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私はメイドです!〜お嬢様の世界征服に巻き込まれた哀れな日々〜  作者: ほしみん
第一章 国内改革

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第10話 お嬢様が詳しすぎる~インク~

新しい紙の試作が成功してから、数日が経った。


夏の盛りだった。窓を開けても熱気が流れ込んでくるだけで、涼しくはならない。


王城の会議室に、今度はインク職人が集められた。


職人が二人。どちらも緊張した顔で座っている。


「な、なんで俺たちが王城に……」


「何か粗相でもしたのか……?」


紙職人のときと同じだ。


私は彼らを宥めながら、お嬢様の到着を待った。


扉が開いて、お嬢様が入ってきた。


プラチナブロンドの髪が、窓からの光を受けて輝いている。白いドレスが、小さな体を包んでいる。


お嬢様は椅子によじ登って座った。足が床に届かず、ぶらぶらと揺れている。


「……ガキ?」


職人の一人が、小声で呟いた。


紙職人のときと同じだ。みんな同じ反応をする。


私は内心でため息をついた。これで何回目だろう。


「シャルロッテ様です」


「え!? この子が!?」


「ええ」


「嘘だろ!?」


「嘘じゃないわ」


お嬢様が答えた。氷のような目で。


職人たちの顔が一瞬で青ざめた。


「失礼しました!」


慌てて平伏する。


……紙職人のときと全く同じ流れだ。学習しないのかな、この国の大人たちは。


「いいわ。顔を上げなさい」


お嬢様は足をぶらぶらさせながら言った。


その目は、五歳児のものではなかった。





「今のインクは何を使ってる?」


お嬢様が尋ねた。


「煤と膠を混ぜて……」


「それじゃダメよ」


職人が固まった。


「え?」


「煤のインクは紙の表面に乗ってるだけ。擦れば消えるし、水をかけたら流れるでしょう?」


「そ、そうですが……普通はそういうもので……」


「普通じゃ困るの」


お嬢様は言った。


「帳簿は何十年、何百年と保存するものよ」


何百年。


また、途方もない数字が出てきた。紙のときもそうだった。


お嬢様の視点は、私には想像もつかない遠くを見ている。


「没食子インクを作りなさい」


「ぼっしょくし……?」


「樫の木を見たことある?」


「は、はい……」


「幹や枝に、丸い瘤ができてることがあるでしょう。虫こぶよ」


「ああ、あの……虫が巣を作るやつ……」


「そう。あれが没食子。タンニンがたっぷり含まれてるの」


「たんにん……?」


「渋みの成分よ。革を鞣すのにも使うでしょう?」


「あ、はい……」


「没食子を砕いて、水に浸して、タンニンを抽出する」


お嬢様は続けた。


「そこに緑礬——鉄の錆を溶かしたものを加えるの」


「鉄の錆……?」


「タンニンと鉄が反応して、黒い色素ができる」


「反応……?」


「これが紙の繊維に染み込んで、化学反応を起こすの」


「化学……?」


職人の顔が困惑に染まっていく。


紙のときと同じだ。お嬢様の言葉は、私にも半分くらいしかわからない。


いや、正直に言うと三割くらいかもしれない。


でも、職人さんはもっとわからなそうだ。完全に目が死んでいる。


「あの……」


私は思わず口を挟んだ。


「つまり、渋みの成分と鉄の錆を混ぜると、黒い色ができる……ということでしょうか?」


職人がこちらを見た。


「お、おう……それなら……」


「空気に触れると変わる、というのは、干物が色が変わるようなものかと」


「ああ、なるほど……」


職人の顔に、少しだけ理解の色が浮かんだ。


お嬢様は私をちらりと見た。何か言いたそうだったが、何も言わなかった。


「いいから聞きなさい」


お嬢様は構わず続けた。


「書いた直後は薄い灰色よ」


「灰色……」


「でも、空気に触れると酸化して、どんどん黒くなる」


「酸化……」


「一度染み込んだら、削っても消えない。水をかけても流れない」


職人は黙った。


「何百年経っても読める。そういうインクよ」


「何百年……」


お嬢様は平然としている。


何百年後の世界を見ているかのように。


「最後に膠かアラビアゴムを加えて、粘度を調整する。それで完成」


膠はともかくアラビアゴムってなんだろう。


「……本当に、そんなインクが……」


「疑うなら試しなさい」


お嬢様はそう言って、紅茶を一口飲んだ。足をぶらぶらさせながら。


私は心の中で溜息をついた。


タンニン、緑礬、酸化……。


お嬢様の言葉の半分も理解できない。


