第七章:やはり俺の青春舞台劇はまちがっている。完(3)
「戯言!お前たちの結婚など認めん!」
「しかし!お父様!」
「もういい、その話は聞きたくない……奈月さん?今日は休みのはずじゃなかったの?」
部室の扉がガラリと開き、リハーサル中の部員たちの声が途切れた。先に奈月が入室し、俺もあとから続いた。
「用事は済ませたから戻ってきたよ。それより、みんなちょっと集まってくれない?」
奈月の呼びかけに、部員たちがじわじわと集まってくる。部員たちは次々に俺と奈月の周りに集まり、奈月の次の発言を待っている。
「脚本担当の橘くんから、みんなに話があるそうです」
奈月がそう言うと、みんなの視線は一斉に俺へ向かった。いきなり本番か?まだ心の準備が……
「またあいつか……今度は何だよ」
「またわけわかんないこと言うんじゃね?」
「よくもまあ顔出しに来たもんだ」
「リハーサルの邪魔すんなよ……」
「その……俺は……」
ああ、まただ。肺がうまく機能せず、息苦しさが襲ってくる。視界もだんだん暗くなっていく。
来る前からこうなるのは予想していたのに、なんで奈月に引きずられて来てしまったんだ。
外見は不良の橘辰哉になっても、中身は何も変わっていない。相変わらずの弱虫で、世界に馴染めない一条京人のままなんだ。
変わりたいのに変われない――結局この程度の人間だという証明だ。挫折の後に逆転劇などなく、必死にもがけばもがくほど惨めになるだけ。そんなこと、俺が一番分かってるだろ?
逃げたい……このすべてから逃げ出したい――
「うるさいわよ。雑音が多すぎて彼の言うことが聞こえないんですけど。橘……脚本さん、もう一度言ってくれる?」
俺はハッと顔を上げ、視界が急に鮮明になる。
俺は、今までずっと、目を閉じていた。
声の主は、さっきうっかり俺の名前を呼んで赤面していた真紀乃だった。
まさか真紀乃が俺をカバーしてくれるなんて、立場が逆じゃないか。
「大丈夫、私がそばにいるから。言いたいこと、思い切り言っていいよ」
奈月が頬を寄せて、耳元で囁く。温かい吐息が耳をくすぐる。
俺はいったい何をしてたんだ……また逃げようとしてたなんて……
足は震え、唇は震えるが、もう迷いはない。
深く息を吸い、言葉を頭の中で整理して、胸を張って叫ぶ。
「脚本担当の橘だ。まず、先日練習を妨害したことは謝る。ただし――」
相変わらずの弱虫かもしれない。でも今は違う。俺を支えてくれる人、励ましてくれる人、応援してくれる人がいる。
もう一人で戦っているわけじゃない。孤独に世界と戦ってるわけじゃない。
「ヒロインの演技の仕方について、俺の考えが正しい。妥協するつもりはない」
本当に変われるかどうかはわからない。でも、現実から逃げて立ち止まるより、前に進みたい。
「一言で言えば、ヒロインはツンデレだ!素直に気持ちを伝えられないところが、あのシーンのポイントなんだ!」
みっともなくたっていい、必死にもがいて惨めになってもいい、俺は……それでも前に進みたいんだ。
ちらりと奈月と、人混みの中の真紀乃を見る。
ここに、俺を認めてくれた人、俺の作品を好きだと言ってくれた人がいるから。
「それと、勝手に台詞を変えた人、その変更は全部却下だ。まだ問題があるならまた俺に相談してくれ、以上だ」
軽く頭を下げた。マイクでも持ってれば、カッコよく「ドロップザマイク」なんて決められたのに。
「はあ?お前何様のつもりだ?」
「ここはお前が決める場所じゃないだろ?」
もちろん全員が「はい、わかりました」と丸く収まれば最高だが、現実はそう甘くない。
言い返そうとした瞬間、奈月が先に口を開いた。
「彼は今回の公演の脚本担当です。この脚本も彼が書いたものですし、もちろん脚本に関する決定権もあります。この脚本は私を含む先輩方も認めたものですから、私たちの判断を信じてくださいね」
