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私はメイドです!〜お嬢様の世界征服に巻き込まれた哀れな日々〜  作者: ほしみん
第一章 国内改革

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第20話 戦争の報せ

収穫祭から数日が経った。


宮殿の執務室には秋の陽射しが差し込み、穏やかな時間が流れていた。


私はいつものように傍らに控え、紅茶の用意をしていた。淹れたての紅茶をカップに注ぎながら、ちらりとお嬢様を見る。


窓際の椅子に腰掛けたお嬢様は、報告書に目を通していた。


プラチナブロンドの髪が、窓から差し込む光を受けて銀色に輝いている。6歳になられたとはいえ、まだ椅子に足が届かない。小さな足が、無意識にぶらぶらと揺れていた。


陶器のように白い横顔。長い睫毛。報告書を見つめる淡い青の瞳。


お嬢様は時折、紅茶のカップを持ち上げる。小さな両手でカップを包み込むように持つ仕草が、年相応に愛らしい。


……中身が国家転覆を平然とやってのける化け物だと知らなければ、どこに出しても恥ずかしくない完璧なお嬢様だ。


「今年の収穫は良かったわね」


お嬢様が報告書から目を上げた。アイスブルーの瞳が私を見る。


「はい。民も喜んでおりました」


収穫祭での賑わいを思い出す。お嬢様は踊りを一度もお見せにならなかったが、民の表情は明るかった。道路が整備され、市場への往来が楽になった。税制も公平になった。お嬢様の改革は、確実に実を結んでいる。


