第17話 【科学回】師匠の宝の山~ヨハン視点~
※作者の趣味で科学蘊蓄が延々と続きます。興味ない方は遠慮なく飛ばしてください。
「師匠、こっちだ」
俺は、二人を自分の小屋へ案内した。
久しぶりに訪れた師匠は、相変わらず冷静な表情をしていた。その後ろにはエマが控えている。
「……」
師匠は小屋に入ると、棚を見回した。壁一面に並べられた鉱物標本。10年かけて集めた、俺の宝物だ。
「これ全部で何種類あるの?」
「数えたことねえな……200くらい?」
「一つずつ見せて」
俺は棚の一角を指さした。
「あと、火にかけた時の反応で分けてるのもある」
「火にかけた?」
「ああ。同じ色でも、燃やすと違う色の炎が出たりするんだ。なんでだろうな、って思って」
「違う色?」
「銅を燃やすと緑になるのなんか、わかりやすいぜ。でも『悪魔の炎だ』とか言われるから、他のやつにはあんまり見せてないんだけど」
師匠の動きが止まった。
「……炎色反応まで試してたの?」
「えんしょくはんのう?」
「いずれ教えるわ」
師匠は棚に近づき、鉱物を一つ一つ手に取り始めた。
「これは?」
師匠が金色に光る石を持ち上げた。
「金に見えるだろ? でも金じゃねえんだ」
「黄鉄鉱ね。愚者の金」
「愚者の金?」
師匠は石を光に透かした。
「金に見えるけど金じゃない。騙される人が多いから、そう呼ばれるわ。見分け方は簡単よ。金は柔らかいけど、これは硬い。擦ると黒い跡が残る。金なら金色の跡になるわ。成分は硫化鉄——鉄と硫黄の化合物。焼くと二酸化硫黄が出て、それを水に溶かせば硫酸になる。硫酸は金属を溶かす強い酸で、肥料にも染料にも使える万能の薬品。あと、火打ち石にもなるわ。名前の由来はギリシャ語で『火』を意味するpyr。叩くと火花が出るから」
「お、おう……」
情報量が多すぎて頭がついていかない。
「場所は?」
「鉱山の西側。結構ある」
師匠はエマからメモ帳を受け取り、何かを書き留めた。
調査は続く。
「これ、きれいね」
師匠が緑色の石を手に取った。縞模様が美しい、俺のお気に入りだ。
「だろ? 俺も気に入ってる」
「孔雀石ね。塩基性炭酸銅」
「くじゃくいし?」
「この縞模様、銅が少しずつ沈殿してできたの。古代から緑の顔料として使われてきたわ。貴族の化粧品にも使われる高級品よ。銅の含有量が高いから、精錬すれば良質な銅が取れる。銅は知ってると思うけど、熱をよく伝えるし、加工もしやすいわ。だから、鍋から装飾品まで使われているのね。これから先も、ずっと文明の基礎になる金属よ」
「へえ……」
次の石。
「これは?」
「銀色っぽい石。柔らかい」
師匠の目が細まった。
「輝水鉛鉱……モリブデン」
「もりぶでん?」
師匠の目が輝いた。
「二硫化モリブデン。これを鋼に少量混ぜると、強度が飛躍的に上がるの。しかも高温に強くなる。大砲の砲身とか、蒸気機関の部品とか、熱と圧力がかかる場所に最適よ。それに、この物質自体が優秀な潤滑剤になる。金属同士の摩擦を減らせるわ」
「なんでそんなこと知ってんだ……」
さらに次。
「赤い石は?」
「これか。きれいだろ」
師匠は石を受け取ると、少し眉をひそめた。
「辰砂。硫化水銀ね」
師匠は石を慎重に置いた。
「取り扱い注意よ。毒がある。でも古代から朱色の顔料として珍重されてきたわ。皇帝の印璽に使う朱肉、高貴な衣の染料……権力の象徴ね。熱すると水銀が取り出せる。水銀は常温で液体の金属。温度で膨張するから、正確な温度計が作れるわ。ただし蒸気を吸うと体を壊すから、扱いには細心の注意が必要」
「マジかぁ……ど、どうすればいいんだ!?」
「慌てなくていいわ。短時間触った程度なら問題ない。今後は手袋をして扱いなさい」
紫色の石。
「暗いところで光るんだぜ、これ」
「蛍石ね。フッ化カルシウム」
師匠は石を手のひらで転がした。
「見せて」
俺は窓の雨戸を閉めた。小屋の中が薄暗くなる。
師匠が石を持ち上げると——