「奈月さんがそう言うなら……」
「よく見たら、脚本けっこういいよね……」
さっきまで文句を言っていた部員たちも不満そうな顔をしているが、多くの部員の態度が軟化し、敵意のある視線も消えていく。
「ちょっと真面目な話になっちゃいましたね。気分を切り替えて、リハーサル頑張ろう!」
奈月がパンと手を叩く。笑顔ながらも、無言の威圧感を放っている。彼女の号令で、部員たちはそれぞれのポジションに戻り、リハーサルが再開した。
「ふぅ――」
緊張の糸が切れ、足がガクガクする。適当にリハーサルが見える場所に座ると、奈月も何人かの部員と話した後、俺の隣に座った。
「ちゃんと言えたね。えらいえらい」
「ママのおかげだよ」
「誰がママよ。ふふっ……」
奈月は冗談めかしてそう言うが、笑顔のどこか心ここにあらずといった様子だ。
「本当に……よかった……」
彼女はリハーサル中の部員たちをじっと見つめながら、どこか遠い目をしている。何か考え事をしているようだった。
◇
あの日、みんなの前で脚本家としての立場をはっきりさせて以来、リハーサルは驚くほどスムーズに進んでいた。たまに台詞に不満を持つ部員もいたが、詳しく説明すれば大抵は納得してくれた。どうしても聞かない頑固なやつには「俺が脚本家だから俺が決める」の一言で黙らせた。
そして今日はついに本番の日。
「うんうん、何度見ても綺麗だなぁ。このドレス、やっぱり奈月さんによく似合ってるよ!」
「えへへ、そうかな……」
奈月は少し照れたように頬を掻いた。開演20分前、衣装係の部員たちの手を借りて、一幕で着用するイブニングドレスに着替えていた。
海を思わせるブルーのスリットドレスは、彼女の長い脚を強調し、オフショルダーのデザインが白く輝く肩と鎖骨のラインを引き立てている。そして何より、凶悪なプロポーション。たぶんEカップ……いや、冬美だからFか?
優木を含め、男子たちの視線が奈月に釘付けになっていた。誰もが思わず彼女に惹きつけられていた。
「なになに?見惚れちゃった?」
「そ、そんなことないよ!」
「もっと見てもいいんだよ〜?」
「だから見てないよー!」
奈月の悪戯っぽいからかいに、珍しく優木が照れている。
「ちっ」
おいおい、そこの負けヒロイン、主人公が別の女の子とイチャついてるからって舌打ちすんなよ。
「そんなに拗ねないの。もしその衣装着てたのが君だったら、優木も同じ反応してたと思うよ?」
「だから何。どうせあたしには着る機会なんてないんだから」
「そ、そうとも限らないよ?開演直前まで何が起こるかわかんないし……」
実際のところ、間もなく奈月は背景板の下敷きになって足を負傷する。だがそれを言っても信じてはもらえまいだろ。
「慰めなくていいわ……ってこれ慰めてるの?下手すぎでしょ」
「いや、そもそも慰めるべきじゃなかった……っていうか、ここマジで暑いな……」
体育館の舞台裏は異常に蒸し暑く、ただ立って話しているだけで汗が噴き出してくる。真紀乃も台本を扇子代わりにパタパタさせている。
開演間近で、俺と真紀乃、そして代役の数人を除き、全員がバタバタと最終確認に追われていた。
音響のチェックをする人、ギリギリまで台詞を覚えようとする人、鏡の前でメイクを直す人、座禅を組んで瞑想する人……? って、そこはスルーでいいか。
だが、誰もあの肝心の背景板をチェックしていない。舞台美術係の連中はセットを組み終えると、とっくに客席で開演を待ちわびているようだ。
「開演前にちょっとステージ回ってくるね。あとどれくらいで始まる?」
「15分くらいかな。ついでに背景板もチェックしてくれない?あの筋肉バカたち、どっか行っちゃったし」
「了解~」
メイク担当の部員に最終調整をしてもらい、奈月は舞台へと上がっていった。カーテンの隙間から客席を覗き込みながら、各所のセットを確認している。
……!
