えない。
俺は将軍たちを見回した。
「今夜は祝いだ」
声が弾んでいるのが自分でもわかった。
「勝利の宴を開け!」
将軍たちが歓声を上げた。
俺は再び少女を見た。縛られたまま、俯いている。
哀れな小娘だ。国を背負うには、あまりに幼すぎた。
「連れて行け。逃げられんよう、しっかり見張っておけ」
兵士たちが少女を引きずるように連れ出していく。
俺は満足げに頷いた。
父上、見ていてください。
100年の屈辱が、今夜終わります。
◆
その夜、ノルデン軍の陣営は歓声に包まれていた。
篝火が夜空を照らし、兵士たちの歌声が響く。酒樽が次々と開けられ、誰もが勝利に酔いしれていた。
俺も杯を重ねた。
「陛下、おめでとうございます!」
「これで帝国は終わりですな!」
「100年の悲願が、ついに!」
将軍たちが口々に祝辞を述べる。俺は笑顔で応じた。
明日になれば、すべてが終わる。
帝国の摂政を人質に、降伏を迫る。断れるはずがない。6歳の少女の命と引き換えだ。どんな冷血な人間でも、子供を見捨てることはできまい。
「父上」
俺は夜空を見上げた。
「ようやく、あなたの無念を晴らせます」
杯の酒を飲み干す。
勝利の味は、格別だった。




