第13話 お嬢様のお誕生日会
2月15日。
お嬢様が六歳になる日だった。
朝から王城は大騒ぎだった。侍女たちが走り回り、料理人たちが腕を振るい、楽師たちがリハーサルをしている。
その中心にいたのは、お嬢様のご両親——ヴァイスバッハ伯爵夫妻だった。
「花はもっと多く! シャルロッテの好きな白薔薇を!」
奥様が侍女たちに指示を飛ばしている。
「料理長、デザートは三種類では足りないぞ。五種類だ!」
旦那様も厨房に顔を出しているらしい。
私はお嬢様の私室で、その喧騒を聞いていた。
「……大げさね」
お嬢様がため息をついた。
「お父様とお母様、張り切っていらっしゃいますね」
「毎年こうなのよ。放っておいて」
お嬢様は窓の外を見ながら、興味なさそうに言った。
その横顔が、朝日に照らされている。
……綺麗だ。
いつも思うが、お嬢様は本当に人形のように整った顔をしている。プラチナブロンドの髪が光を受けて輝き、淡い青の瞳が窓の外を映している。
六歳になっても、その美しさは変わらない。いや、むしろ磨きがかかっている気がする。
◆
「シャルロッテ!」
奥様が勢いよく部屋に入ってきた。手には純白の絹地に銀糸の刺繍が施された豪華なドレス。
「見て、このドレス! お父様と二人で選んだの」
「お母様、私は——」
「三軒も仕立て屋を回ったのよ? お父様ったら、『うちの娘に似合う最高のものを』って」
奥様は嬉しそうにドレスを広げた。
「ティアラも用意したわ。ほら、この真珠の——お父様が『シャルロッテの目の色に合う』って」
お嬢様の言葉を遮り、奥様は娘の顔を覗き込んだ。
「似合うわよ、絶対。さあ、着替えましょう」
「……はい」
お嬢様は諦めたように頷いた。
私はその様子を見ながら、少し可笑しくなった。国政を動かすお嬢様も、お母様には逆らえないらしい。
「エマ、髪を整えてちょうだい。今日は特別な日なんだから」
「かしこまりました」
私はお嬢様の髪を整え始めた。
絹のような髪が、指の間をするりと流れる。何度触れても、この感触には慣れない。
ドレスに着替えたお嬢様を見て、私は息を呑んだ。
純白のドレスが、お嬢様の白い肌によく映えている。銀糸の刺繍がきらきらと光り、まるで雪の妖精のようだ。
「……っ」
可愛い。
いや、可愛いなんて言葉では足りない。美しい。神々しい。
「どうしたの、エマ。変な顔して」
「い、いえ! とてもお似合いです!」
「そう」
お嬢様は興味なさそうに鏡を見た。
もったいない。こんなに綺麗なのに、本人は全く気にしていない。
奥様はその間も、お嬢様の傍を離れなかった。髪飾りの位置を直し、ドレスの裾を整え、靴の具合を確かめる。
「お母様、そんなに気にしなくても……」
「だって、六歳よ? もう立派なレディーだわ」
奥様がお嬢様の頬に手を当てた。
「本当に、大きくなったわね……」
その目には、深い愛情が滲んでいた。
お嬢様は少し居心地悪そうに目を逸らした。
その仕草が、また可愛い。普段は国を動かす恐ろしいお嬢様が、お母様の前では照れくさそうにしている。
こういう瞬間を見られるのは、メイドの特権だと思う。
◆
大広間には、すでに大勢の貴族たちが集まっていた。
玉座には、カール陛下が座っている。三歳になったばかりの陛下は、まだ何もわからないといった様子で、きょろきょろと周りを見回していた。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
旦那様が挨拶に立った。
「我が娘シャルロッテの六歳の誕生日を、このように盛大に祝っていただけること——」
旦那様の声が少し震えた。
「父として、これほど嬉しいことはありません」
その目が潤んでいる。本当に嬉しいのだろう。
「……大げさよ」
お嬢様が小声で呟いたが、その声には呆れだけでなく、少しの照れも混じっているように聞こえた。
「シャルロッテ様のお出ましです!」
扉が開き、お嬢様が入場した。
