第七章:やはり俺の青春舞台劇はまちがっている。完(2)
「うぅ、あ……なんか嫌な夢を見たような……」
目覚めたばかりなのに、全身がだるくて起きる気になれない。ベッドの上でじたばたするだけ。
彼女の顔さえ、記憶の中でぼやけてきた。今更あんな過去を思い出したって、何の意味もない。
「不良やめるって言ったのに、もう二日も学校サボってるじゃない」
許可も待たず、絵梨花がドアを開けて入ってくる。せめてノックぐらいしろよ。
振り返ると、きちんと制服を着た絵梨花が腕を組んで立っている。枕元のスマホを取ると、7時30分を指しており、通知欄には未読メッセージがたくさん並んでいる。
「ほっといてよ……」
「あっそう、あんたの勝手だけど」
「行ってらっしゃ……いてっ!」
再び寝ようとした瞬間、後頭部に何か硬いものが当たった。振り向くと、コンビニのおにぎりと乳パックが転がっている。
「サボるのもほどほどにね。あんたに留年させるお金なんて、うちにはないんだから」
「……お前、お兄ちゃんのこと好きすぎだろ」
「はあ?キモい。死ね」
「『でもお兄ちゃん好き♡』ってことでしょ?はいはい、わかってるわかってる~」
「ちっ、学校行ってくるから、好きにしてろ」
絵梨花はそう言い残し、ドアを勢いよく閉めた。まったく、このブラコンめ。
ベッドから起き上がり、机の前に座って絵梨花の残してくれたおにぎりをほおばりながら、スマホのメッセージを確認する。
北高卍最強
中村:『アニキ大丈夫すか???みんな心配してるっす!!!』
真島:『やっぱり見舞いに行った方がいいよな?今すぐサボって行くぞ?』
鈴木:『水宮姐さんから話聞いたぜ!演劇部のクソ野郎ども、ぶっ飛ばさねえと気が済まねえ!』
青坂:『許さない……!』
青坂:(怒り狂うウサギスタンプ)
『大丈夫だ。心配するな。でもバカな真似はするなよ。学校に戻ったら何とかするから』
中村:『アニキがそう言うなら……』
真島:『わかった……』
青坂:(しょんぼり「了解」ウサギスタンプ)
鈴木:『でもアニキ……』
中村:『アニキを信じろ。大丈夫って言ってるんだから大丈夫だ』
鈴木:『助けが必要なら絶対連絡くれよな!絶対だぞ!』
『ああ、サンキューな』
メッセージが30分前のものだったのが幸いだ。もう少し返信が遅れてたら、演劇部が廃部になってたところだった。
バカ四人組への返信を終え、未読メッセージはあと一つだけ残っている。
昨日、真紀乃から届いたメッセージ。
『いつまで逃げてんのよ?マジダサい』
「相変わらず毒舌だな……」
ダサいか……大声出して逃げ出すなんて、確かにかなり情けないよな。
2日間引きこもって気持ちも落ち着いてきた。本来なら大人の精神年齢なのに、高校生のガキ共にムキになるなんて、我ながら呆れる。
明日学校に戻ったら演劇部のみんなに謝ろう。脚本は好きに改変させればいい。優木と真紀乃が無事に出られさえすれば、脚本なんてどうでもいいんだ。
モブの分際で主人公になろうなんて奢りは捨てて、身の程をわきまえないとね。
おにぎりを食べ終え、牛乳を一気に飲み干す。そういえば最近小説を書く暇がなかったな。今日の自主休暇を利用して書いてみよう。家でゴロゴロしてても退屈するだけだし。
……
全然集中できない。
執筆に集中しようとしても、ペンを握ると過去の記憶が次々と押し寄せてくる。気持ちが落ち着いたなんて、誰を騙してるんだ。
「今更思い出して何の意味もないのに……」
大したことじゃないと頭ではわかっているのに、どうしても割り切れない。突然キレるなんて、俺はあんなキャラじゃないのに。
「寝るか……」
幸いまだ眠気が残っていたので、再びベッドに入ることにした。
寝てしまえば何も考えずに済む。面倒なことは起きた後の俺に任せよう……
目が覚めたら元の世界に戻ってたらいいのに。
◇
『ピンポーン――ピンポーン――』
「うるせえな……」
ぐっすり眠っていたところをインターホンの音で起こされる。何だよ、絵梨花のやつ鍵忘れたか?