来る。背景板が崩れるのは、ちょうど奈月がその場を確認している瞬間だ。
そのせいで、奈月は足首を負傷して出演不能になる。そして、真紀乃が代役を務めることになる。
でも──それで本当にいいのか?
事故が起こるってわかってるのに、それをただ黙って見ているだけで本当に正しいのか?
「ちょっと……ステージの方に行ってくる。新鮮な空気が吸いたくてさ……」
「え?ああ、好きにすれば」
真紀乃は怪訝そうな顔をしたが、それ以上は気に留めず、台本でパタパタと扇ぎ続けていた。ステージに上がると、奈月はまだ照明のチェックをしているところだった。
「ここは大丈夫……ライトも問題なし……最後に背景板の確認……」
奈月が背景板に近づくたび、俺の胸の中でモヤモヤが広がっていく。
くそ、何迷ってるんだ?最初から分かってたはずだろ、この展開になるってことは。
そもそも、俺が演劇部に入ったのは、真紀乃と優木を共演させるためだ。
俺がここにいようといまいと、奈月は必ず怪我をする。これは小説の中で決まっていた運命だ。彼らが同じ舞台に立つためには、奈月の負傷は必要な条件だった。
この負けヒロインのために、俺は心を鬼にして、この背景板が倒れるのを見ているしかない。
だったら、俺はなぜ、わざわざステージに上がったんだ?
奈月が背景板に触れた瞬間、固定用の針金が一本外れ、奈月が反応するより早く、背景板がドミノ倒しのように崩れ落ちた。
「え……!?」
これでいい……余計なことをせず、原作の通りに進めばいい。
『でもね、私は人の過去で今を判断したりしないの』
『君にとって、困ってる人を助けるってそんなに不思議なことなの?』
『私は、自分で関わりたい人を選んだの。周りがどう思おうと関係ないよ』
『でもせめて、少しだけでも君の背中を押してやりたい』
『だって、君が書いた脚本、すごく好きだから』
『大丈夫、私がそばにいるから』
「ちくしょう、なんでまたこうなるんだよ!」
見て見ぬふりをするのは、行動するよりずっと難しい。
気づけば、足が勝手に奈月へと駆けていた。考えるより先に、体が動いていた。
間一髪、俺は奈月に飛び込み、背景板が完全に倒れる前に彼女を押しのけた。自分は避けきれず、背景板が後頭部に直撃し、そのまま全体が俺の上に崩れ落ちた。足の怪我じゃなくて済んだのか?
舞台で大きな音が響き、裏方の部員たちが慌てて駆け寄ってきた。膝をついている奈月、崩れ落ちた背景板、そしてその下敷きになった人影を見て、現場はパニックになった。
「背景板が倒れた!どどど、どうするの!?」
「え、えっと……」
「何ボーッとしてんの!まず板をどかして引き上げるのよ!」
その声は……真紀乃か……後頭部を打ったせいで頭がうまく働かず、視界もぐるぐる回っている。
「わ、わかった!誰か手伝って!人手が足りない!」
「橘くん……!橘くん!大丈夫!?」
「真紀乃……ごめん……またしくじっちゃった……」
ぼんやりとそう呟くと、意識が遠のいていく。
「はあ!?わけわかないこと言ってんじゃないわよ、橘……?ねえ、しっかりして、橘っ……!」
最近の俺は、やけに意識を失うことが多いな……




