第14話 お嬢様が詳しすぎる~MKS単位系~
王城にやってきてから、一年が経った。
三月。春の陽気が戻ってきた。王城の庭には新芽が芽吹き、冬の終わりを告げている。お嬢様は六歳になった。
複式簿記の教科書を頒布して、数日後のことだった。
私は執務室でお嬢様にお茶を淹れていた。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
お嬢様は帳簿から顔を上げた。
机の上には、各地から届いた帳簿が山のように積まれている。複式簿記で書き直された、新しい帳簿だ。
お嬢様は椅子に座って、足をぶらぶらさせながら帳簿をめくっている。五歳になったが、まだ足は床に届かない。
「エマ」
「はい」
「この帳簿、おかしいわ」
また不正が見つかったのだろうか。複式簿記を導入してから、帳簿の不正が次々と発覚している。
「また不正ですか……?」
「違う。単位よ」
「単位?」
お嬢様は二つの帳簿を並べた。
「A領の布100尺と、B領の布100尺。同じ長さだと思う?」
「……同じではないんですか?」
「A領の1尺は約30センチ。B領の1尺は約25センチ」
「せんち……?」
聞いたことのない言葉だった。
「つまり、同じ『100尺』でも、実際の長さが2割も違う」
「2割……」
それは大きな差だ。
「そ、それは大変ですね……」
「大変どころじゃないわ」
お嬢様は帳簿を閉じた。
「税金」
お嬢様は言った。
「布100尺を納めろと言われて、25センチの尺で納めたらどうなる?」
「……得をしますね」
短い尺で測れば、少ない布で100尺になる。
「逆に30センチの尺で納めたら?」
「損をします」
長い尺で測れば、多くの布が必要になる。
「それだけじゃない。取引でも同じことが起きる」
お嬢様は窓の外を見た。
「商人は自分に有利な単位を使い、相手には不利な単位を使う」
「……それって、不正では?」
「不正じゃないわ」
お嬢様は首を振った。
「誰が悪いわけでもない。単位を定めてないんだから、自分の単位を使って当然でしょう?」
「では、誰が悪いんですか?」
「あえて言うなら——」
お嬢様は小さく笑った。
「放置してきた王族ね」
「……」
お嬢様はため息をついた。
「重さも同じ。1貫がどれくらいか、地域によって違う」
「……」
「容積も。1升がどれくらいか、領主によって違う」
言われてみれば、確かにそうだ。
私の故郷と王都では、同じ「1升」でも量が違った気がする。
「帳簿を統一しても、単位がバラバラじゃ意味がないでしょう?」
「確かに……」
「だから、単位を統一するわ」
「全国で同じ単位を使うようにする」
お嬢様は宣言した。
「どうやって……?」
「新しい単位を作る」
新しい単位?
「長さは『メートル』」
「めーとる?」
「地球の北極から赤道までの距離の1000万分の1」
「ち、地球……? きょく……?」
何を言っているのかわからない。
お嬢様は私を見た。
「……私たちが住んでる世界は丸いの。知ってた?」
「丸い!?」
「知らなかったのね」
お嬢様は小さくため息をついた。
「まあいいわ。とにかく、絶対に変わらない基準を作るの」
「絶対に変わらない……」
「重さは『キログラム』。水1リットルの重さ」
「りっとる……」
「容積の単位よ。1メートルの100分の1を3回かけた立方体が1リットル」
「……」
「時間は『秒』。1日を24時間、1時間を60分、1分を60秒」
「それは……わかります」
時間の単位は、この国でも同じだ。
「でも、正確な1秒をどうやって測るか——」
お嬢様は続けた。
「長さ1メートルの振り子を作る。片道がちょうど1秒」
「振り子……?」
「おもりを吊るして揺らすの。同じ長さなら、いつも同じ速さで揺れる」
「……」
また、わからなくなってきた。
「ついてきてる?」
「正直に言うと、まったく」
お嬢様はくすりと笑った。
「簡単に言うわ」
お嬢様は指を立てた。
「長さ1メートルの棒を作る。これが基準」
「はい」
「水を1リットル入れる容器を作る。これも基準」
「はい」
「その水の重さが1キログラム。これも基準」
「……なるほど」
少しわかってきた気がする。
「この三つを『標準原器』と呼ぶわ。基準となるモノ」
「標準原器……」
「これを全国に配れば、みんな同じ基準で測れる」
「あ」
私は理解した。
「A領の役所にも、B領の役所にも、同じ長さの棒があれば——」
「そう。どこで測っても同じ長さになる」
お嬢様は満足げに頷いた。
「やっとわかったわね」
「はい……」
言っていることはわかる。でも、それを実現するのがどれほど大変か……。
「職人を集めなさい」
「はい……」
「金属職人、木工職人、ガラス職人。腕のいいのを」
