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私はメイドです!〜お嬢様の世界征服に巻き込まれた哀れな日々〜  作者: ほしみん
第一章 国内改革

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第12話 お嬢様が詳しすぎる~複式簿記~(後編)

秋が深まっていた。


教科書の木版刷りが完了してから、数日が経った。窓から見える木々は紅葉し、落ち葉が風に舞っている。


王城の会議室。


『エマ式簿記入門』——私の名前がついた教科書が、山のように積まれている。


見るたびに胃が痛くなる。


「え、えー、本日より複式簿記の講習を始めます……」


私は大臣たちの前に立っていた。


なぜ。


なぜ私がここに立っているのか。


「メイド風情が我々に講義だと?」


大臣の一人が、露骨に眉をひそめた。


私だってそう思う。


「シャルロッテ様のご命令です」


私がそう言うと、大臣たちは黙った。


シャルロッテ様の名前を出すと、みんな黙る。便利だけど、なんか複雑だ。


部屋の隅で、お嬢様が紅茶を飲んでいる。足をぶらぶらさせながら、こちらを見ていた。


「何か問題でも?」


お嬢様が言った。


「い、いえ……」


大臣たちは目を逸らした。


お嬢様の冷たい視線に、誰も逆らえない。


「で、では始めます……」





「全ての取引は、二つの勘定に記録します」


私は黒板に図を描いた。


「左側を借方、右側を貸方といいます」


「かりかた? かしかた?」


大臣の一人が首を傾げた。


「は、はい。例えば金貨100枚で物資を購入した場合……」


私は図を指した。


「借方に『物資』、貸方に『現金』と記入します」


大臣たちが困惑した顔をしている。


「こうすることで、必ず左右の合計が一致します」


「一致しないとどうなる?」


別の大臣が尋ねた。


「……どこかに誤りがある、ということです」


「誤り……」


「もしくは、不正です」


会議室がざわついた。


何人かの大臣の顔色が変わった。あ、心当たりがある人たちだ。


部屋の隅で、お嬢様がにっこりと笑っている。


……怖い。お嬢様も、この状況も。





講習は数週間続いた。


毎日が地獄だった。


「エマとやら、もう一度説明しろ」


「は、はい。借方は左側で……」


「だからなぜ左なのだ!」


「それは……そういう決まりで……」


私だって知らない。お嬢様に教わった通りにやっているだけだ。


「メイドに教わるなど屈辱だ」


「ですから、シャルロッテ様のご命令で……」


何度同じ説明をしただろう。


大臣たちは、最初は露骨に私を見下していた。メイド風情が、と。


でも、少しずつ変わっていった。


「……なるほど、こう書けば確かに整合性が取れるな」


「エマ殿、この場合はどちらに記入すれば?」


エマ殿。


いつの間にか、そう呼ばれるようになっていた。


最初は「メイド風情」と言っていた人たちが、今は「エマ殿」。


出世……したのだろうか。


いや、違う。私はメイドなのに。





講習の最終日。


「皆さん、覚えが早くて助かります」


「そりゃそうでしょう。覚えないと困るもの」


お嬢様が言った。


「え?」


「次は、過去の帳簿を複式で整理し直しなさい」


「過去の……?」


「5年分くらいでいいわ」


「5年分!?」


「大臣たちにやらせて。いい実習になるでしょう?」


お嬢様は平然と言った。


5年分の帳簿を、複式で整理し直す。


とんでもない作業量だ。


「……わかりました」





さらに数週間後。


会議室が騒然としていた。


「こ、これは……」


「数字が……合わない……」


「どこがですか?」


私は大臣の一人に尋ねた。


「3年前の鉱山収入が……記録より実際の入金が少ない……」


「……」


「こっちも合わない! 税収の記録と実際の金額が……」


「軍事費も……支出記録と実際の購入量が一致しない……」


次から次へと、声が上がった。


私は黙ってそれを見ていた。


これは——横流しの証拠が、次々と出てきている。


「ほら、なんだか楽しくなってきたでしょう?」


