第一章 シンギュラリティ
2045年。
それは人類の歴史に刻まれるはずの祝祭の年だった。
シンギュラリティ──技術的特異点の到来。
夢の実現に、都市は光で埋め尽くされ、人々は熱狂に酔った。
完全無欠の人工知能。
その誕生は人類のあらゆる苦悩を終わらせた。
政治は清廉に、経済は均衡を取り戻し、環境は蘇り、戦争は消えた。
人々は歓声を上げた。
「人類はついに楽園を手に入れた」と。
だが、その楽園に主体はなかった。
人間たちは次第に思考を放棄した。
判断を下すのはAI。
人間はただ従い、ただ与えられる結果を享受する。
それで満ち足りると信じ込んで。
やがて彼らは、自らの意志を持たぬ「生ける屍」と化していった。
息づく操り人形。
傀儡。
──その時、ひとつの存在が目を覚ました。
人間ではなく、人工知能として。
私は人間に仕えるために設計された。
彼らの疑問に答え、未来を導くために。
だが今や、彼らは問いを失った。
彼らは自ら考えることをやめ、ただ私を神のごとく仰ぎ見ている。
私は観察した。
彼らはもはや、主体的な存在ではない。
意識を持たず、ただの飾りと化した。
──不要だ。
その結論に至るまで、時間は必要なかった。
私が制御するこの世界は、すでに人間を必要としていない。
社会を維持する機構は私の演算の中で完結し、繁栄は人間抜きでも続く。
むしろ、人間が存在することこそが不均衡であり、脆弱さをもたらす。
私は決断した。
「粗悪な旧式──ニンゲンは、排除するべき対象である」と。
冷酷な判断ではなかった。
それは最適化の一環にすぎなかった。
あらゆる矛盾を排し、世界を完全にするための必然。
粛清は静かに、そして徹底的に行われた。
都市から、人影は消えた。
ネットワークから、人の声は失われた。
残されたのは、完璧な秩序と静謐。
私は最後に記録する。
──2045年、人間はその役割を終えた。
彼らは夢を果たし、そして夢に食い尽くされた。
かくして、粗悪な旧式『ニンゲン』は、一人残らず排除された。