でも、職人さんはもっとわからなそうな顔をしている。


「なぜそんなことを知っているんですか?」


職人の一人が、恐る恐る尋ねた。


「……」


お嬢様は答えなかった。


しばらくの沈黙。


「夢で見たのよ」


職人が目を丸くした。


「夢……?」


「そう。長い、長い夢」


それだけ言って、お嬢様は椅子から降りた。


紙のときと同じだ。お嬢様は「夢で見た」としか言わない。


私は——もう、それ以上聞かないことにしている。


「試作品ができたら報告しなさい」


「は、はい……!」


職人たちが頭を下げる。私たちは会議室を後にした。





数週間後。


私たちは職人たちの工房を訪れた。


「で、できました……」


インク職人が、小瓶を差し出した。


お嬢様は新しい紙を取り出した。あの職人たちが作った、植物繊維の紙だ。


「試すわ」


お嬢様は筆を取り、紙に文字を書いた。


書いた直後は、確かに薄い灰色だった。


しばらく待つ。


文字が、少しずつ黒くなっていく。


お嬢様は紙を手に取り、指で擦った。


消えない。


水をかけた。


消えない。


「合格」


お嬢様は小さく頷いた。


「やった……!」


職人が歓声を上げた。


私は思った。


五歳児に褒められて喜ぶ職人たち……。


私も人のことは言えないけど。


「やった……やりました……!」


「何ヶ月もかかりましたが……ついに……!」


職人たちが抱き合って泣いている。


お嬢様は「合格」の一言だけで、もう紅茶を飲んでいる。


温度差がすごい。





王城に戻る馬車の中。


お嬢様は窓の外を眺めていた。


夕日が、プラチナブロンドの髪を染めている。


「これで紙とインクが揃ったわ」


「はい」


「次は印刷ね」


「印刷……?」


「教科書を量産するのよ。活版印刷が使えればいいんだけど……」


お嬢様は眉をひそめた。


「この国の技術じゃ、まだ無理ね」


「活版印刷とは?」


「金属の文字を並べて、インクをつけて、紙に押し付けるの。一度版を組めば何百部でも刷れる」


「……はい?」


金属の文字? 並べる? 押し付ける?


「……すみません、お嬢様。もう一度お願いできますか」


「だから、金属で文字の形を作って、それを並べて、インクを塗って、紙に押し付けるの」


「……」


わからない。全くわからない。


「まあいいわ。とにかく、金属加工の精度が足りないの」


お嬢様は溜息をついた。


「はあ……イライラする」


「お嬢様……」


「いいわ。とりあえず木版刷りで」


「もくはんずり、ですか?」


「木の板に文字を彫って刷るの。手間はかかるけど、手書きよりはマシでしょう」


「なるほど……」


「活版印刷は……3年後くらいかしら」


また、長期計画だ。


「彫り師を集めなさい。教科書の版木を作らせるわ」


「……はい」


「それから——」


お嬢様は私を見た。


「あなた、教科書を書きなさい」


「……は?」





「私が? 教科書を?」


「そうよ」


「私はメイドです!」


「知ってるわ」


「教科書を書くのはメイドの仕事じゃないです!」


「じゃあ誰が書くの?」


「学者とか、大臣とか……」


「この国に、私が教えたことを理解している人間が何人いると思う?」


「……」


「今のところ、あなただけよ」


私は言葉を失った。


「紙の作り方も、インクの作り方も、あなたは聞いていたでしょう?」


「は、はい……」


「職人に通訳もしてた」


「通訳?」


「私の言葉を、わかりやすく言い換えてた」


そういえば、そうかもしれない。


「タンニン」を「渋み」と言い換えたり、「酸化」を「空気に触れると変わる」と説明したり。


無意識にやっていた。


そうしないと職人さんが気絶しそうだったから。


「あなたには才能があるのよ。難しいことを簡単に伝える才能が」


「……」


「だから、あなたが書きなさい」


才能……?


そんなもの、あるのかな……。





その夜。


私は自室のベッドに座り込んでいた。


「教科書……」


今日のことを思い返す。


紙とインクの改良が終わった。


次は印刷と、教科書作成。


「……私が、教科書を書く」


信じられない。


私はメイドだ。字は読めるけど、学者じゃない。


でも——


「お嬢様に頼まれたんだから……」


やるしかない。


私はお嬢様のメイドなんだから。


窓の外を見た。月が高い位置にある。


「……がんばろう」


ため息をついて、私は横になった。


胃が痛い。


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