私は壁際に控えながら、その姿を見つめた。
……ああ。
大広間の光を受けて、お嬢様のドレスが輝いている。ティアラが髪に映え、一歩一歩が絵画のように美しい。
貴族たちが一斉に頭を下げる中、旦那様と奥様だけは頭を下げなかった。
二人は、娘の姿を目を細めて見つめていた。
「綺麗だわ……」
奥様が小さく呟いた。
「ああ。うちの娘は世界一だ」
旦那様が頷いた。
親バカだと思う。でも——私も同じ気持ちだった。
今日のお嬢様は、本当に綺麗だ。
その時だった。
「シャル、おめでとー!」
高い声が響いた。
玉座から降りてきたカール陛下が、お嬢様に向かって小さな手を振っていた。
三歳の幼い皇帝。まだ言葉もおぼつかない。でも、一生懸命に「おめでとう」と言っている。
「……ありがとう、カール」
お嬢様が微笑んだ。
本物の笑顔だった。
会場の空気が、ふっと和らいだ。
「まあ、なんと仲睦まじい……」
「まるで本当のご兄妹のようですな」
「将来が楽しみでございますわね」
貴族たちが口々に囁く。旦那様も奥様も、皆が柔らかい表情になっている。
三歳の皇帝と六歳の令嬢。確かに、二人の姿は本当の兄妹のようだった。
カール陛下は侍従に抱き上げられ、また玉座に戻っていった。でも、その顔は満足そうだった。
お嬢様の表情も、心なしか柔らかくなっている。
◆
贈り物が次々と運び込まれる。
宝石をちりばめた髪飾り。異国の絹で仕立てた子供用のドレス。精巧な細工の人形。
「シャルロッテ様、この宝石は我が領地で産出された最上級の——」
「ありがとう」
お嬢様は同じ調子で礼を言い続けていた。目は死んでいる。
私は壁際に控えながら、その様子を見ていた。
退屈そうなお嬢様。足をぶらぶらさせている。椅子が高すぎて、まだ床に届かないのだ。
……可愛い。
いや、そんなことを思っている場合ではない。お嬢様は明らかに退屈している。
ふと、旦那様と奥様の姿が目に入った。
二人は贈り物の山を見ていなかった。
娘を見ていた。
お嬢様が退屈そうにしていること、目が死んでいること——二人には見えているはずだ。
でも、二人は何も言わなかった。
ただ、温かい目で娘を見守っていた。
◆
祝宴の最中、旦那様がお嬢様の傍に来た。
「シャルロッテ、疲れていないか?」
「平気よ、お父様」
「そうか。無理はするなよ」
旦那様はお嬢様の頭をそっと撫でた。
「お前が元気でいてくれるだけで、父さんは嬉しいんだからな」
「……」
お嬢様は少し困ったような顔をした。
その顔が、たまらなく愛おしい。普段の冷徹な表情とは違う、年相応の戸惑いが見える。
奥様もやってきて、お嬢様の皿にケーキを取り分けた。
「シャルロッテ、これ美味しいわよ。食べてみて」
「はい……」
「あまり食べてないでしょう? ちゃんと食べないと大きくなれないわよ」
「お母様、私はもう——」
「何を言ってるの。まだ六歳じゃない」
奥様がお嬢様の頬をつついた。
「私たちにとっては、いつまでも可愛い娘なんだから」
お嬢様の表情が、一瞬だけ緩んだ。
私は見逃さなかった。
あの表情。普段は絶対に見せない、柔らかい表情。
ご両親の前でだけ見せる、お嬢様の素顔。
私の心が、じんわりと温かくなった。
◆
祝宴が続く中、お嬢様が私をちらりと見た。
その目が、何かを訴えていた。
……助けて。
普段は何でも一人でできるお嬢様が、私に助けを求めている。
その事実だけで、私は少し嬉しくなってしまった。
いけない、いけない。お嬢様が困っているのに。
私は小さく頷いた。
「お嬢様、少しお休みになられては」
「ああ、そうね。少し疲れたわ」
お嬢様は立ち上がった。
「シャルロッテ、どこへ行くの?」
奥様が心配そうに声をかける。
「少し休むわ、お母様。すぐ戻るから」
「そう? 無理しないでね。具合が悪かったら言うのよ?」
「大丈夫よ」
廊下に出ると、お嬢様は深いため息をついた。
「助かったわ」
「お疲れ様です」
「お父様もお母様も、張り切りすぎなのよ」
