第六章:やはり俺の青春舞台劇はまちがっている。続(3)
「……まぶしすぎ……」
放課後の教室。夕暮れの光に目を覚まし、ぼんやりと黒板上の時計を見上げると、もう17時を回っていた。
「やべえ、今日リハーサルあるんだった!」
脳を再起動させるのに数秒かかり、遅刻したことに気づくと同時に急いで荷物をまとめ、部室棟へと駆け出した。
真紀乃が起こしてくれなかったのはともかく、奈月まで放っておいたとは……心のどこかが傷ついた気分だ。
「遅れてすいません!」
息を切らしながら教室の扉を開けると、一瞬で空気が止まり、リハーサル中の部員たちの視線が一斉にこっちに向けられた。
「あの人が脚本家?」
「本当に彼が書いたの?」
「あの金髪、完全にヤンキーじゃん……」
「知らないの?隣のクラスで有名な不良らしいよ……」
「えっ!?怖すぎ……」
ひそひそと囁かれる声。全校的に有名な不良だと思ってたけど、案外知られてないんだな……むしろ幸いか。
「大丈夫、まだ始めたばかりですから。少し休んでから参加してもいいよ」
息が上がっている俺を見て、奈月がペットボトルの水を差し出してくれた。それを受け取り、真紀乃の隣に腰を下ろす。
「やっと目覚めた?教室の机、そんなに寝心地いいの?」
「だったら起こしてくれよ」
「あたしと冬美も何回か起こしたけど、あんた、全然起きないのよ」
「え、そうだったのか……」
なるほど、どうやら徹夜の反動で爆睡してたみたいだな。
台詞から察するに、まだ一幕目のリハーサル中のようだ。カバンから脚本のコピーを取り出し、該当のページを開く。
物語は、敵対する二大テクノロジー企業の御曹司である男女主役の恋を描いたもの。一幕目は、企業パーティーでの出会いと一目惚れのシーンだ。
どこかで聞いたような話?いや、絶対『ロミオとジュリエット』のパクリじゃないから。作家にとって最も嫌なことの一つは「これ、あの作品に似てるね」と言われることだ。
「あの、脚本……さん?」
「ん?俺のこと?どうした?」
脚本をめくっていると、一人の部員が質問を持って近づいてきた。
「俺が演じてるこの役なんですけど、一幕でヒロインが主人公に惚れたことに、なぜこんなに怒ってるのかよくわからなくて……」
「彼もヒロインのことが好きだからだ」
「でも二人はいとこ同士じゃないですか。それって変じゃないですか?」
「えっと……」
幼なじみで妹同然の存在が、いきなり知らない男に奪われたら嫉妬するのは普通だろ?
そう言いかけたが、彼は先に続けた。
「ヒロインが好きになったのが敵対企業の人だから、彼らの付き合いに反対して怒ってるんだとしたら、もっと自然じゃないですか?」
「それもあるけど、主な理由はそこじゃないんだ……」
もう彼は聞いていない。勝手に台詞を書き換え、修正版を見せてきた。
「こうした方がよくないですか?やっぱり役者もキャラクターの解釈は重要ですよね!」
台詞全体がめちゃくちゃに変わってるじゃないか……まあ、端役のセリフだし、ここで揉めるのもアレだ。
「はは……そうだね……」
「……」
「……?」
ふと視線を感じ、顔を上げると、奈月が何か考え込むようにこちらを見ていた。しかしすぐに俯き、脚本を読みふけるふりをした。
……気のせいか。
◇
脚本家はリハーサル中は暇だと思ってたが、実際は想像以上に忙しかった。ここ数日、部員たちから脚本に関する質問が絶えず、対応するだけでぐったりしていた。
「すみません、脚本担当の方いますか?」
ドアがノックされ、がっしりとした体格の男子が入ってきた。
「はい、俺です」
「道具・背景班の班長です。五幕についてなんですが、前の四幕で組むセットが多すぎて、このままだと完成に間に合いそうもないので、五幕の場所を既出のシーンに変更したいんです」
「え?」
五幕は湖辺でヒロインと別れる前に主人公が愛を告白する重要なシーンだ。そんなに簡単に変えていいのか?