ニコニコと微笑むお嬢様に、貴族たちは俯くばかりだった。





会議が終わった後。


私はお嬢様の言いつけで、書類を届けに廊下を歩いていた。


すると、角の向こうから声が聞こえてきた。


「まずいぞ……このままでは我々の不正が……」


私は足を止めた。


「あの小娘……いや、シャルロッテ様を何とかできないか」


「馬鹿を言うな。王族の死に暗殺の疑いが残る今だぞ。我々が動けば疑われる」


「だが、このままでは……」


「……待つしかない。今は」


「3年間の減税を約束された。その間は大人しくしているしかあるまい」


「3年後には……」


「それまでに、証拠を隠滅するか、あるいは……」


貴族たちは、重い足取りで去っていった。


私は壁に背をつけたまま、息を殺していた。


……お嬢様に報告しないと。





その夜。


執務室で、私はお嬢様に報告した。


「お嬢様、帳簿の精査で多くの不正が見つかりました」


「知ってるわ」


「それと……貴族たちが密談しているのを聞いてしまいました」


私は廊下で聞いた内容を伝えた。


お嬢様は表情を変えなかった。


「……最初からわかっていたんですか?」


「当然でしょう? だから複式を入れたのよ」


やはり。


お嬢様は最初から、これを狙っていたのだ。


「では、これから彼らを処罰……」


「まだよ」


「え?」


「今動いたら国が回らなくなる。代わりの人材がいないもの」


お嬢様は窓の外を見た。


「それに、まだ証拠集めの途中よ。複式簿記はそのための道具」


「道具……」


「帳簿を整えれば、不正は自然と浮かび上がる。焦る必要はないわ」


私は背筋が寒くなった。


お嬢様は——どこまで先を見ているんだろう……。





半年後。


『エマ式簿記入門』は、全国の役所に配布された。


「エマ殿、各地から報告が届いております」


侍従が私に声をかけてきた。


「エマ殿って呼ばないでください……私はただのメイドです……」


「しかし、全国の帳簿制度を変えた方ですし……」


「変えてません! お嬢様が変えたんです!」


「そうおっしゃられましても、教科書には『エマ式』と……」


「うぐっ」


「『エマ式簿記入門』、全国の役所に配布完了したとのことです」


「……」


「今後、帝国の全ての帳簿はこの方式で記録されるそうです」


「……」


「歴史的な改革だと、皆感心しております」


「私はメイドです……」


「はあ?」


「なんでもないです……」


私はため息をついた。


歴史的な改革。


メイドが書いた教科書が、国の標準になる。


普通じゃない。


絶対に普通じゃない。




執務室。


お嬢様が私に声をかけた。


「エマ、よくやったわね」


「いえ、お嬢様のおかげです……」


「革命よ」


「え?」


「この国の帳簿制度を根本から変えた。これは革命」


お嬢様は言った。


「あなたが起こしたの」


「私は何も……お嬢様に言われた通りにしただけで……」


「それを革命と言うの」


「言わないと思います!」


「言うわ」


「言いません!」


「言うの」


「……」


お嬢様には勝てない。


「どんな言い訳をしても、あなたの名前が残る」


お嬢様は窓の外を見た。


「『エマ式簿記入門』——何百年経っても、あなたの名前は消えないわ」


何百年。


私は黙った。


何百年も残る。


私の名前が。


メイドの名前が。


「……」


「褒めてるのよ」


「はい……ありがとうございます……」


私は頭を下げた。


嬉しいはずなのに、胃が痛い。




その夜。


「革命……」


お嬢様の言葉を思い返す。


私が起こした革命。


「私はメイドなのに……」


窓の外を見た。月が静かに輝いている。


半年前、私はただのメイドだった。


今は——革命を起こした人間、らしい。


「メイドです」


そう、私はメイドだ。


メイドなんだ。


どんな大層なことをやらされても、私はメイド。


「……がんばろう」


ため息をついて、私は横になった。


胃が痛い。


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