お嬢様が窓の外を見ながら言った。
「愛されていらっしゃいますね」
「……そうね」
お嬢様は複雑な顔をした。
「悪いとは思ってるの。二人とも、私のために一生懸命で」
「……」
「でも私は……普通の六歳児じゃないから──お父様お母様には申し訳ないと思ってるわ」
「普通じゃない自覚あったんですね」
思わず口を挟んでしまった。
お嬢様がじろりとこちらを見た。
「……何か言った?」
「いえ、何も」
私は慌てて首を振った。
◆
夜になり、祝宴は終わった。
お嬢様の部屋に戻ると、扉がノックされた。
「シャルロッテ、入っていいかしら?」
奥様の声だった。
「……どうぞ」
扉が開き、旦那様と奥様が入ってきた。
「疲れたでしょう? 今日は早く休みなさい」
奥様がお嬢様の髪を優しく撫でた。
「これ、私たちからの贈り物よ」
旦那様が小さな箱を差し出した。
お嬢様が開けると、中には銀の懐中時計が入っていた。シンプルだが、美しい細工だ。
「お前はいつも時間を気にしているだろう? これがあれば便利だと思ってな」
「……」
「裏を見てごらんなさい」
奥様に言われて、お嬢様が時計を裏返した。
そこには、小さな文字で刻まれていた。
『愛する娘へ 父より 母より』
「……」
お嬢様が黙り込んだ。
「シャルロッテ」
旦那様がお嬢様の前にしゃがみ込み、目線を合わせた。
「お前が何を考えているか、父さんにはよくわからない」
「……」
「でもな、お前が何をしようと、どんな道を選ぼうと——」
旦那様がお嬢様の手を握った。
「父さんと母さんは、いつでもお前の味方だ」
奥様も頷いた。
「何があっても、私たちはあなたを愛してるわ。忘れないでね」
旦那様がふっと笑った。
「……まあ、鉱山の権利は取り上げられたがな」
「あれは必要な改革よ。それに、身を切っているということを他の貴族に知らしめる必要があったの」
「わかってるよ。だから何も言わなかっただろう? まあ正直、かなり痛かったがな」
旦那様がははは、と笑った。
「お前のやることには、ちゃんと理由がある。父さんたちはそれを信じてる」
お嬢様は、二人の顔を交互に見た。
その目が、少しだけ揺れていた。
「……ありがとう」
小さな声だった。でも、貴族たちへの棒読みとは違う。
本物の「ありがとう」だった。
旦那様と奥様は、満足そうに微笑んでお嬢様を抱きしめた。
私はその光景を見ながら、目頭が熱くなった。
お嬢様にも、こんな顔ができるのだ。
◆
ご両親が去った後、私は小さな包みを取り出した。
「お嬢様」
「何?」
「これを」
私は包みを差し出した。
お嬢様が怪訝そうに受け取り、開ける。
中身は——手作りのハンカチだった。
白い布に、お嬢様の名前を刺繍してある。『シャルロッテ』と。
正直、あまり上手な刺繍ではない。私は裁縫が得意ではないのだ。何度もやり直して、それでもこの出来栄えだった。
「高価なものは用意できませんでしたが……」
宝石の山と比べれば、あまりにも質素だ。恥ずかしくなってきた。
「……」
お嬢様は、じっとハンカチを見つめていた。
長い沈黙。
もしかして、気に入らなかっただろうか。もっとちゃんとしたものを——
「……ありがとう、エマ」
え。
今、名前を呼んでくれた?
お嬢様が私の名前を呼ぶことは、そう多くない。いつもは「あなた」とか、呼びかけなしで話しかけてくる。
「エマ」と呼んでくれた。
私は、胸がいっぱいになった。
「……お嬢様」
「何よ、泣きそうな顔して」
「いえ、その……嬉しくて」
「変なメイドね」
お嬢様は呆れたように言ったが、その声は柔らかかった。
お嬢様は、懐中時計を大事そうに机の上に置いた。
そして、私のハンカチを引き出しにしまった。
「……」
私はそれを見て、胸が熱くなった。
お父様とお母様からの時計は、机の上に。
私からのハンカチは、引き出しの中に。
どちらも、大切にしてくれている。
それだけで、十分だった。