「この調子なら、来年はもっと増やせるわ」


お嬢様は満足げに頷いた。珍しく、穏やかな表情だった。


ぶらぶらと揺れる小さな足。紅茶を啜る仕草。報告書をめくる細い指。


こんな穏やかな日が続けばいい。そう思った。


そんな平和な空気は、突然破られた。


「失礼いたします!」


執務室の扉が乱暴に開かれ、伝令が駆け込んできた。息を切らし、顔面蒼白だ。


「何事?」


お嬢様の声が冷たくなる。


「ノルデン王国が国境を越えました!」


私の心臓が跳ね上がった。


「兵力はおよそ2万! 我が国の北部国境を突破し、進軍中です!」


2万。


その数字が頭の中で反響した。2万の軍勢。それがこちらに向かっている。


「……そう」


お嬢様は報告書を机に置いた。その動作は落ち着いていたが、私には分かった。


お嬢様の指先が、わずかに震えていた。


「こちらの兵力は?」


「北部に駐留している兵は8千ほどです」


「……8千ね」


お嬢様は窓の外を見た。


「……想定より早いわね」


その声は、いつもの余裕に満ちたものではなかった。


「お嬢様……?」


「他国に攻められることは想定していたわ。でも、私の想定より2年早い。まだ何も揃ってない」


お嬢様が椅子から立ち上がる。足をぶらぶらさせていた幼い体が、今は緊張で硬くなっている。


「鉄を作る技術もない。火薬もない。武器は昔のまま」


お嬢様は自分に言い聞かせるように呟いた。そして、


「……まずいわね」


私は息を呑んだ。


お嬢様が「まずい」と言った。


5歳で国政を掌握し、大臣を論破し、改革を次々と成功させてきたお嬢様。どんな困難にも「当然よ」と言い放ってきたお嬢様。


そのお嬢様が、初めて弱音を口にした。



軍議の間には、将軍たちが集まっていた。


重苦しい空気が部屋を満たしている。誰もが険しい表情で、地図を睨んでいた。


「状況を説明しなさい」


お嬢様の声に、白髪の老将軍が一歩前に出た。帝国軍総司令官、ヴェルナー将軍だ。頬に古傷のある、歴戦の武人である。


「はい。ノルデン王国は北の隣国です。100年前から断続的に戦争を繰り返しており、直近では5年前に国境紛争がありました」


「5年前……」


お嬢様が呟いた。5年前、お嬢様はまだ1歳。覚えているはずがない。


一方で私は覚えている。あの戦いでは、クラウス様の息子が戦死したと聞いた。


「はい。あの戦いも、実態は相打ちでした。しかし我が国は『勝利』を宣言し、講和を結びました」


ヴェルナー将軍の声には苦いものが混じっていた。5年前の戦いで、この人も多くの部下を失ったと聞いている。


「100年間、取ったり取られたりを繰り返してきました。そして講和のたびに、双方が『勝利』を宣言してきた」


「双方が?」


「はい。我が国は『勝った』と言い、ノルデンも『勝った』と言い張る。どちらも負けを認めぬまま、100年が過ぎました」


なるほど。お互いに勝ったと言い張り、決着がつかないまま100年。「次こそ決着を」という執念だけが積もっていったわけか。


「現王ヴィルヘルム3世は名君と評判の人物です。10年かけて国力を蓄え、この機を逃すまいと判断したのでしょう」


「この機、とは?」


「王族が全滅し、幼帝と幼い摂政しか残っていない今です。彼らにとっては千載一遇の好機」


将軍の言葉に、私は心の中で叫んだ。


その幼い摂政が一番怖いのに。


しかし外から見れば、帝国は確かに弱体化して見えるのだろう。6歳の少女と3歳の幼帝。それが国を率いている。侮られるのは当然だ。


「でも1年かかってるわね」


お嬢様が首を傾げた。


「王族が死んでから1年以上。好機と思うなら、なぜすぐに来なかったのかしら」


「はっ。2万の軍を動かすには準備が必要です。兵の召集、物資の調達、兵站の確保。加えて——」


ヴェルナー将軍は言葉を選ぶように一度止まった。


「5年前の戦いで、ヴィルヘルム3世も痛い目を見ております。『今度こそ確実に』と、慎重になったのでしょう」


「なるほど。臆病なのね」


「……慎重、かと」


「で、どうするの?」


お嬢様の問いに、将軍たちが顔を見合わせた。


「……撤退を進言いたします」


若い将軍が口を開いた。


「数で劣っております。正面からぶつかれば、敗北は必至です。グラーフェン砦まで退けば、籠城戦に持ち込めます」


「グラーフェン砦……」


お嬢様が地図に目を落とした。


「そこまで退いたら、北部の3分の1は持っていかれるわね」


「はい。しかし、全滅よりは……」


「それは困るわ」


お嬢様はあっさりと言った。


「ここで止めるしかない」


「しかし、8千で2万を相手にするのは無謀です!」


「知ってるわ」


お嬢様の声が、静かに響いた。


「……一つだけ方法がある」


将軍たちが息を呑んだ。


お嬢様は全員を見回した。その目には、いつもの冷たい光が戻っていた。


「エマ、残りなさい。ヴェルナー将軍も」


突然名前を呼ばれ、私は飛び上がりそうになった。


「他の者は下がりなさい。作戦は追って伝える」


若い将軍たちは戸惑いながらも、一礼して退出していった。


扉が閉まる。


執務室には、私とお嬢様、そしてヴェルナー将軍だけが残された。



「これから言うことは、この場の者だけの秘密よ」


お嬢様が私たちを見回した。6歳になったとはいえ、まだ私の腰ほどの背丈しかない。それなのに、この威圧感はなんだろう。


「はい、お嬢様」


「……承知いたしました」


ヴェルナー将軍も神妙な顔で頷いた。


お嬢様は一度深呼吸すると、作戦を告げた。


「……」


声が耳に届いた瞬間、私の思考が止まった。


「……本気ですか?」


口から出た言葉は、掠れていた。


ヴェルナー将軍も顔色を変えていた。


「摂政殿下……それは、あまりに危険です」


「本気よ」


お嬢様は平然と答えた。


「危険? 知ってるわ。他にも方法はある。ただ、これが一番被害が少なく効果的なのよ」


私は言葉を失った。


お嬢様が考えている作戦。それは確かに、この絶望的な状況を覆す可能性がある。だが、もし失敗したら。


考えたくもなかった。


「ヴェルナー将軍」


お嬢様が老将軍に向き直った。


「あなたには、軍を率いて待機してもらうわ。私が合図を送るまで、絶対に動かないで」


「……承知いたしました」


ヴェルナー将軍は深く頭を下げた。その表情には苦渋が滲んでいたが、反論はしなかった。


「エマ」


今度は私に向かって、お嬢様の声が少しだけ柔らかくなった。


「あなたには、待っていてほしいの」


「……」


「私を信じてくれる?」


私はお嬢様を見た。


6歳の幼女。でも、その目には年齢に見合わぬ覚悟が宿っている。


この人は、いつも無茶をする。無茶を言う。私を振り回す。


でも、失敗したことはなかった。


「……わかりました」


私は頭を下げた。


「お嬢様を信じます」


「ありがとう、エマ」


お嬢様は微かに笑った。


「信じてくれて」



翌日、宮殿の中庭で出陣式が行われた。


兵士たちが整然と整列している。8千の軍勢。2万の敵に立ち向かう、心もとない数だ。


ヴェルナー将軍が馬上で軍を見渡した。白髪が風に揺れる。歴戦の老将の姿に、兵士たちの背筋が伸びた。


「我が帝国に敵あり」


将軍の声が響く。40年の軍歴が滲む、重みのある声だった。


「北より来たる敵を、これより迎え撃つ」


兵士たちが息を詰める。


「諸君の役目は、持ち場を守ることだ。勝利は摂政殿下が約束された」


一瞬の静寂。


兵士たちは顔を見合わせた。奇妙な訓示だった。だが、老将軍の顔には確信があった。


「おおおっ!」


戸惑いながらも、兵士たちの雄叫びが空に響いた。


私は中庭の隅で、その光景を見ていた。お嬢様は私の隣にいる。目立たぬよう、質素な旅装に身を包んでいた。


お嬢様……あの作戦を、本当にやるつもりなのか。


心臓がうるさく鳴っている。手が震える。


「エマ」


お嬢様が静かに言った。


「行くわよ」


「……はい」


私は覚悟を決めて、歩き出した。


お嬢様と共に、軍は前線へと向かった。


翌日、私たちはノルデン軍と対峙することになる。


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