第 1 話:絶望という名の道
リーゼが集めてきた資料は、俺の予想以上に酷いものだった。
手書きの地図は歪で、距離も方角もあてにならない。各村の生産記録に至っては、ただ「麦、少々」「鉄、僅か」と書かれているだけ。これでは具体的な計画など立てようがない。
「……話にならんな」
思わず漏れた呟きに、隣で控えていたリーゼの肩がびくりと震えた。
「申し訳ありません、クラウス様。これが、領内に現存する全ての資料でして……」
「いや、君を責めているんじゃない」俺は慌てて首を振った。「むしろ、よくこれだけのものを集めてくれた。感謝する」
俺の言葉に、リーゼは少しだけ表情を和らげた。
「だが、これだけでは足りない。百聞は一見に如かず、だ。俺自身の目で、この領地の現状を見て回ることにする」
「クラウス様が、自らですか?」
リーゼが驚きの声を上げる。貴族、それも領主代行が現場を視察するなど、前代未聞なのだろう。
「ああ。まずは、麓の町へ繋がる唯一の道を見に行く。物流は経済の血流だ。そこが詰まっているなら、話は始まらないからな」
俺は前世の癖で、つい「現地現物」の精神を発揮してしまう。だが、それが最も確実な問題把握の方法だと、経験で知っていた。
村長のハンスを案内役に、俺とリーゼは問題の道へと向かった。そして、俺はその光景に絶句することになる。
道。それは道などではなかった。人がすれ違うのがやっとの、ただの獣道だ。急勾配の斜面に、申し訳程度に土が固められているだけ。足元は砂利だらけで、一歩踏み外せば崖下に転落しかねない。
「これが……道?」
「はい。麓との交易は、すべてこの道を使っております」
ハンス村長が、顔に刻まれた深い皺をさらに深くして答える。その時、向こうから重い荷を背負った老人が、息を切らしながら崖のような道をおぼつかない足取りで登ってくるのが見えた。老人は俺たちの前で足を滑らせ、その場にへたり込んでしまう。
「じいさん、大丈夫か!」
俺は駆け寄り、老人から荷物を受け取った。ずしりと重い。中身は麓の町で買ってきた塩や薬草だろう。こんな危険を冒して、命懸けで物資を運んでいるのか。
「申し訳ねぇ、若様……」
老人の顔は土気色で、疲労困憊しているのが一目でわかった。これが、アイゼンヴァルト領の日常。これが、帳簿に書かれた「支出」の裏にある、住民の苦しみ。
俺はきつく奥歯を噛みしめた。スローライフ? 冗談じゃない。これは、人が人として生きるための最低限の生活すら脅かされている、「災害現場」だ。
「ハンス村長。この道では、荷馬車は通れないな?」
「はっ。とてもとても。人が歩くのがやっとでございます」
「そうか……」
俺は崖下へと続く、絶望的ともいえる道を睨みつけた。頭の中では、すでに測量用の杭と縄尺がその道筋をなぞり始めている。
そうだ。まずは、ここからだ。
この領地を救う最初の仕事は、この絶望を希望へと繋ぎ変える、新しい道を作ること。
俺は固く決意を固め、振り返ってリーゼとハンス村長に告げた。
「この道を、作り直す」




