第五章:やはり俺の青春舞台劇はまちがっている。(2)
「う、うおおおっ?!」
背後から突然女性の声がして、思わず肩がビクッと跳ねた。振り返ると、そこにいたのは奈月だった。
「ごめんごめん、驚かせるつもりじゃなかったんだけど……でも、『うおおおっ』って……ぷっ……!」
なぜか彼女のツボに入ったらしく、口元を手で押さえて肩を震わせて笑い出した。
「……いつからそこにいた?」
「君が壁際でこそこそし始めた頃からずっとよ?」
「つまり最初から全部見られてたってことかよ……」
俺が他人を覗き見しているところを、彼女にずっと覗き見されていた……変な独り言を言ってないよな?
「ねえ、まだ質問に答えてないわよ?どうして彼らのことを覗いてたの?」
「……それなら俺にも質問させてもらう。今朝、なんで俺を助けた?別に俺たち、特別仲がいいわけじゃないし、助ける理由もないだろ?」
「それね~じゃあ橘くんが先に答えてくれたら教えてあげる~」
「えっと……たまたまここで二人を見かけて、気になっただけ」
「あー、ずるい!それ、明らかにごまかしてるでしょ!」
奈月はぷくっと頬を膨らませ、不満げに俺を見上げる。だが怒っているというより、その仕草が妙に可愛らしかった。
「とにかく、俺は答えたから。今度はお前の番だ」
「う~ん、今回は見逃してあげる。でも次はそうはさせないからね?」
奈月はあっさりと気分を切り替え、いつものふんわりした笑顔に戻った。
「今朝助けた理由?だって最近橘くんに関する噂って、どう考えても本当じゃないっでしょ?」
「どうしてそう思った?」
「じゃあ逆に聞くけど、それ全部本当なの?人を何人も殺して、真紀乃ちゃんを拉致して、警察に捕まったとか。」
「……まあ、全部ってわけじゃないけど、水宮が攫われたのは事実……あっ。」
しまった。口が滑った。
「でも、それをやったのは橘くんじゃないでしょ?本当にやったなら、とっくに学校から退学させられてるはずだもん。」
俺は予想と違う反応に驚いた。ようやく常識的に考えられる人間がいた。クラスの連中が奈月のように考えてくれたら、そもそもこんな噂は広まらなかっただろう。
「だから私は、ただ誤解されてる人を助けただけ。一日一善ってところ?」
「それ、答えになってないぞ……」
「君にとって、困ってる人を助けるってそんなに不思議なことなの?」
奈月の瞳はまっすぐで、迷いがなかった。その姿はまるで……後光が差しているかのように見えた。そんな眩しいセリフを聞かされると、心まで洗われるようだ。
「……っ。いや、そうでもないけど……」
「でしょ?それに私、大したことしてないよ。そんなに気にしないで。」
「いや、助かった。……ありがとうな。」
「……っ!やっぱり橘くんって、全然不良っぽくないよね。」
奈月は再び王道ヒロインのような笑顔を見せた。眩しすぎて目がくらみそうだ。
「じゃあお礼に、一つお願い聞いてくれる?」
そう言って、奈月は小動物みたいな目で俺を見上げてきた。
こんな展開になるとは思わなかったが、まあいい。元々奈月と良い関係を築くのが目的だったし、願ったり叶ったりだ。
「まあ、俺にできる範囲なら。」
「じゃあ、演劇部に入ってほしいの」
「は?なんで俺が?」
まさかのお願いに、思わず間の抜けた声が出てしまった。
「知ってるよ?まだ部活届出してないでしょ?どうせ入るなら演劇部でよくない?私、橘くんのこともっと知りたいな~」
「う、うーん……まあ、別にダメってわけじゃ……」
奈月との会話は完全にペースを握られ、俺のコミュニケーション能力は真紀乃レベルまで低下していた。
奈月の一言一言が胸に響き、自然と惹きつけられていく。
まあ、元々演劇部に入って真紀乃をサポートするつもりだったし、渡りに船ではある。
「やったぁ!あ、それとこれ——」
奈月は俺の手元を指さし、持っていた缶入りのタピオカミルクティーをひょいと奪い取った。
「まだ開けてないし、これってもしかして私へのお礼?」
「ち、違……いや、まあ……そういうことにしておくか……」
真紀乃が「まずい」って言ってたし、どうせなら奈月に譲るか。っていうか、他人の手から飲み物をサッと奪うやつなんて初めて見たぞ……
「この缶のタピオカミルクティー、私大好きなの!ありがと~!」
……まあ、可愛い女の子に奪われたと思えば、まあいいか。
そのとき、予鈴が鳴り響き、中庭にいた生徒たちが校舎へと戻りはじめた。
「私たちも戻ろっか。それとも、不良の橘くんは今日も授業サボっちゃう?」
奈月はいたずらっぽく笑って言う。そんな風に言われたら、さすがに断れないって……
「今日は真面目に授業出るよ……」
「それじゃあ、一緒に戻ろう~」
彼女が先に歩き出すのを見て、俺は数歩後ろで立ち止まり、少し距離を取った。
「……先に行ってくれ。俺と一緒に歩いてたら、お前の評判まで落ちるかもしれないし。」
奈月は振り返り、不思議そうな顔をした。そしてすぐに俺のもとへ戻ってきて、俺の手首をそっと掴んだ。
「なに言ってるの?私は、自分で関わりたい人を選んだの。周りがどう思おうと関係ないよ」
「……っ!」
またデジャヴ。どこかで見たような、既視感のあるやりとりだった。
「橘くんって思ったより繊細なのね。さ、早く行こう〜!先生に怒られちゃうよ?」
俺が戸惑っている間に、奈月は俺の手を引いて校舎へと歩き出す。その手はとても温かくて、柔らかかった。
こんなセリフをさらっと言えちゃうなんて……
やっぱり、王道ヒロインは眩しすぎる。