「わかりました」
また、私が職人を集めるのか。
私はメイドなのに。
◆
数日後。
王城の会議室に、職人たちが集められた。
金属職人が三人、木工職人が二人、ガラス職人が二人。全員が緊張した顔で座っている。
「な、なんで俺たちが王城に……」
「何か粗相でもしたのか……?」
職人たちがひそひそと話している。
「お静かに。シャルロッテ様がお見えになります」
私がそう言うと、職人たちは黙った。
扉が開いて、お嬢様が入ってきた。
プラチナブロンドの髪が揺れる。アイスブルーの瞳が、職人たちを見渡す。
お嬢様は椅子によじ登って座った。足が床に届かず、ぶらぶらと揺れている。
「……ガキ?」
職人の一人が、思わず声を漏らした。
「シャルロッテ様です」
私が言うと、職人は目を丸くした。
「え!? これが!?」
「失礼ね。『これ』って何よ」
お嬢様の冷たい視線が、職人を射抜いた。
職人たちは慌てて平伏した。
「も、申し訳ございません……!」
「いいわ。顔を上げなさい。話があるの」
お嬢様は足をぶらぶらさせながら、職人たちを見渡した。
その姿は五歳の少女そのもの。でも、目だけが違う。
「標準原器を作りなさい」
「ひょうじゅん……げんき?」
「基準となるモノよ。これが1メートル、これが1キログラム、という見本」
職人たちは顔を見合わせた。
「材料は——」
お嬢様は続けた。
「長さの原器は、金と白金の合金。温度で伸び縮みしにくいから」
「金と……はっきん?」
金属職人が首を傾げた。
「白金。プラチナとも言うわ」
お嬢様は淡々と続けた。
「原子番号78。元素記号Pt。銀白色の金属で、融点は1768度。化学的に非常に安定していて、酸にも溶けにくい」
「……」
職人たちが固まった。私も固まった。
「金を精錬する時、銀色で重い粒が混ざってない?」
お嬢様は何事もなかったように話を続けた。
「ああ、あれですか」
職人は頷いた。
「邪魔なので捨ててます」
「捨てないで集めなさい。あれを使うわ」
「あんな屑を……?」
「屑じゃないわ。金より価値がある」
職人が目を丸くした。
「金より……?」
「触媒になるの」
「しょくばい……?」
「……まあ、今は気にしなくていいわ。とにかく集めなさい」
お嬢様は手を振った。
「融点が高いから加工は難しいけど、鋳型を作って合金にすればいい」
「は、はあ……」
「金から出た白金は国庫に集めなさい。買い取るわ」
職人たちは、まだ狐につままれたような顔をしている。
「重さの原器も同じ。削れにくい金属で、正確に1キログラムを作る」
「1きろぐらむ……」
「容積は——ガラスの容器。目盛り付きで」
ガラス職人が頷いた。でも、理解しているかどうかは怪しい。
「全国の役所に配布するから、同じものを100個作りなさい」
「100個!?」
職人たちが叫んだ。
「足りなければ増やす。まず100個」
「そ、それは……」
「できないとは言わせないわよ?」
お嬢様の声が冷たくなった。職人たちは黙り込んだ。
「エマ」
「はい」
「あなたは監督よ。職人たちがサボらないように見張りなさい」
「私はメイドです!」
思わず叫んだ。
「知ってるわ」
お嬢様は涼しい顔で答えた。
「だから任せるの」
「意味がわかりません!」
「あなたが一番信用できるからよ」
「……」
その言葉に、私は黙るしかなかった。
職人たちは、私とお嬢様のやり取りを呆然と見ていた。
「質問は?」
お嬢様が聞いた。
職人たちは顔を見合わせた。質問したいことは山ほどあるだろう。でも、何から聞けばいいかわからない。
「……ないようね。では、始めなさい」
お嬢様は椅子から降りた。
「試作品ができたら報告して」
「は、はい……!」
職人たちが頭を下げる。
私たちは会議室を後にした。
◆
廊下を歩きながら、私はお嬢様に尋ねた。
「お嬢様」
「何?」
「あの……どうしてあんなに詳しく知っているんですか?」
「何を?」
「単位のこと。メートルとか、キログラムとか……」
「ああ」
お嬢様は足を止めなかった。
「世界が丸いって、本当なんですか?」
「本当よ」
「でも、どうして……」
「夢で見たの」
また、夢。
お嬢様は、いつもそう言う。紙のときも、インクのときも、単位のことも。
私はもう聞き慣れていた。でも——本当のことを知るのが、少し怖かった。
だから、それ以上は聞かなかった。
こうして、標準原器の製作が始まった。
私は毎日、職人たちの工房に通うことになった。
お嬢様の命令で、監督として。
私はメイドなのに。
——この時の私は、まだ知らなかった。
標準原器が完成した後に待っている、もっと大きな騒動のことを。
胃が痛くなる日々は、まだ始まったばかりだった。




