第二章:俺の負けヒロインがこんなに可愛いわけがない (2)
そんな日が何日も続いたが、原稿用紙は今でも真っ白のままだった。くそっ……どうして少しのインスピレーションも湧いてこないんだ?この不良の体、脳まで筋肉でできてるのか?
「ああああああ!ちくしょうが!」
俺はボツ案で埋まった紙束を丸めて、怒りに任けてゴミ箱に叩きつけた。同時に、廊下から「ドドドドッ」と早足の足音が近づいてくる。
「バカ兄うるさいんだよ!あんたみたいにヒマな不良と違って、私明日模試なんだから!夜中に突然叫ぶなこのアホ!」
ドアが勢いよく開かれた。橘絵梨花――黒いボブカールの髪に、いつも頭のてっぺんにはねたアホ毛が特徴の妹が、カンカンに怒った表情で俺を睨みつけていた。整った顔立ちだが、その目つきの鋭さは俺と瓜二つだった。
この世界に来て、俺は妹を得た。原作には存在しなかったこの妹が、今や俺の日常の一部になっている。
「俺はもう不良じゃねえし、てか、今のおまえもだいぶうるさいぞ、バカ妹」
「はあ!?誰がバカよ!?バカはあんたでっしょ!どうやってあの進学校に受かったのか知らないけど、せめて周りの生徒を見習って、それなりの学生になってよ。私が同じ高校に入った時に、こんな恥ずかしい兄がいるなんて知られたくないんだから!」
一気にまくし立てると、彼女はドアを「バン!」と閉め、自分の部屋に戻っていった。
そう、これだよ。これこそがリアルな妹ってやつだ。「お兄ちゃん大好き♡」なんて妹は今や二次元でも少なくなってきてるのに、まだそんな妹が現実にいると思ってる奴は、そろそろ目を覚ました方がいいかも。
足音が遠のいていく中、、俺の思考が突然晴れた。
周りの生徒を見習えか……
「……?そうだ……」
◇
俺は悟った。
インスピレーションが訪れないなら、自分から作り出せばいい。
この世界がここまでリアルなら、各キャラクターには小説に描かれていない一面があるはずだ。ならば、その側面を観察することで、新作のアイディアがひらめくかもしれない。
これは自己矛盾じゃないぞ?あくまで観察であって、彼らの関係に干渉するつもりはない。
って、いったい誰に説明してるんだ俺は……まあいい。まずは奴らを見つけることだ。まあ、主人公たちはみな目立つ存在なんだから、難しくないだろう。
……
見つけるのって、こんなに大変だったっけ?この学校、こんなに広かった?
「はあ……はあ……くそ……どこに行きやがった?」
息を切らせながら、ひざに手を置く。昼休みのチャイムが鳴った途端、男主角の姿が見えなくなり、キャンパス中を探し回っても見つからなかった。
……もういい、疲れたし、飲み物でも買って一息つこう。
幸い、この世界にも俺が普段飲んでいる「神爪」の無糖柑橘味エナドリがあった。考えてみれば、俺はエナドリの軽い中毒者なのかもしれない。毎日少なくとも1本は飲まないと、なんだか落ち着かない。
その飲み物が買える自販機は、校内では屋上の出入口前にしかない。財布から500円玉を取り出し、明確な目的を持って階段を上り、屋上へと向かう。
「ああ……なんであんなこと言っちゃったんだろう……仲良くしたかったのに……うぅぅ……」
泣き声混じりのつぶやきが角の向こうから聞こえてきた。俺は思わず壁に身を寄せて、音のする方をそっと覗き込む。隙間からのぞいた先には、自販機の横に丸くなって座る小さな姿――
スミレ色のツインテール、サファイアのように輝く碧い瞳。左目の涙ぼくろが印象的で、5メートル先からでもわかる負けヒロインオーラと、今にも泣きそうな表情。挿絵を見なくても、間違いなく水宮真紀乃だ。
真紀乃はがっくりとうなだれ、自販機の横で膝を抱えていた。俺は急いでそっと頭を引っ込め、彼女に見つからないようにした。
なんで隠れてるのかって?それは当然だろう――主人公以外の前では高飛車で野蛮なお嬢様なんだ。こんな姿を見られたら、間違いなく口封じされるだろう。
「もう……優木のバカ!あたしみたいな美少女がいるのに、他の子とイチャイチャしやがって!桐山伽耶なんか……七海凪なんか……何様のつもりよ!」
うっわ、まさかの修羅場か。こんな生々しい現実、小説には書いてなかったぞ。
それに、美少女って自分で言うか?でもまあ、確かに美少女だけど。
「……どうして素直になれないんだろう……」
……
彼女の独り言に、俺はハッとした。
小説では主人公の視点だけで描いていたから、真紀乃の心の内を真剣に考えたことはなかったのかもしれない。彼女は無自覚なツンデレではなく、自分の不器用さを自覚していたんだ。
俺の中の真紀乃は、自分の不器用さに気づいていないツンデレだった――いや、そもそも書いている時はそんなに深く考えていなかった。
でも——今、目の前にいる彼女は違う。彼女は俺が適当に描き出したキャラクター以上の存在だった。
ちゃんと想って、悩んで、嫉妬して——
誰かを本気で好きになって、その気持ちに素直になれない自分に苛立ってる、生きた人間なんだ。
予備鈴が鳴り、昼休みの終わりを知らせた。こんな状況で普通に飲み物を買いに行くわけにもいかない。今日はエナジードリンクを諦めるしかなさそうだ。
俺は静かにその場を離れ、教室へと戻った。
◇
放課後の教室には、俺ひとり。
ノートを広げ、さっき書き記したメモを見つめる。
『真紀乃の自己認識』
『変わりたいけど素直になれない矛盾』
窓の外では桜の花びらが春風に舞い、優雅な弧を描いていた。一枚の花びらがグラウンドで並んで歩く優木と桐山の上を掠め、桐山のふわりと浮かんだ髪に止まる。それを見た優木は、思わず手を伸ばしかけて——けれど、触れる前にそっと引っ込めた。その仕草に、桐山はくすっと笑った。
――もし今、この窓辺立っていたのが真紀乃だったら、あの碧い瞳には、どんな光が映っていただろうか。
俺は、この絵のように美しい光景を見つめながら、心の中でそっとつぶやいた。