「二幕の宴会場にするのはどう?」
「それだと合わないと思う……」
「じゃあ三幕の遊園地は?遊園地で告白って雰囲気いいですよ。それに今どき湖で告白する人なんていないでしょ?むしろ遊園地の方が現実的だと思いません?」
……
「……遊園地でいい」
「じゃあ、遊園地でいきましょう」
そう言って彼は脚本にメモを残し、去っていった。
計画通りにはいかないものだ。臨機応変に対応するしかない。遊園地での告白でも、なんとかなるだろう……
「ねえ、大丈夫?あんた、いつもより陰気だわ」
ちょうどリハーサルを終えた真紀乃が隣に座り、休憩していた。そんなに顔に出てたのか?
「ここ数日寝不足なだけだ。大丈夫」
「……そう、ならいいけど」
真紀乃は顔を背け、脚本を読み始めた。
「無理しないでね……」
かすかに照れくさそうな声で呟いた。脚本で半分顔を隠しているので、声はほとんど聞こえなかった。
「今なんて?」
「何でもないわよ。邪魔しないで」
ふん、と鼻を鳴らし、頬を赤らめたまま脚本に目を戻す。彼女なりに心配してくれてるんだろう。本当に不器用なヤツだ。
真紀乃が休憩中ということは、今は奈月がリハーサル中のはずだ。「神爪」を飲みながら、彼女たちの演技を見る。
「あなたは本田家の人間、私豊田家の人間。愛し合えるわけがない。もう会わないで」
奈月が冷たく決然とした口調で言い放つ。何か違う……このセリフを聞いた時、説明できない違和感がこみ上げてきた。
「思ってたヒロインとちょっと違うな……」
ぶつぶつ独り言を呟く。さっき真紀乃が同じシーンを演じた時は、こんな違和感はなかったのに……
「あなたのことなんか大嫌い。何度言わせるつもり?」
……!
わかった。問題はそこだ。
「あの、ちょっと……」
「二度とあなたなんて……ん?どうしたの、橘くん?」
声をかけたことでリハーサルが中断し、全員の視線が集中する。中には「何だこいつ」という目を向ける者もいる。
「今のシーン、感情がちょっと違うと思う。もっと『本心と違う』感じのトーンで……」
「そうですか?じゃあ四幕の途中から……」
「いや、奈月さんの演技、何も問題ないと思いますよ」
奈月が言い終わる前に、端役の男子部員が口を挟んだ。
「ヒロインは家の事情で主人公と結ばれないとわかってる。諦めさせるためには、きっぱり言うのが当然じゃないですか?」
「でも、それ以上に重要なのは……その……」
本当は愛しているのに、それを抑えつけなければならない苦しみ。表向きの決意よりも、心の奥で葛藤している感情を滲ませるべきなんだ。
「拒絶するのにきっぱりしてないなんて、矛盾してて変じゃないですか?」
「……」
頭の中では整理できているのに、なぜか言葉にできない。
「確かに奈月ちゃんの演技、すごく良かったよ」
「私もそう思う……」
他の部員たちも同調し始め、教室にはざわめきが広がる。
「さっきの奈月さんの演技、おかしかった?」
「いや……」
「じゃあわざと揚げ足取ってるの?」
「やっぱり脚本、本人が書いてないんじゃ……」
「なんであいつ入部許可されたんだ?」
「ちょっと……みんな落ち着いて……」
少し眩暈がした。
呼吸が苦しくなり、誰が何を言っているのかわからなくなる。
我慢すればいい。こんなの初めてじゃない。「間違えました」と謝って、この場を収めれば……
「こいつなんもわかってないだろ?」
……何もわかってない?
「なんもわかってないのはお前らだろ!!!」
思わず叫んでしまった。大声を張り上げた瞬間、取り返しのつかないことをしたとわかった。
「……!」
教室は一瞬で静まり返り、全員が凍りついたように固まった。
「橘くん……?」
頼むから、そんな可哀想な目で見ないでくれ。
「俺は……」
ドアに向かって走り出し、部室を飛び出した。
逃げた。
逃げたところで意味があるかはわからない。けれど、今の自分が惨めで情けないということだけは、痛いほどわかっていた。