紫色の石が、淡く青白い光を放っていた。
「おお……!」
エマが息を呑んだ。俺も何度見ても見惚れる。暗がりの中で静かに光る石は、まるで小さな月のようだった。
「蛍光という現象の語源になった石よ。光や熱を浴びると、そのエネルギーを溜め込む。石の中の電子が励起状態になって、元に戻るときに光を放つの」
俺が雨戸を開けると、光は日差しに溶けて見えなくなった。
「製鉄のときに融剤として使うと、不純物が溶けやすくなる。融点を下げて、鉄をきれいに精錬できるわ。それに、純度の高いものは光学レンズにも使える。光の屈折率が特殊で、色収差を補正できるの」
「ぜんぜんわかんねえけど、便利そうだってことはわかった」
師匠のメモは、どんどん埋まっていった。
俺は、師匠の様子がいつもと違うことに気づいていた。
普段は何を考えているかわからない、冷静な顔をしている。でも今は、鉱物を見るたびに目が輝いている。
「これは……」
師匠が、白っぽい結晶を手に取った。
「洞窟で見つけた。なんだかよくわからなくて」
「硝石……硝酸カリウム……」
師匠の声のトーンが変わった。
「場所を教えて」
「え、ああ、北の洞窟に——」
「どのくらいある?」
「結構あるけど……そんな大事なのか?」
師匠の目が見開かれた。
「……これは、すごい発見よ」
「え?」
「すごい発見なの」
師匠が早口になった。
「硝酸カリウム——理由は今は言えないけど、これがあると色々なことができるようになるの。硝酸の原料にもなる。硝酸があれば肥料も作れるし、金属の精錬にも使える。普通は糞尿から何年もかけて作らないといけないのよ。それが天然の結晶で見つかるなんて……大幅にスキップできるわ!」
「お、おう……」
「どのくらいの規模? 結晶の純度は? 他にも見つけた場所はある?」
「お、おう……規模は結構でかい。純度は……わかんねえけど、きれいな結晶だった」
「案内して。今度、絶対に案内して」
俺は圧倒された。普段冷静な師匠が、こんなに興奮しているのを初めて見た。
後ろを見ると、エマが呆然としていた。
「お嬢様が……早口になってる……」
「なあ、エマ。あの石、そんなに大事なのか?」
「私にもわかりません……」
師匠の興奮は続いた。
「この黒い石は?」
「重いやつ。見たことない種類だったから取っておいた」
師匠は石を持ち上げ、重さを確かめた。
「鉄マンガン重石……タングステンが含まれてる」
「たんぐすてん?」
師匠の目が、明らかに輝いていた。
「融点が全金属で最高。3400度を超えても溶けない。この金属を鋼に混ぜると、超硬合金ができる。普通の鉄では切れないものが切れる。削れないものが削れる。工作機械の刃先に使えば、加工精度が桁違いに上がるわ。名前の由来は『重い石』——見ての通り、ずっしりしてるでしょう。採掘優先ね」
「そんなに大事なのか?」
「産業革命の鍵よ」
エマが呆然とした顔で呟いた。
「5年仕えてきて、こんなお嬢様初めて見る……」
調査が一段落すると、師匠は俺に向き直った。
「ヨハン」
「おう」
「あなたのコレクション、宝の山よ」
「え?」
予想外の言葉だった。
「10年かけて集めた鉱物、全部使い道がある」
師匠はメモを閉じた。
「あなたは『変人』じゃない。科学者の素質があるわ」
「……」
言葉が出なかった。
10年間、周りから何と言われてきたか。石なんか集めて何になる。働きもしないで。役立たず。変人。
でも師匠は——
「俺、ずっと『役立たず』って言われてた」
声が震えた。
「石なんか集めて何になる、って」
「石じゃない」
師匠が言った。
「資源よ。この国の未来を支える資源」
「……すげえ」
涙が滲みそうになった。慌てて袖で目をこする。
「師匠に出会えてよかった」
「感傷的になるのは早いわ」
師匠は小さく息を吐いた。
「まだまだ教えることがあるんだから」
「おう!」
俺は大きく頷いた。
この人についていく。そう心に決めた日から、一度も後悔したことはない。