『ピンポーン――ピンポーン――』
「はあ……今行くから!」
だるい体を引きずりながらベッドから出ると、インターホンが鳴りやまないので急いで玄関へ向かう。
「連打すんなよバカ妹、そんなに急ぐなら鍵忘れるなよ……え?」
ドアを開けると、そこにいたのは絵梨花ではなく奈月だった。
「あ、ごめん……連打するつもりなかったんだけど、つい……」
なぜ奈月が家に?住所も教えた覚えがないし、もちろん来たこともないはずだ。
疑問だらけだが、それよりまずいのは今着ているダサTと鳥の巣のような頭だ。とはいえ今更ドアを閉めて着替えるわけにもいかない……まあいい、もうイメージなんてクソ喰らえだ。
「今日リハーサルじゃなかったっけ?どうしたんだ?」
「リハーサルは休ませてもらったの。これを渡しに来たから」
そう言って奈月はカバンから分厚いプリントの束を取り出し、手渡してくる。住所も先生から聞いたんだろう。
「そうか、悪いな……」
「ちょ、待って……!」
プリントを受け取り、そっとドアを閉めようとした瞬間、奈月がドアの反対側に手をかけて閉じるのを阻んだ。
「まだなにか……?」
「ここで話すのもなんだし……私、上がってもいい?」
奈月はもじもじしながら、無理やり笑顔を作っているが、普段とは違う憂いが表情に浮かんでいる。ここまで来て断るわけにもいかない。
「ああ、どうぞ……」
奈月が玄関に入り、ドアが閉まる音と共に家の中が静寂に包まれた。
まずリビングに案内してソファに座らせ、キッチンで麦茶を出そうとしたが、残りはもう空っぽだった。
「悪い、うち今水しかないんだけど……」
「い、いいの!私水大好きだし……」
コップの水を渡し、向かい合って座る。
二人きりの気まずい空気の中、奈月は無意識に髪の先をいじって緊張をほぐそうとしている。
「橘くん……大丈夫?」
「え?ああ、別に。不良のサボりなんてよくあることだし……」
奈月に気を遣わせたくないので、適当にごまかそうとする。
「今回はごまかさないで!二日も学校来てないんだよ……」
「ほ、本当になんでもないって……」
「……やっぱりあの日のこと?」
「……!」
奈月の一言に言葉を失う。もうごまかしようがなかった。
「全部俺が悪いんだ……いきなりキレて、みんなに迷惑かけて……」
「違う!そうじゃないの!」
奈月が勢いよく立ち上がった瞬間、彼女の膝がテーブルにぶつかり、バランスを崩した。
「痛っ!」
「危ない……!」
反射的に駆け寄って受け止め、転倒は防いだものの、今度は奈月が俺の胸に寄りかかる形で、女上男下の状態になってしまった。
——普通なら逆だよな? そんなことを真っ先に考える自分に少し呆れた。
制服越しでも隠せないふくよかな胸の感触、微かな体温、時折漂う甘い香り——俺の理性は今まさに試されている。
「やっぱり、あの時無理やり演劇部に誘ったの、迷惑なのかな………」
「無理やりじゃないよ……自分で決めたことだし」
「迷惑じゃなかった……?」
至近距離から見上げる奈月の目には罪悪感が浮かんでいた。こんなに近づかれたら緊張するのは当然だが、ましてや奈月のような美少女となると、心臓が耐えられそうにない。
「と、とりあえず起きて……」
「……!ごめん……」
奈月が慌てて離れると、ようやく心拍数も落ち着いてきた。
「本当に大丈夫だから。明日学校に戻って、みんなにちゃんと謝るよ」
「それで……本当にいいの?」
「え……? な、なんのことかな……」
「リハーサルが始まってから、君、なんだか様子が変だったよ?それに、君が理由もなく突然キレたりする人じゃないって、私知ってるから」
「……! 俺の何がわかるって言うんだ……」
「わからないから、来たんだ。お願い、教えて……私のせいでまた誰かを傷つけるのはもう嫌なの……」
奈月は拳を握りしめ、声を震わせながら訴える。
なぜそんな悲しそうな顔をするんだ?
「俺は……」
奈月の真っ直ぐな視線に押され、ついに本音を口にしてしまう。
「昔、脚本を書いた時に嫌なことがあって……だから今も否定されると、うまく言葉にできなくて……」
「そうだったんだ……」
「だからこれは俺自身の問題、自分で乗り越えしかない。お前にはどうしようもないことだ」
つい余計なことまで喋ってしまった。なぜか奈月と話していると、自然と本音が零れ落ちてしまう。これがヒロインの力か。
「確かに私にはどうしようもないことなのかもしれない……」
突然奈月が立ち上がると(今度はテーブルに気をつけて)、力強く宣言した。
「でもせめて、少しだけでも君の背中を押してやりたい」
「……!」
「早く着替えて。今すぐ学校に戻るから」
「え? いや、ちょっと待って……」
あまりの展開に頭が追いつかない。奈月はもうベランダから干してあった制服を取ってきて、私に押し付ける。
「着替えないなら、そのダサいTシャツのまま学校に連れてくよ?」
「今すぐ着替える」
この格好で学校なんて、公開処刑と同じい。
「じゃあ俺、部屋で着替えてくる……」
「ダメ! 鍵をかけて出てこなくなったらどうするの? 逃がしたりしないからね!」
「じゃあ……ちょっと背向いててくれないか?」
「あ! ごめん……」
奈月が背を向ける間、後ろで服を脱いでいるという状況に、妙な罪悪感を覚える。
「じゃあ、行こう!」
着替え終わると、奈月はすぐに俺の手を取って玄関へ向かう。
「……なんでここまでしてくれるんだ?」
普通、数週間前に知り合った同級生にここまでしないだろう。
「なんでって……?」
少し考えた後、奈月は太陽のように明るい笑顔で答えた。
「だって、君が書いた脚本、すごく好きだから」
ああ、そうだった。彼女は普通の人じゃない。ヒロインなんだ。
「……本当に、好きなの……?」
「うん、切なくて、でもすごく綺麗な話だと思った」
「そうか……」
「私だけじゃないよ。真紀乃ちゃんも、先輩たちも君の脚本が好きだった。あの時、お互いにちゃんと話せてなかっただけだよ。だから、今度こそきちんと話せば……きっと、伝わるはずだよ」
奈月はまっすぐに俺を見つめ、力強く言った。
それだけで十分だった。
自分の書いたものを好きだと言ってくれる人がいる──ただそれだけで、前に進む勇気が湧いてくるんだ。
◇




